昨日の僕はダメダメだった。週3で入れてるレストランのバイト。いつもの迷惑客が邪魔をして、限定メニューの最後の1つを床に落としてしまった。
どのように落としたかと言うと、相手が足を引っ掛けて僕が転んだ。ただそれだけで器も割れ、料理も散らかった。
問題の迷惑客とは違い、注文した人はとても優しい方だったのは救いだが、オーナーからは強く注意された。
そんなバイトは今日もやってくる。昨晩の疲れで眠気が襲ってきたあたりから、今いる場所の机に突っ伏していた。
「
すぐ近くで女性の声がした。ゆっくり目を開けると、整った顔立ちの少女。長くまっすぐ伸びた髪はキレイな桃色だ。
「……
「もしかしてじゃないよ! 優人が授業中寝てて、大きないびきかいてたせいで中断状態。迷惑をかけていることへの自覚を持ちなさい!」
「は、はい……。すみません……」
対して僕はなにも力になれなかった。同じ孤児院で、同じ優等生組。なのに、実力は彼女の方がずっと上。
魔法があるこの世界で、僕の才能は開花しなかった。それでも、今の魔法専門高校に進学できたのは奇跡かもしれない。
そんな過去を振り返っていると、学校のチャイムが鳴った。時間を見るとちょうどお昼の時間だ。
ちなみに僕には財布というアイテムがない。バイト代は全て学費と寮費に溶けるので、持つ意味がない。それでも――。
「優人、また学食の無料スープ飲むの?」
「う、うん。だって、学食高いし……」
「そうかな? 一番安いとワンコインで買えると思うけど……」
「ワンコイン?」
「そう、500円玉1枚で購入できるメニューのことよ」
残念ながらそんな硬貨は持っていない。財布がない時点で持ち金ゼロだ。やがて、美味しそうな香りがしてくる。
本当はみんなが食べてるようなものが食べたい。だけど、そんな食事にありつけるのは、レストランでバイトした時のまかないくらいだ。
自分で買った食べ物はないに等しい。
「そういえば、話変わるけど優人また痩せた?」
「え? そ、そうかな? あまり実感はないけど……」
「絶対痩せた! ほら腕見せて! 袖が膨らんでるもん。って、脇の部分ほつれてる!」
梨央が僕の袖を見て大声をあげる。周囲からの視線はどんどん集まっていき、背中に不自然な汗が流れた。
僕の袖を直すためバイト前に彼女の寮に行くことになり、変な感情が込み上げる。これは、何なのだろうか?
胸の高鳴りが襲ってきて離れない。彼女のことが好き? そんなこと、あるはずがない。
「優人は席取っておいて。少しでも栄養価の高いもの食べないと、持たないでしょ?」
「け、けど。梨央が持ってるお金だよね。僕のことは大丈夫だから……」
「それでも! 孤児院にいた時誓ったでしょ!」
「そ、それは……」
――お互い亡くなった親の分まで生き続ける――
「わ、わかったよ……。おすすめ……教えてくれるんだよね」
「ええ、そうよ。じゃ、席取りよろしく〜!」
「うん……」
梨央と別れ、僕は席を探した。出遅れたせいでほとんどが埋まっている。みんな仲間の輪を作り、談笑したりゲームをしたり。
あれはなんだ? それぞれ綺麗にデコレーションした薄っぺらいなにかを操作している。後ろから覗くのはやってはいけないことだが、気になって一人の生徒の手元を見る。
薄っぺらい板が煌々と光っていた。こんなもの手にしたことがない。映し出されているのは、カレンダー? しかも数年先まで確認できるようだ。
「優人?」
「あ、え、えーと……」
「もしかして、それ気になるの?」
「う、うん……」
「なら、私の見せてあげる。ほら、知らない人のはブレて見えづらいでしょ?」
たしかにそうだ。近くに座る人のを見ても、頭で隠れてじっくり見ることができない。僕は梨央に手を引かれ、偶然空いてたのか知らない2人席にやってきた。
梨央はポケットから背面がピンクの板を取り出す。黒い面を上に向けて真横に置くと、そこには少し出っ張った部分が2箇所あった。
彼女が小さい方のでっぱりを押すと、真っ黒だった表面が明るく光る。これは魔法? でも、魔力を感じない。魔法具ではないようだ。
「梨央。これは」
「スマホよ。あなたってほんと時代遅れね。普段バイトのシフトとかってどうやって管理してるの?」
「え?」
それを聞いて、僕はポケットから折りたたんだ紙を取り出す。紙を開くとA4サイズの大きさになり、ひと月分のシフトが書かれていた。
もちろん今日の日付は丸がついている。下の枠に書かれているのは勤務時間。今日は20時から翌の朝5時までだ。
まかない目当てで勤務しているが、昨日のような失敗はできない。
――ピピピピピ!
どこからか甲高い音が響いた。スマホが振動して少しズレている。さっきまでシフト表を眺めていたことで、その大音量に一瞬心臓が止まるかと思った。
「料理ができたみたい。ついてきて」
「う、うん」
「あ、優人。ここになにか目印作っておいて」
注文が多い少女だ。梨央が行動をする前にコップ置き場からコップを持ってきて、魔法で水を注ぐ。
「また、魔力水? それ最終的に飲むんじゃないでしょうね?」
「そ、そうだけど……」
「はぁ……。身体は大丈夫なの?」
「な、なんとか……やってます……」
完全に僕の思考を読まれているようだ。たしかに昼間は学食の無料スープか、先程作った魔力水だけ。このエリアでは買い物はしない。
というよりも。孤児院を出た時数万あったお金はあっという間に消えてしまった。
今働いている場所でも、手に入るのは万単位ではあるが片手で数えられる枚数。それすらも学費と寮費に消えてしまう。
「まあいいわ。こっち。ついてきて」
僕は梨央のあとを追った。最初についたのは、何やら醤油の匂いがする店。
彼女の情報によると、この学食は街のチェーン店と提携していて、そこの料理を手頃価格で食べられるらしい。
それでも、僕にとっては高級料理。この感覚がみんな普通だと思っていたが、目に映る人みんながものすごく美味しそうな料理を食べていた。
「注文番号を教えてください」
店員さんがそういうと、梨央はスマホの画面を見せながら。
「128番です」
と答えた。
『では、こちらですね。ごゆっくり』
「ありがとうございます」
彼女が受け取ったのは、大きな器に茶色いお湯の入ったもの。どうやら醤油ラーメンを頼んだようだ。孤児院では人気メニューで、すぐに売り切れていたのを思い出す。
「だけど梨央。僕のは?」
「あなたのは。あっち」
「え?」
梨央が別の店を指さす。そこに向かうと、フレークとは違う、カラフルなものを牛乳で浸した食べ物。孤児院では出てこなかったメニューだ。
「これは?」
「フルーツグラノーラ。今女子の周りで人気なの。私はちょっと合わないんだけど、とても腹持ち良いみたいだから」
「そうなんだ……。あ、ありがとう梨央」
そうして僕たちは席に戻った。そういえばスプーンを持ってきていなかった。急いで取りに行こうとすると、梨央に止められる。
どうやら僕の出番はないようだ。ということで大人しく待つことにする。少しして梨央は大きなプラスチックのコップを2つ、トレーに乗せてやってきた。もちろん僕が使うスプーンもある。
コップの中身はというと片方は黄色。もう片方は緑色でどちらもあぶくが下から上へと浮いている。これは飲み物? 飲むとしても魔力水だけで済ます僕には、そう捉えることができない。
「梨央。それ飲めるの?」
「飲めるよ。この黄色い方がジンジャーエールっていって、少し辛いかな? で、緑色の方がメロンソーダ。炭酸初心者には優しいやつ」
「ジンジャーエールとメロンソーダ……」
「優人はどっちが飲みたい?」
「いや、僕はいい――」
とはいえ、味はものすごく気になっていた。本音はどちらでもいいが、知らないうちに梨央がメロンソーダを飲み始める。
そうなると、僕が飲むのはジンジャーエールしかない。恐る恐る手を伸ばす。触れた瞬間感じたことのない冷たさに手が震えた。
「あ、ごめん……メロンソーダの方が良かった?」
「う、ううん。大丈夫。そっちも気になるけど、ジンジャーエールも気になってきたから」
「けど、それ辛口だよ?」
「だ、大丈夫だって……」
ゆっくり手前に引き寄せ。ストローをさしこむ。静かに吸い上げると、口の中がピリリと痺れた。これがジンジャーエールなのか。
思った以上に美味しい。ふと我に返るとコップの半分まで飲み干していた。また飲みたいと願ってしまうくらいの味だ。
「梨央これ美味しいね」
「でしょ! おかわり持って……。って、グラノーラがふやけてるよ!」
「え。あ、ほんとだ。完全に牛乳を吸っちゃってる」
急いで食べ始めると、口に入ったもの全てがふにゃふにゃで、あまり美味しく感じなかった。今度は用意されてすぐに食べようと、心の中で反省する。
梨央はというと、ちょうどラーメンを食べ終えたところだ。まだ足りないのか、席を立ち離れていく。
5分後。フルーツがたくさん飾られたパフェを持ってきた。孤児院でも出てきたけど、それは小さなカップに数個果物がのったもの。
しかし目の前にあるのは、それとは比べ物にならないくらい大きい。器のサイズも見た事がない大きさだ。
「梨央。それも食べるの?」
「うん。デザートは必須だよ。優人も食べてみる?」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
よく見てみると、茶色いソースがかかっている。口に入れるととても甘かった。チョコだ。昔、親がよく用意してくれた思い出が蘇る。
「優人! 優人!」
「あ、ごめん……。久しぶりにチョコ食べたから」
「なんだ、そういうことね。そろそろ午後の授業が始まるし片付けましょ」
「わかった」
僕は梨央と一緒にトレーを返却しにいく。彼女が言った通り、胃が重く感じた。フルグラを甘く見すぎていたかもしれない。これなら深夜まで持ちそうだ。
午後の授業は体育館で行われるとのこと。この高校に在学している生徒全員が対象のようで、館内は賑わっていた。
2年生になってもなお、身長の低い僕は前から10番目。整列が完了すると、ステージから一人の男性が出てきた。
この学校の校長先生だ。長く伸びた髭はまるで長老のようで、背中がくの字に曲がっている。彼は、かつて軍事の指導者をした人。
ここは全国の孤児を中心とした学校で、国籍も様々だ。
「みな集まってくれてありがとう」
校長先生が一言そう言う。
「今日集まってくれたのは、系列の大学生からの研究報告を聴いて貰うため。それ以上はない。ただ、今回は少し状況が違ってな」
先生の声色が暗くなる。なにか問題があるのだろうか? 空気が張り詰める。生徒一人一人がざわめきはじめ、顔を合わせる人もいた。
こんな状況になったのは、たしか小学生の時だ。あの時も学校でこうして集まり、先生からの重大発表を聞かされていた。
あんなこと、もう二度と起こらないと思っていたが、当時と同じ空気だと感じた。僕たちは社会と脅威に踊らされている。
若い力が必要と言われ、子供なのにも関わらず戦闘の最前線に投げ込まれ。そんな歴史があるこの世界で踊らされている。
幸い僕は戦場には出なかった。いや、出た方が良かったのかもしれない。
「今日みなに聴いて貰いたいことは、ものすごく大事な事だ。これ以上ないほどにな。私もまさかこうなるとは思わんかったくらいだ」
校長先生の発言のあと、少しだけ人の気配を感じた。その場所は舞台袖の奥。この感覚は僕もよく知っている。
冷気を纏ったオーラ。それを自然に放てるのは一人しかいない。僕は身体を捻って舞台袖を見る。けれどもその必要はなかったようだ。
「ではここで交代しよう。魔法専門大学所属1年の
『はーい!』
舞台の垂れ幕から明るく高い声が聞こえた。バイト先でよく聞く透き通った声だ。やがて青年が小走りでやってくる。
身長はとても高く、背筋もピンと伸びている。顔は整ったいかにもイケメンと思えるパーツ。髪は水色に染めていて、前髪に白いメッシュが入っていた。
「皆さんはじめまして、ボクの名前は中谷怜音と言います。校長先生。本日はお招きいただきありがとうございます」
「どうも、怜音君は我が校の卒業生。久しぶりに来てどう思った」
「とんでもない。たしかにここに来たのは久しぶりですが、生徒も増えて嬉しい限りです」
怜音はそう答え一礼をする。その動きは流れる水のようになめらかで、無駄がなかった。バイト先でも、余分な動きがなくどの動作もスムーズ。それが彼のいい所だと思っている。
年齢では彼の方が上だがバイト歴では僕の方が先輩。彼が言うには僕の背中を追いかけて入ったと言っていた。
「では本題に移ろう。怜音君。あとは任せる」
「わかりました。校長」
校長先生と怜音の会話が終わり、館内は静まり返る。先生は足を引きずりながら舞台袖に消えた。