かつて人々の命を救うために存在したその建物は、いまや霊が彷徨うと噂される廃墟となっていた。
興味本位で足を踏み入れた者たちは、時折、姿を消す。
そして昨日もまた。
騒ぎを起こした配信者たちが、そのまま戻ってくることはなかった。
……翔太も、帰ってきていない。
「……行かなくちゃ、いけないよな……」
教室を飛び出し、校門の鉄柵に手をかけた。
金属の冷たさが、じわりと指先に染みる。
“関係ない”
そう思い込もうとしたのに。
けれど――
霊が視えるのは、僕だけだった。
そして、その力を知っていながら何もせずにはいられなかった。
翔太を、止めるべきだった。
後悔が、胸の奥で燻るように疼く。
大きく息を吐く。
乾いた空気が肺の奥を擦って、わずかに咳き込みそうになる。
それでも、覚悟を決めて歩き出す。
⸻
帰り道、小さな商店の軋む床を踏んだ。
木材の鳴る音が、夕暮れの静けさを切り裂く。
「おう、いらっしゃい!」
木の床がぎぃと鳴る音に振り向いたおじさんは、にこにこと笑っていた。
カウンター越しに腕を組みながら、楽しげに言葉を投げる。
「懐中電灯をください。」
「こんな時間に懐中電灯とは珍しいな、キャンプか?探検か?」
「いえ……ちょっと、友達が迷子になってしまって…。」
「おー、それは大変だ。気をつけてな。暗いとこは足元見えねえから!」
渡された懐中電灯のスイッチを入れると、白い光がまっすぐに伸びた。
その明るさが、逆にこれから進む先の“暗さ”を際立たせるようだった。
「……ありがとうございます。助かりました」
「へいへい。また来なよ~。今度は明るいうちにな!」
そう言って、おじさんは深く考える様子もなく、笑って手を振った。
外に出ると、空は橙に染まり、風が吹き抜けて花びらを攫っていった。
宙に舞った一片が、ゆっくりと地面に落ちて、かさりと音を立てた。
“地縛霊が棲みついている”
そんな噂が、頭の中を何度もかすめていく。
でも、もう足を止めることはできなかった。
⸻
夕暮れが、ゆっくりと夜に溶けていく。
やがて、木々に囲まれた林の奥に、桜織旧病院が姿を現す。
それは、まるで誰かの記憶の底から浮かび上がってきたかのように、静かにそこに立っていた。
時の流れに見捨てられたその建物。
鉄扉は封鎖され、錆びついた鉄格子が風にきぃ……と軋む。
懐中電灯の光が裏口を照らすと、割れた窓ガラスが暗闇の中で鈍く光を返した。
雑草の上に残された足跡がひとつ。
配信者たちのものだろうか。
喉が渇く。
胸の奥がざわめき、鼓動が背中を押した。
僕は扉に手をかけた。
ひと呼吸、置く。
そして、ゆっくりと押す。
キィィ……
金属が軋む音が、夜の静寂に溶けていく。
埃とカビの混ざった空気が鼻腔を刺し、肺に流れ込んでくる。
それと同時に、誰かの視線のようなものが、背後にぴたりと張りついた。