人生の転機は、いつだってスイッチバックと共にある。
「ママー、アイス買ってー」
鹿児島本線・肥薩線。山間部の真緑の新緑の合間を抜ける、真っ赤な車体のレトロな2両編成の列車。芽吹きはじめた樹木を映す車窓。ガタゴトと弾み大げさに揺れる車輪。観光客が明るく話し込む車内。
鹿児島、宮崎、熊本を結ぶ観光列車、”いさぶろう・しんぺい号”。
「自分で買いなさい。バイトしてるんだから、お金持ってるでしょ」
家族連れやカップルで賑わう週末の観光列車。その後方の2人がけのボックス席に座る私は、向かい合う大学生の娘の子供じみた態度に肩を竦めた。
アジサイの咲く季節になり、仕事が閑散期に入った私は、長めの休暇を取って地元である鹿児島県に返ることにした。特に大きな理由はなかった。ただただ、思い付きだった。仕事一筋の夫は反対もせず、二つ返事で了承をした。
そして転勤族の夫と暮らす賃貸マンションのある東京から、鹿児島空港までの航空券のチケットを取ろうとしたとき、就活を終えて暇を持て余した娘が一緒に行きたいと言い出した。写真映えを好む彼女はスマホで観光スポットを検索し、この観光列車の”いさぶろう・しんぺい号”にたどり着いた。
私たちは東京から熊本まで新幹線でやって来て、熊本から鹿児島までこの観光列車に揺られている。私は父と何度も乗ったこのレトロな真っ赤な車体に、今日は初めて娘と乗り込んだ。
「えー、ママのケチ。フルタイムで働いてるママの方が、アルバイトの私より何倍も裕福なのに」
膨れっ面の娘が呆れたように首を横にふり、私に向かって手を差し出す。私より30 も若い娘は人生の春を謳歌していて、季節外れに短いスカートを履いていた。娘は下着が見えるのを気にせずに、大きく足を組み変えた。
何度注意しても変化のない娘の仕草や服装に、私は小さくため息をつく。娘は気にした様子もなく、私をじっと見つめ続ける。私は観念して、ブランド名が誇示するバッグから財布を取り出し娘に差し出した。
「真幸駅に着くまでには食べ終わりなさいね。スイッチバックの最中に食事をとると、きっと酔ってしまうから」
私は車窓をゆっくり開けつつ、娘に忠告をする。人の手の入らない深緑の木々と青い小川のコントラストが、隔てる窓が無くなった視界にくっきりと焼き付けれる。
「スイッチバック?」
娘が私の財布を開きながら尋ねる。車内に入り込むのどかで澄んだ淡い風が、彼女の長い髪さらって消滅していく。
「急勾配の山を登るために、ある方向に進むだけではなくて、反対の方向に退行したりしながら、鋭角的に山肌を進む手法よ」
「もっと簡単に表現して」
「山道があまりに急だから、ジグザグに進むのよ。列車には、前と後ろに運転席があるでしょう? その両方を交互に使って、前後しながらちょっとづつ登るの。人間の登山道がまっすぐな道ばかりではないように、列車だってジグザグに進む方が効率がいい時だってあるのよ」
「ふーん。色々あるんだね」
娘は興味なさげに頷き、流行りの奇抜なカラーのバッグからスマホを取り出した。シックで座席で、彼女は満面の笑みで私とともに自撮りをする。そして流れるような動作で、スマホを窓外に向けた。