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二話

僕達は、天へと昇っていく佐々木さんに手を合わせた。静かな別れの瞬間が、冷たい空気に溶けていく。


「行きましょうか」

美琴が静かに微笑みながらそう言った。彼女の声は穏やかで、どこか優しさに満ちていた。


「そうだね、行こうか」


僕も小さく頷き返す。

——これが、今の僕たちの日常だ。


昔の僕は、霊と関わるなんて想像すらしていなかった。得体の知れない存在に怯え、ただ目を背けるだけの日々だった。けれど、美琴と出会ってから全てが変わった。霊たちと向き合い、彼らと対話し、時には救うこと。それが今では当たり前のように僕の人生に溶け込んでいる。


廃病院で出会った誠也君、風鳴トンネルの詩織さん、温泉郷の陽菜さん。

彼らとの出会いが、僕の中の霊への恐怖を少しずつ薄れさせてくれた。


——いや、違う。

彼らのおかげで、恐怖の先に広がる何かを見つけられたんだ。


霊はただ恐ろしいだけの存在じゃない。

彼らにも心がある。喜びも、悲しみも、未練もある。


だからこそ——。

僕はこれからも、美琴と共に彼らに向き合っていこうと決めている。


──


翌日。


「まだ時間に余裕がありますね。いつもの場所に行きましょう」

美琴がそう言って向かった先は——桜翁だった。


この古い桜の木の下に立つことが、いつしか僕たちの日課になっていた。

太い幹に刻まれた時間の跡、風にそよぐ枝先。どこか懐かしく、落ち着く場所だ。


「桜翁……今日は何か感じるかな?」

美琴がそっと幹に手を添える。その仕草には、かすかな期待が込められているように見えた。


……けれど、やはり何の反応もないようだ。彼女は小さく首を振った。


「やっぱり私が触れても、記憶が流れてくることはありませんね……」


「そっか……」


僕は少し残念そうに呟く。じゃあ、僕ならどうだろう?

そう思って、僕も桜翁の幹にそっと手を当ててみた。


冷たい木肌が掌に触れる。目を閉じて、意識を集中させる。

——だけど、何も聞こえない。


廃工場へ行く前日に感じたあの奇妙な現象。あの時、確かに聞こえた声は何だったんだろう?


「あの時は、たまたま声が聞こえただけ……って可能性もありますけど……」

美琴が少し考え込むように言う。


「うーん……まぁ、定期的に触ってみるよ。なんか落ち着くし」

僕は軽く笑ってそう返した。確かに、この木に触れると不思議と心が穏やかになる。


「なにか進展があれば、私にも教えてくださいね。」

美琴が柔らかく微笑む。その表情には、探求心と優しさが混じり合っていた。


---


「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

美琴が僕を促す。


「うん、そうだね」


僕たちは桜翁に背を向け、歩き出した——その瞬間だった。


不意に、背筋を這うようなぞわっとした悪寒が全身を包んだ。思わず足を止め、振り返る。


……気のせいか?


いや、違う。


桜翁の幹の近く——。

視界の端に、何か這いずるような影が一瞬だけ映った。


——蛇……?


いや、違う。蛇のような形をしているけれど、どこか異質で不気味なもの。だが、それが何なのか、はっきりとは掴めなかった。


(なんだ……?)


僕は目を凝らしてじっと見つめる。

けれど、そこにはもう何もない。ただの木肌が静かに佇んでいるだけだ。


「悠斗君、行きますよー」

美琴が少し先に進んで振り返り、明るい声で呼んだ。


「う、うん……」


もう一度、桜翁の幹に目をやる。

——何もいない。


(気のせい……なのか?)


あの不穏な気配が、後に大きな事件へと繋がっていくなど、この時の僕には想像すらできなかった。



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