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二話

突然、風が吹く。


桜の花びらが一斉に舞い上がり、彼女の周りで渦を巻く。


その瞬間——


胸の奥で、何かが揺らいだ。


彼女がこちらに気づく。


茶色の瞳が柔らかく揺れ、春の光を映していた。


「……この桜、綺麗だよね。」


不意に、声をかけた。


彼女が穏やかに微笑む。


「はい。本当に綺麗ですね。」


その声は、春の風のように軽やかで、でもどこか落ち着く響きだった。


「私、月瀬 美琴つきせ みことと申します。1年生です。よろしくお願いいたします。」


(すごくしっかりした子だな…。)


僕も彼女に自己紹介をする。


「僕は、2年の櫻井 悠斗さくらい ゆうと。よろしくね。」


そう言った瞬間、彼女の穏やかな笑顔が春の陽射しみたいに柔らかくて、普段なら気にも留めない自己紹介が、なんだか特別なものに感じられた。


「あっ、先輩なんですね。」


彼女が目を丸くして、小さく笑う。


その自然な気づきが、春らしい温かさを運んできた。



風が吹く。


「写真を撮ろうとしたんですけど、どうやらスマートフォンを忘れてしまったみたいです……。」


そう言って、美琴はほんの少し肩を落とした。

残念そうに見上げる視線の先には、淡い薄紅の桜が静かに咲いている。


彼女のその姿に、思わず僕は笑みをこぼした。


「大丈夫だよ。きっと明日でも間に合う。……この桜、散るのが遅いから。」


そう――この桜翁の桜は、他の桜よりも長く咲き続ける。

まるで、別れを惜しむように。

あるいは、誰かの想いを受け止め続けるように。


そんな木の下で、僕たちはふと、同じ空を見上げていた。


桜翁の花びらが、別れを惜しむように舞う。


どこか寂しげな雰囲気が漂い、胸に小さな余韻を残した。


美琴がそっと口を開く。


「短い時間でしたけど、自己紹介できて嬉しいです。話しかけてくださってありがとうございます。」


彼女が軽く手を振ると、その仕草が夕陽に柔らかく映える。


「またお会いしましょうね。」


「うん またね。気を付けて帰るんだよ。」


僕が言葉を言い終えると彼女はぺこりと頭を下げて、去っていった。



僕は一人、桜翁を見つめる。


風が花びらを運び、夕陽が空を茜色に染める。


ふと、風に混じるかすかな気配を感じた。


周囲を見回すけれど、誰もいない。


ただ、美琴の声が頭に響き、あの出会いが胸に深く刻まれた。


桜翁が静かに揺れる。


春の囁きが、美琴の名前と共に、心にそっと残った。


──


春の風に 名もなき縁はほどけて


二つの影 まだ知らぬまま 交わりぬ


大いなる厄災は 静かに目を覚まし


記されし因果 誰が断ちきるものぞ


されど 祈りは結ばれん


琴音


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