学校が終わり、教室を出た瞬間——。
「悠斗君!」
背後から、美琴の明るい声が響き渡った。
振り返ると、彼女がこちらへ駆け寄ってくる。ポニーテールが弾むように揺れ、冬の冷たい風にさらされてなお、活き活きとした動きを見せていた。
「おお? どうしたの? そんなに慌てて」
僕は少し驚きながら尋ねた。彼女の勢いに、つい笑みがこぼれそうになる。
「実は今日、午後から学校に来たんですけど……私、故郷に戻って色々調べてきたんです!」
美琴が興奮した様子でまくし立てる。その瞳は期待と好奇心に輝いていた。
「そういえば……風鳴トンネルの時に言ってたね」
彼女は以前、僕の霊眼のルーツを探るため故郷へ戻ると話していた。あの時、確かにそんな約束があった。
だけど——。
ここ最近は、廃工場の出来事が落ち着いたとはいえ、その直後は慌ただしく過ぎ去り、僕自身、学校での傷の言い訳に追われていた。先生やクラスメイトには適当な理由を並べてごまかした。
「ちょっと転んで……」「実家の手伝いをしてて……」
それでも完全に隠しきれず、先生に職員室へ呼び出されそうになったこともあった。
(……まぁ、バレなかったから良かったけど)
そんな風に日常を繕うことに気を取られ、美琴が言っていた「調査」のことなど、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。
「悠斗君! 自分の力の源ですよ!? 気にならないんですか!?」
美琴が頬を膨らませて、ちょっと怒ったように言う。彼女のその表情が、妙に愛らしい。
確かに、知っておくべきことなのかもしれない。でも、あの時はそれどころじゃなかった。何より——僕にとって大事なのは、美琴を支えることだった。
それでも、心の奥底でずっと引っかかっている疑問がある。
——どうして美琴が呪われなきゃいけなかったのか。
——どうして僕は呪われていないのか。
——母さんは……呪いの影響を受けているのか。
その答えを見つけるためには、美琴と母さんを引き合わせる必要があった。
ふと思いつき、僕は彼女の方を見た。
「美琴、今日、母さんが入院してる病院へ行こう」
「えっ?」
美琴が目を丸くして立ち止まる。
「今から帰れば、ちょうど暗くなるくらいには病院に着くだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください! 急にどうしたんですか!?」
驚く彼女の手を引いて、僕は歩き出した。少し強引だったかもしれないけど、迷っている時間はない。
「ほら、行くよ」
──
病院へ向かう途中、僕たちは商店街に立ち寄った。
白い息を吐きながら、桜織の冬の街を歩く。クリスマスが近いせいか、通りはイルミネーションで彩られていた。店の軒先には色とりどりのライトが揺れ、木々の枝には電飾が巻き付いて、まるで星屑が降り注いだような光景だ。
「すっごい綺麗ですね……!」
美琴が目を輝かせて呟く。その無垢な喜びが、冷えた空気を温かく変えた。
僕はこの景色には慣れていたはずなのに、彼女の反応を見ていると、なんだか新鮮な気持ちが湧いてくる。
「美琴、花屋に寄ろう」
「お母様に?」
「うん、いつも持って行ってるから」
商店街の一角にある小さな花屋へ足を踏み入れると、懐かしい花の香りが鼻をくすぐった。
「いらっしゃいませ~」
店主のおばあさんが、皺の刻まれた顔に温かい笑みを浮かべて迎えてくれる。
「おや、悠斗君じゃないの。今日もお母さんのお見舞い?」
「あ、はい。いつものカーネーションをください」
「はいはい、ちょっと待ってねぇ」
おばあさんは慣れた手つきでカーネーションを包み始めた。
「へぇ、悠斗君って、お母様にいつもお花を持って行ってるんですね」
美琴が感心したように言う。少し照れくさくなって、僕はそっぽを向いた。
店主のおばあさんが、美琴をちらっと見て、にっこり笑う。
「そちらの可愛いお嬢さんは、悠斗君の彼女さんかい?」
「えっ!? ち、ちがっ……」
「ち、ちがいますっ!!」
僕と美琴が同時に声を上げた。顔が熱くなるのが分かる。
「おやおや、仲が良さそうだからてっきりねぇ」
おばあさんがくすくす笑いながら、花束を渡してくれる。
「ほい、おまけで一輪足しといたよ。良い夜を過ごしなさいな」
そう言って、ウインクしてきた。
(……違うってば。)
美琴の横顔をちらっと見ると、彼女は顔を赤くして目を逸らしていた。
「ありがとうございました!」
美琴が慌ててお礼を言い、僕たちはそそくさと店を出た。
「次、ご飯食べようか」
「……そ、そうですね!」
──
立ち寄ったのは、商店街の片隅にあるラーメン屋だった。
この寒い季節に食べる温かいラーメンは、身体の芯まで染み渡るような美味しさがある。注文したのは、桜織の名物「桜咲け咲けラーメン」。ほのかに桜の香りが漂うスープに、桜の花びらを模したなるとが浮かんでいる。名前は少し気恥ずかしいけど、味は折り紙付きだ。
「美味しい?」
「はい!! とっても!!」
美琴が目を輝かせながら箸を動かす。その美味しそうな表情を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。
(……このまま、ずっとこんな時間が続けばいいのに)
そんな淡い願いが胸をよぎり、僕も箸を進めた。
食べ終わると、美琴が財布を取り出そうとする。
「ダメ」
「えっ?」
「美琴には絶対に出させない。僕が出す」
「え、でも……」
「いらないってば」
そう言ってさっとお金を払うと、美琴が頬を膨らませた。
「悠斗君……ずるいです……」
「なんで」
「私だって、たまには……!」
「それはまた今度ね」
僕がそう返すと、彼女はむすっとしつつも、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「ごちそうさまでした!」
──
病院に着いた時——。
なぜか、心の奥で緊張が広がっていた。
(呪いのこと……聞かされるんじゃないか……?)
手のひらがじっとりと汗ばむ。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと病室の扉を開けた。
——何が待ち受けているのか、知る由もないまま。