目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

七話 桜織旧病院へ

桜織旧病院さくらおりきゅうびょういん――町外れにぽつんと残された、時間に取り残された場所。

かつて人々の命を救うために存在したその建物は、いまや霊が彷徨うと噂される廃墟となっていた。


興味本位で足を踏み入れた者たちは、時折、姿を消す。

そして昨日もまた。

騒ぎを起こした配信者たちが、そのまま戻ってくることはなかった。


……翔太も、帰ってきていない。


「……行かなくちゃ、いけないよな……」


教室を飛び出し、校門の鉄柵に手をかけた。

金属の冷たさが、じわりと指先に染みる。


“関係ない”

そう思い込もうとしたのに。


けれど――

霊が視えるのは、僕だけだった。

そして、その力を知っていながら何もせずにはいられなかった。


翔太を、止めるべきだった。

後悔が、胸の奥で燻るように疼く。


大きく息を吐く。

乾いた空気が肺の奥を擦って、わずかに咳き込みそうになる。

それでも、覚悟を決めて歩き出す。



帰り道、小さな商店の軋む床を踏んだ。

木材の鳴る音が、夕暮れの静けさを切り裂く。


「おう、いらっしゃい!」


木の床がぎぃと鳴る音に振り向いたおじさんは、にこにこと笑っていた。

カウンター越しに腕を組みながら、楽しげに言葉を投げる。


「懐中電灯をください。」


「こんな時間に懐中電灯とは珍しいな、キャンプか?探検か?」


「いえ……ちょっと、友達が迷子になってしまって…。」


「おー、それは大変だ。気をつけてな。暗いとこは足元見えねえから!」


渡された懐中電灯のスイッチを入れると、白い光がまっすぐに伸びた。

その明るさが、逆にこれから進む先の“暗さ”を際立たせるようだった。


「……ありがとうございます。助かりました」


「へいへい。また来なよ~。今度は明るいうちにな!」


そう言って、おじさんは深く考える様子もなく、笑って手を振った。


外に出ると、空は橙に染まり、風が吹き抜けて花びらを攫っていった。

宙に舞った一片が、ゆっくりと地面に落ちて、かさりと音を立てた。


“地縛霊が棲みついている”

そんな噂が、頭の中を何度もかすめていく。


でも、もう足を止めることはできなかった。



夕暮れが、ゆっくりと夜に溶けていく。


やがて、木々に囲まれた林の奥に、桜織旧病院が姿を現す。

それは、まるで誰かの記憶の底から浮かび上がってきたかのように、静かにそこに立っていた。


時の流れに見捨てられたその建物。

鉄扉は封鎖され、錆びついた鉄格子が風にきぃ……と軋む。


懐中電灯の光が裏口を照らすと、割れた窓ガラスが暗闇の中で鈍く光を返した。


雑草の上に残された足跡がひとつ。

配信者たちのものだろうか。


喉が渇く。

胸の奥がざわめき、鼓動が背中を押した。


僕は扉に手をかけた。

ひと呼吸、置く。

そして、ゆっくりと押す。


キィィ……


金属が軋む音が、夜の静寂に溶けていく。


埃とカビの混ざった空気が鼻腔を刺し、肺に流れ込んでくる。

それと同時に、誰かの視線のようなものが、背後にぴたりと張りついた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?