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一話 敵意のある霊

雪が静かに降り積もる冬の午後だった。


桜織の街はクリスマスの装飾に彩られ、穏やかで冷たい空気が通りを包み込んでいた。


僕は美琴と並んで歩きながら、白く染まる街並みを眺めている。


雪が地面に薄く積もり、足音が柔らかく響く。どこか遠くから、子供たちの笑い声とイルミネーションの光が混じり合って届いてきた。


「寒いですね……。」


美琴が小さく呟いた。彼女の吐いた息が白く曇り、冷えた空気に溶けていく。袖に手を引っ込めて身を縮めるその仕草が、どこか愛らしく見えた。


「そうだね……ちょっと寒すぎるかも。」


僕がそう返すと、彼女は小さく頷いて、少しだけ笑った。


廃工場での出来事から、もう数週間が経っていた。あの日、僕たちは命をかけた戦いを経験し…心が震えるほどの恐怖と向き合いながら、それでも生きて帰ってきた。


けれど、日常はそんな出来事を忘れたかのように、静かに流れ続ける。街はクリスマスムードに染まり、どこを歩いても「恋人たちの時間」なんて甘い言葉が耳に飛び込んでくる。


……こんな季節、こんな雰囲気だからだろうか。

僕も、つい美琴と——なんて、考えてしまう瞬間がある。胸が少しだけ温かくなって、すぐに冷たい風に冷やされるような、そんな気分だ。


そういえば、一つだけ変わったことがある。

それは、美琴が僕を「悠斗君」と呼ぶようになったことだ。


最初は妙にそわそわして落ち着かなかった。名前を呼ばれるたびに、なぜか顔が熱くなってしまって。でも今では、彼女の声でその呼び方を聞くたびに、心地よさを感じている自分がいる。不思議なものだ。


そんなことをぼんやり考えていた時、ふと視界の端に異質な影が映った。

クリスマスムードに包まれた街の片隅——賑わいから少し外れた路地の入口に、赤い影を纏った霊が立っていた。


——敵意を持つ霊だ。


僕の霊眼には、それがはっきりと分かる。白い影なら無害で、黄色は警戒色。そして赤は、強い敵意を示す。まるで信号機みたいだなんて思うけど、実際にその通りだから仕方ない。


「悠斗君。」


「うん。」


美琴と目が合い、短い言葉だけで意思が通じる。僕たちはすぐに行動を開始した。


すぐに視線を交わし、まずはこの霊が本当に危険なのか、それとも何か理由があって敵意を抱いているのか、見極めなければいけない。


──


僕と美琴は二手に分かれた。

僕は何気なく霊の近くを通り過ぎ、人気のない路地裏へと歩いていく。足音が雪に吸い込まれる中、心臓が少しだけ速く鼓動を打つ。


「……お前ぇ、見えてるよなぁ……?」


霊の声が背後から響いた。低く、かすれた声。


——引っかかった。


僕は無言で歩き続ける。霊には気配を察知する能力がある。無視されれば「こいつは見えているのに無視している」と気づいて、追いかけてくるはずだ。


案の定、霊は僕の後を追ってきた。路地の奥に差し掛かったところで、立ち止まる。


「なにか用ですか?」


振り返り、静かに尋ねると、霊は苛立ったように顔を歪めた。その表情には怒りと混乱が混じっていた。


「なんで……俺を無視した?」


「普通の人にあなたは見えません。いきなり何もない場所で喋ったら、変な目で見られてしまいますから。だから、ここに来てもらいました。」


僕の言葉に、霊の表情がさらに険しくなる。赤い影が一瞬揺らぎ、怒りが強まったように見えた。


「俺はなんで……死ななきゃいけなかったんだ……!」


霊が荒々しく叫ぶ。その声には、やり場のない悔しさと悲しみが滲んでいた。


「失礼ですが、あなたの死因は?」


冷静に問いかけると、霊は苦しげに首を振った。


「わからねぇ……気づいたら、こうなってたんだ……。」


——不明な死因。


おそらく病死か事故死だろう。突然の死に、彼は戸惑い、どうすればいいのかも分からず彷徨っていたに違いない。


僕が彼に注意を向けると、纏っていた赤い影がゆっくりと黄色に変わり始めた。


(……敵意ではなく、ただの寂しさか。)


判断を終え、僕は優しく微笑んで言った。


「焦りますよね。誰にも気づいてもらえないのは、怖いと思います。でも、大丈夫です。僕たちには、あなたがちゃんと見えていますよ。」


「僕たち……?」


霊が怪訝な顔をした瞬間——。


——カツン、カツン。


硬い靴音が、霊の背後から響いた。


「ひっ……!」


霊が振り返った途端、その顔が怯えに染まる。そこに立っていたのは、美琴だった。彼女の静かな佇まいが、路地の薄暗さに溶け込んでいた。


霊が後ずさる。美琴に宿る強い霊力が、無意識に彼を威圧しているのだろう。


「大丈夫ですよ。危害を加えるつもりはありません。」


美琴が柔らかい声で告げる。その声には、安心させるような温かさがあった。


「ほ、本当か……?」


「ええ。あなたのお名前は?」


「佐々木……だ……。」


霊は少し警戒しながらも、ようやく名乗った。


「ありがとうございます、佐々木さん。あなたは、どうしたいですか?」


美琴の静かな問いかけに、佐々木さんは言葉を詰まらせた。


「どう……したら、いいんだろうな……?」


「このままここに留まると、あなたは地縛霊になってしまいます。」


僕がそう告げると、彼の目が少しだけ見開かれた。


「地縛霊って……あれか? この地から離れられなくなるってやつか……?」


「その通りです。」


今度は美琴が静かに答える。


「それは……嫌だなぁ……。」


その言葉とともに、彼の影は完全に白へと変わった。


——もう、彼は迷っていない。


「では、私が力を貸しますね。」


美琴が静かに詠唱を始めた。


「魂の彷徨を調べに乗せよ……我が静かな祈りにて冥路の門をかそけく開けよ……汝が安寧に還りゆけ。」


「う、うお!?」


佐々木さんが抵抗するように身をよじるが、


「大丈夫ですよ。安らかな場所へ行けるんです。」


僕が彼の目を見て、そう告げた。


「……。」


抵抗をやめた佐々木さん。

そして、彼の体は粒子となって、静かに天へと昇っていった。


「冥送ノ調べ」


美琴が術の名前を紡ぐと、最後の光が夜空へ消えていった。


——彼の旅路が、ようやく終わる。


桜織の街に降る雪が、静かに彼の存在を包み込むように舞っていた。




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