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六話 心霊動画

桜並木を吹き抜ける風が、淡い花びらを揺らしていた。

舞い落ちる薄桃色のかけらが地面を染め、朝の光にゆるやかに滲んでいく。



学校に着くと、教室の空気がいつもよりざわついていた。

窓から差し込む光が机に落ち、ふわふわと埃が舞っている。

黒板には、朝の授業の跡が薄く残っていた。


「おい、悠斗、聞いてくれよ」


隣の席の友人が、楽しげに肩を叩いてくる。


「何? 朝からうるさいな……」


「これ見てみろよ。昨日、バカな奴らがやらかしたんだ」


スマホを差し出しながら、別の友人が「もう一回見よ!」と笑う。

「マジでバカだろ、あいつら」

笑いながら机を叩く声が、教室のあちこちに響いた。


……まさか。


嫌な予感がする。


手に取ったスマホには、再生中の動画が映っていた。



画面が揺れ、薄暗い映像が始まる。

桜織旧病院。さくらおりきゅうびょういん


夕陽に照らされた崩れたコンクリート、割れた窓の奥がぽっかりと黒く口を開けている。


「よっしゃ、みんな! 今から突撃だぜ!」


配信主の弾んだ声が響いた。

実況のノリに見えるけれど、その声の端にはかすかに緊張が滲んでいた。


「うわっ、暗っ! ちょっとビビるわ」


仲間が笑いながら背中を押す。

埃っぽい廊下を進む足音が、コツコツと鈍く反響していた。


手術室が映る。

画面には、消毒液のにおいがただよってきそうなほど、薄汚れた手術台。


「何か聞こえた? 今、変な音しなかった?」


カメラが暗がりを捉える。


……誰も触れていないはずの金属器具が、かすかに揺れていた。


そして、遠くから──

泣き声が、響く。


「おい、マジでやめろって……」


仲間のひとりの声が、明らかに震えていた。


壁の染みが、じわじわと広がる。

何かがそこにいる。


そのとき。


カメラが、“それ”を捉えた。


手術室の隅。

影のようなものが、ゆっくりと這い出してくる。


……小さな男の子の霊だった。


白い病衣はぼろぼろに破れ、

黒く窪んだ目がカメラをまっすぐに睨んでいた。


「おか……あぁ……!」


掠れた声。

その響きには、寂しさが滲んでいた。


仲間のひとりが逃げようとして転び、

伸びてきた小さな手に、腕をがしっと掴まれる。


「うわあああ!!」


画面が激しく揺れ、カメラが床に落ちる。


ノイズが走り──

映像が、途切れた。



スマホを返すと、友人がにやにやと笑いながら言った。


「な? ヤバいだろ?」


「……マジでやばいって。あいつら、生きてるかな」


「うん、怖いね」


適当に返したけれど、内心では完全に呆れていた。


——勝手に踏み込んで、怒らせたんだ。


僕には霊が視える。

だから、彼らの気持ちはわかる。


霊にとって住み着いてる場所は、“家”だ。

その家に、知らない人が興味本位で入り込んでくる。

……それを喜ぶ人なんて、いるはずがない。


僕は霊が苦手だけど、そのくらいの“感覚”はわかってる。

心霊スポットに行って襲われるのは、正直、自業自得だと思っている。



昼休み。

屋上でパンをかじりながら、校庭の桜を眺めていた。


丘の上では、桜翁が風にそよいでいた。


……さっきの動画が、ずっと頭から離れなかった。

そしてもう一つ、気がかりなこと。


配信していた数人が、まだ帰ってきていないらしい。


「関係ない」と割り切ることもできる。

でも、胸の奥がざわついていた。


パンを一口かじって、目を閉じた。


その瞬間。


──母さんの声が、遠い記憶から蘇る。


『霊はね、怖くないのよ』


母さんが倒れてから、ずっと聞かないようにしてきた言葉。


でも、僕は思う。

……霊は、怖い。


現に母さんは霊によって襲われて、今も意識不明のまま。


本当に怖くないものなら、こんなことになんて──


「ねえ、櫻井君」


屋上の扉が開いて、ふいに声がかかった。

小柄な女の子が姿を現す。


振り返ると、彼女が真っ直ぐこちらを見ていた。


「翔太君……隣のクラスの不動君も、昨日から戻ってきてないんだよ」


頭が、一瞬真っ白になる。


「え、翔太が……?」


確かに、彼には中に入らないようにって、きつく言っていた。

でも……翔太のことだ。


誰かの叫び声でも聞こえたら、一目散に中に入っていくだろう。


「櫻井君は不動君と仲が良いみたいだったから、何か知ってるかもって……」


女の子が不安そうに言う。


「ごめん……。僕も、君から聞いて初めて知ったんだ」


一瞬、沈黙が落ちた。


鳥の鳴き声が、風に乗って届く。


女の子の目が、ほんのりと潤んでいた。


「そっか……ごめんね。ありがとう」


そう言って、彼女は静かに去っていった。


「あんな女の子にも、心配かけて……」


ぽつりと、そんな言葉が漏れる。


『霊はね、怖くないのよ』


また、あの言葉が胸の奥に響いた。


「はぁ……」


僕は、手の中のパン袋をぎゅっと握りしめた。




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