「『マリナさんの手紙』が届いたら、ヤバいらしいよ」
給食の時間。同じ班で机を寄せ合って、いただきます、と食べ始めたところ、向かいの席の
「なんで今そんな話すんだよ」
「しょーがないじゃない、思い出したんだからぁ」
愛蘭はそういうと、給食のカレーをひとくちだけ食べてから、こんな話を始めた。
ある日突然、自宅の郵便受けに赤い封筒が入っていることがあるらしい。中には白い便箋に赤いペンで、子どもが書いたような拙い文字の手紙が入っていて、その家に住む子ども宛にこう書かれている。
『□□□ちゃんへ
あなたはマリナさんのお友だちに
エラばれました。
○月×日、△時におむかえにいきます』
指定された日時は、必ず一人で留守番をしなければならない日づけが書かれているらしい。
そしてその日その時間、子どもだけで留守番をしていると「迎えにきたよ」という女の子の呼びかけと共に、玄関ドアをひたすらノックされるのだとか。しかもそれは、大人が帰ってくるまで止まることはないらしい。
「それでね、もし耐えきれずうっかり開けちゃったら、迎えにきたマリナさんに連れていかれちゃうんだって〜〜」
愛蘭がイタズラっぽく話す様子に、雪弥をはじめ黙って聞いていた同じ班のメンバーはそれぞれに嫌な顔をする。
「もー、やめてよ宮橋さぁん……」
特に怖がりで引っ込み思案な
愛蘭の隣の席に座っていた
「そんな話、誰に聞いたの?」
「同じ塾の子よ。向こう隣の校区の子! でもそこの子も、違う習い事で違う校区の子に聞いたんだってさ」
「じゃあ、この辺の話じゃないわけだ」
クラスの中でも頭ひとつ背の高い
「でも、同じ市内での話だし、留守番してたはずの子がいなくなっちゃった、っていうのは本当よ!」
「アホらし……」
嬉々として話を続ける愛蘭に、雪弥は呆れたように息を吐く。
「なによー。瀬尾くんは怖いと思わないの? そのうち届くかもしれないわよ?」
「だって普通に考えて、普段から一人きりの子どもを狙った大人の仕業だろ?」
「俺もそう思う」
雪弥の答えに智広が呆れたように同意した。
「もしそんな手紙が来たら、きちんと大人に相談して、対策すればいい。それだけのことだ」
カレーを口に運びながら、雪弥は淡々とした口調で答える。
「それが、普段から留守番なんてしないような子のところにも、手紙がきたらしいんだよね」
「どういうこと?」
「なんかね、その決められた日に、予定なんて全然なかったはずが、突然留守番を頼まれちゃうんだって」
驚いたような顔で訊いてきた楓に答えながら、愛蘭は「不思議だよね〜〜」とカレーを食べ始めた。
「じゃあ、その手紙がきたって家、盗聴でもされてたんだろ」
「そーそー。手紙だって、パソコン使えば子どもっぽい文字で作ったりもできちゃうし」
「そんな非現実的なこと、あるわけないって」
智広と雪弥の二人で、鼻で笑うように言ってみせても、愛蘭はなんだか納得のいかない顔をしている。
「えー。でも瀬尾くん、月夜地区の『幽霊屋敷』でそういう体験したんじゃないの?」
愛蘭の言葉に、同じ班の全員分の視線が雪弥に集まった。
さすがの雪弥も、口の中のものをゴクンと飲み込んで一息おく。
「……あれは別に。幽霊を見たわけじゃねーし」
つい先日、
一部の児童は、倒れていたその子が夜にフラフラと屋敷に向かう様子を目撃しており、幽霊に取り憑かれていたのでは、という噂が広がっていた。
雪弥が助けに行った際、その四年生は終始ボーッとしており、状況からして首を吊ろうとして失敗したような状況だったので、取り憑かれていたというのはあながち間違っていないのかもしれない。
──あんな様子も見たし、幽霊とかお化けみたいなものはいるんだろうな、とは思うけど。
しかしながら、はっきりお化けを見たわけではないので、実感はあまりなかった。
ちなみに、幽霊屋敷に四年生が出入りしていることを教えてくれた、謎の一年生については、結局誰だったのかは分かっていないし、調べていない。
つい口籠ってしまった雪弥に、月夜地区に住む彰一がおずおずと口を開く。
「でも、月夜地区の子達は瀬尾くんのおかげであの幽霊屋敷がなくなったって喜んでるよ」
結局あの幽霊屋敷は、騒動の後すぐ取り潰しになったらしい。
「まぁ、役に立ったならいいけど……」
彰一の言葉にそう返して、雪弥は残りっていた給食のカレーを口の中にかきこんだ。
☆
「『マリナさんの手紙』?」
「そう、知ってる?」
雪弥はいつものように、お風呂上がりの髪を乾かしてくれている
「さすがに知らないなぁ」
「じゃあやっぱ、ただの噂なのかなー」
天崎肇は雪弥の家のお隣に住んでいる、幼馴染で大学生のお兄さんで、両親が共働きで誰もいない夜、雪弥はこうして肇の家に泊まらせてもらっている。家族ぐるみで仲がいいので、肇とは気の合う兄弟のような間柄だ。
夕飯後にお風呂をいただき、今は寝支度をしている真っ最中。
肇はうーん、と何か考えるような顔をしながら、使っていたドライヤーを片付けると、スマートフォンを取り出して何かを調べ始めた。
「その噂は知らないけど、市内で行方不明の子がいるっていうのは本当なんだよね。ちょうど今朝、ニュースで見かけたんだけど……」
そう言って、肇は雪弥にあるネットニュースを画面に表示して、スマートフォンを差し出す。
よく聞く新聞社のネットニュース。
それを読むと、確かに銀星町に比較的近い街で、一人で留守番をしていたはずの小学生がいなくなった、ということが書かれていた。
普段からよく留守番をしていた子なので、一人で外に出て事件に遭ったのか、家出をしてしまったのか判断がつかない状態らしい。
「……一人で留守番してた子がいなくなった、ってのはハッキリしてるんだな」
「もしその噂の通りなら、留守番の子を狙う人がいる可能性もあるよね」
「うん……」
もしかしたら、こういう事件にありもしない尾鰭がついて『マリナさんの手紙』のような噂話が生まれた可能性だってある。
「……雪弥くんも、気を付けてね?」
「だーいじょうぶだって。オレの場合は、肇兄の家にいればいいんだし!」
「そうだね。そうしてくれると、僕も安心だなぁ」
心配そうな肇に向かって、雪弥はニッコリと笑ってみせた。
☆ ☆
「雪弥、ちょっといいか?」
翌日昼休み、別のクラスの
「ああ、遥斗どうした?」
「うん、ちょっと……」
教室では話しにくいことなのか、促されるままついていくと、教室階の端にある階段まで連れて行かれた。そしてそこには、夕暮れ地区に住む三年生・
「よぉ、太一じゃん。どうかしたのか?」
「……りぃーだぁー、どうしよぉぉぉおおお」
雪弥が話しかけると、糸がプツンと切れてしまったかのように、太一がボロボロと大きな涙をこぼして泣き始めた。
「えっ、なんだ? どうした?」
ちなみに『リーダー』というのは雪弥のことで、同じ地区の下級生たちの殆どが『困り事』を聞いてくれる雪弥を、親しみを込めてそう呼んでいる。
今回困っているのはどうやら太一本人らしいのだが、しゃくりあげるばかりで話をするのは難しそうだ。雪弥はやれやれと息を吐いて、三年生の中でも小さい太一の頭を優しく撫でる。
その様子を見ていた遥斗が、困ったように頭を掻きながら口を開いた。
「あー、えーっと。雪弥は『マリナさんの手紙』って噂、知ってるか?」
「ん? ああ、それなら同じ班の宮橋から、昨日得意げに聞かされたばっかだぞ」
雪弥は昨日の給食の時間を思い出しながら、ウンザリしたように答える。
「知ってるなら話がはやい。なんかあれさ、本当らしいんだよね」
「……は?」
分かりやすく困惑した顔をする雪弥に、本人の性格をよく知る遥斗はどこか申し訳なさそうな顔で、一つの赤い封筒を差し出した。
それを見た途端、雪弥の眉間には皺が増える。
「げっ。まさか、コレって……」
「その『まさか』だ」
差し出された封筒を受け取ると、雪弥は嫌そうな顔をしつつもまじまじと観察した。
どこにでも売っていそうな、ハガキサイズの暗い赤色の紙でできた封筒。表と裏と見てみるが、宛名や差出人らしきものは書かれていなかった。
「何日か前に、太一の家に届いたんだって。コイツ、俺と同じマンションだから、今朝来る時に一緒になったんだけど、その時に相談されてさ」
封筒を開けて中を見ると、白い便箋が半分に折りたたんで入っている。取り出して開くと、薄いグレーの罫線の上に赤いペンで書かれた拙い文字が並んでいた。
『タイチくんへ
あなたはマリナさんのお友だちに
エラばれました。
○月×日、△時におむかえにいきます』
少し角張った、サイズの安定しない文字で書かれた内容は、噂の通りに理不尽なもの。
雪弥は口をへの字に結びつつ、ようやく落ち着いてきた太一に尋ねる。
「太一って、留守番多いのか?」
「う、ううん。でも最近、おばあちゃんが病気になったからお母さんがお見舞いにいったりしてて、たまにお留守番してる……」
手の甲で涙を拭いながら、太一が沈んだ顔でそう言った。
慣れない留守番で不安なところに、噂の怖い手紙を受け取ってしまったのだから、心細そさは人一倍だろう。
「……そうか。じゃあこれ、親には話したのか?」
「うん、でもぉ……」
「言ったけど、ただのイタズラだろうって言われて、相手にしてくれなかったんだってさ」
しょんぼりしながら口篭る太一の頭を撫でながら、遥斗が代わりに答えた。
遥斗の話によれば、この手紙はマンションの出入り口にある郵便ポストではなく、玄関ドアのポストに入っていたらしい。
つまり相手は、明確に太一の家を把握しており『タイチ』とカタカナで書かれた宛名も、太一自身を差していることになる。
気持ち悪いのと怖いのとで、指定された最初の日は友達の家に遊びに行ったらしい。しかしその次の日、また手紙が入っていたのだとか。
「えっ。じゃあこれって二回目の手紙?」
「そうらしい」
遥斗が難しい顔をして頷くのを見て、雪弥は改めてもう一度封筒を見つめた。
最初は噂を知った誰かのイタズラだろうと思ったのだが、銀星小学校で『マリナさんの手紙』の噂が話されるようになったのはここ数日のこと。話を聞く限り、それよりも前に太一の元へ一回目の手紙が届いているので、この地域の人間がイタズラでやった可能性が消える。
「……厄介だなぁ」
「時期を考えると子どものイタズラじゃなさそうだし、大人がそれっぽく作っただけだとは思うんだけど……」
しかし、手紙の文字は低学年の児童か、それより下の年齢の子どもが書いたように見える。
「うーん。じゃあ、虎太郎に聞いてみるか? あいつ、こういうの詳しいだろ」
「そうだな」
雪弥の提案で、三人は夕暮れ地区の隣にある、月夜地区のリーダーである
「あ、雪弥くんに遥斗くん。どうしたの?」
「虎太郎!」
「ちょうどよかった、来い来い!」
「え、なになに?」
図書室に行くつもりだったらしい虎太郎の袖を引っ張って、階段の近くまで戻ると、困惑する虎太郎に例の赤い封筒を見せつける。
「お前これ、何か知ってるか?」
最初はポカンとしていた虎太郎だったが、目の前にあるのが噂の封筒と同じ色だと気付くと、すぐに顔を真っ青にした。
「赤い、封筒……。え、もしかしてあの『マリナさんの手紙』!?」
「実はちょっと前に、太一の家に届いたらしくてさ」
雪弥と遥斗は、驚愕の表情で固まった虎太郎に、一緒にいた太一の肩を叩きつつ事情を説明する。
「──まぁ、そういうわけで。大人が作ったやつかどうか、虎太郎なら分かるかなーって思ってさ」
「お前、そういうパソコンのこととか詳しいじゃん」
「わ、わかったよぉ」
虎太郎は不安そうな顔を浮かべる太一をチラリと見ると、おっかなびっくりで手紙を受け取り、中身を確認しはじめた。
丸いメガネをずり上げつつ、紙を鼻先まで近づけて、じっくりと見ていたが、しばらくして、虎太郎は大きく息を吐く。
「……たぶんこれは、本当に子どもか、少なくとも人間が手書きしてるものだと思うよ」
「えっ」
虎太郎の説明によれば、もしもパソコンを使って作るなら、同じ文字はまったく同じ形になるはずだが、手紙の文字は同じ文字でも全部字形がバラバラ。そのうえ、書かれている文字の滲み具合から、印刷用のインクではなく、マジックペンか何かを強く押し付けながら書いているように見えるそうだ。
「てことは、めちゃくちゃ字の汚い大人が書いてる、とか?」
「まぁ、その可能性もあるかな」
そうなるとこれはやはり、噂の『マリナさん』本人からの手紙なのかもしれない。
しかし、本物であるなら、投函した何者かは留守番中の子どもを狙う、誘拐犯ということになる。留守番中の子どもを狙うような犯罪者が、筆跡の分かる物証をその家に送るというのは、あまり合理的とは言えないが。
「犯罪者がそんなことする?」
「それなんだよなぁ」
怖がらせるのだけが目的のイタズラなら、指定の日にいなかったからと二通目を投函する意図が分からない。
そしてもう一つ、本物である場合の問題点。
この指定の日時に誰かが『迎えに来る』可能性があるということだ。
「なぁ太一。手紙に書かれてるこの日は、留守番を頼まれていたりするのか?」
「ううん、頼まれてはいないけど。でも、おばあちゃんの具合次第だから……」
心配そうな顔で首を振る太一をじっと見ていた雪弥は、ああそうだ、と思いついた顔で大きく頷く。
「よし。じゃあ、その日はオレたちが遊びに行くから、一緒にいてやるよ」
「え、いいのぉ!?」
雪弥の言葉に、太一が嬉しそうな顔を上げた。
「もし留守番することになった場合、一人でいたら危ないかもなんだろ? それなら他にも子どもがいれば安全だと思うんだ」
犯人は子どもが一人で留守番しているところを狙っている。ならば一人きりにしなければいいのだ。
「なるほどな。もし留守番にならなかったり、何も起きなかったとしても、それはそれでただの悪戯だったで終わるし、いい考えだな」
遥斗が雪弥の提案に頷くと、虎太郎がハッとして顔を上げる。
「え。ちょっと待って!『オレたち』ってことは、ボクも!?」
「いーだろ! 人数多い方が誘拐犯にも対抗できるだろうし」
「そうそう。相手が何人で来るかわかんねーんだし、虎太郎も来てくれよ」
「ええー……」
困ったような顔をして、虎太郎は図書室に返しに行く予定の本を両手でぎゅっと抱きしめた。ちらりと下級生である太一を見ると、キラキラと期待いっぱいの眼差しでこちらを向けている。
月夜地区のリーダーもしている虎太郎としては、困っている下級生を見過ごすことは出来ないので、はぁ、と大きく息を吐きながら頷いた。
「仕方ないなぁ、わかったよぉ……」
☆ ☆
三日後。授業が終わると雪弥は、遥斗と虎太郎を伴い、太一と一緒に彼の自宅マンションへと向かう。遥斗も同じマンションなので、遥斗は一度自宅に戻ってランドセルを置いてから太一の家にやって来た。
「お邪魔しまーす」
部屋はよくある2LDKのファミリー向けマンション。玄関から伸びる短い廊下の先にすりガラスの中扉があり、開けると広いリビングになっている。リビングの奥にはキッチンと、さらに奥の部屋に通じる廊下が伸びていた。
リビングはきちんと片付けられていて、冷蔵庫に貼られたホワイトボードにオヤツの場所と、何時ごろに帰るかの伝言が書かれている。
遥斗の家に遊びに行ったことのある雪弥は、同じ間取りでも住む人で雰囲気は変わるのだなぁと感心していた。
「それで今日は結局、留守番することになったんだな?」
リビングのソファにランドセルを置きながら雪弥が尋ねると、太一は玄関の鍵とドアチェーンを掛けた後、暗い顔で頷いた。
「今朝、おばあちゃんの具合が急に悪くなっちゃって、放課後は一人で留守番しててって」
「俺たちが来ることはちゃんと言ってあるか?」
「うん! リーダーに一人でお留守番するの怖いって相談したら、その時は遊びに来てくれるって言われたよって、言ってある」
「よし、偉いぞ!」
太一の両親にあのイタズラのような手紙が誘拐犯からのものかもしれないという話をしても、別の意味で心配をされるかもしれないので、太一には『慣れない留守番が怖い』という分かりやすい理由を伝えさせておいたのだ。
子どもだけで犯罪者を捕まえる気はない。大人にはもう少し具体的な証拠を掴んでから、あの噂話と一緒に相談するつもりだ。
「しかし一番分かんないのは、なんで太一のお祖母さんが今日具合が悪くなるって知ってたか、だよなぁ」
冷蔵庫のホワイトボードに書かれた伝言を見つめながら、遥斗がうーんと考え込む。
手紙が投函されたのは何日も前。それなのにどうしてピンポイントで、一人になる日を予測できたのだろうか。
「やっぱ、盗聴器とかがあって、大人同士の話から推測とかしてるんじゃねーの?」
病院からの電話など、大人同士の会話を盗聴できれば、そういった具合の悪そうな日も予測できるのではないだろうか。
「よっし! 時間までに見つけてやろうぜ。虎太郎、調べる奴もってきたか?」
「う、うん。一応……」
雪弥に言われ、虎太郎はランドセルの中から妙に大きくて四角い物体を取り出した。見た目はなんだか黒いトランシーバーのように見える。
「これは?」
「盗聴器発見器だよ」
「なんでそんなの持ってんの?」
「昔、お姉ちゃんがストーカーされてるかもって騒いだ時に、買った奴で……」
虎太郎の言葉に、遥斗は一度だけ会ったことのある虎太郎の姉の姿を思い出していた。おっとりした虎太郎と違い、意見をハッキリと言う、とても美人な女性だったので、そういうこともあるかもなぁと納得する。
電源を入れると、盗聴器発見器は、ジジ……ジジ……と短いノイズを発し始めた。盗聴器から出る特殊な電波を拾うため、このような音が出るらしい。
「よし、じゃあまずリビングから!」
盗聴器発見器を持って歩く虎太郎の背中に残りの三人がくっついて、家中の部屋を回り始める。
テレビのあるリビングや、キッチン。太一が普段過ごしている子ども部屋に、ご両親の寝室もこっそりと入って巡ってみたが、盗聴器発見器は一定のノイズを発し続けるだけで、大きく反応はしない。
「うーん、見つからないもんだな……」
「あとどこだ?」
「えーっと、たしかお風呂場やトイレにも設置されてることがあるって聞いたよ」
虎太郎の言葉に、お風呂場やトイレも見て回ったが、結果は変わらなかった。
「やっぱりない、みたいだね……」
「壊れてんじゃねーの!?」
「お、お姉ちゃんの時はコレで見つかったもん!」
「マジかよ、こわ……」
話を詳しく聞いてみると、姉の時はプレゼントでもらったぬいぐるみの中に盗聴器が入っていたらしい。
美人な姉がいると大変だなぁ、と同情しつつ、家中に置かれたぬいぐるみもチェックしてみたが、太一の家のぬいぐるみには入っていなかった。
「しかし、盗聴器もないってなると、どうやって知ったんだろうな?」
雪弥が腕組みして息をつく。
盗聴器発見器を見つめながら、虎太郎はポツリと呟くように言った。
「あんまり考えたくないけど、もしかしたら『マリナさん』って本当に……」
ピーーンポーーン……。
言葉を遮るように、唐突に玄関のチャイムが大きく鳴り響く。
慌ててリビングの時計を見ると、盗聴器探しに夢中になっていたせいか、いつの間にか指定された時間になっていた。
「……きた!」
四人は慌ててリビングの中扉近くにあるドアモニターを見る。
しかし、そこには誰も写っていなかった。
玄関前の誰もいない外廊下の様子を画面に映したまま、インターホンは鳴り続ける。
「……誰もいないのか?」
「もしかして、背が低くて映らないだけ、とか……」
設置されているインターホンの撮影範囲的に、大人の膝くらいから下は死角になってしまうのだ。なので、小さな子どもが背伸びなどして押した場合、映らない可能性もある。
投函された手紙の、子どもが書いたような文字を思い出していた。
悪戯をして誘拐するのだから、てっきり差出人は大人だと思っていたが、差出人が子どもなら、迎えにくるのも子どもだという可能性があってもおかしくはない。
チャイムの音が室内に鳴り響くなか、廊下だけを映し続けるドアモニターを見つめたまま、四人は動くこともできずに固まっていた。
もう十回以上は鳴らされただろうか。不意にチャイムの音がピタリと鳴り止んだ。
「……諦めてくれた、のか?」
「なんだ、それなら……」
もしかしたら、たまたま宅配の人が見えない位置にいたのかもしれない。もしくは、鳴らしていた人が間違いに気付いたのでは、などと前向きなことを一瞬だけ考えたのだが、ドアモニターの画面はまだついたまま。
このマンションのインターホンはチャイムを鳴らした時にセンサーが反応するタイプで、音を鳴らした何かしらが居るかぎりは、ドアモニターがつきっぱなしで録画され続けるタイプだ。
ということは、まだその『なにか』は玄関ドアの向こう側にいる。
静まり返ったリビングで固まったまま、四人が息を飲んでいると、今度は玄関ドアのほうから小さな音が聞こえてきた。
トントントン、トントントン
四人は一斉に閉じたままの中扉に視線を向ける。
すりガラスの向こうは薄暗く、玄関ドアがあるだけ。その玄関ドアの外側から、小さな握り拳が一生懸命ノックしているような音がしていた。
そっと中扉を開けて、四人は玄関ドアを窺う。
ノックの音の聞こえてくる位置が、妙に低い。
そして何か、ノックの音の隙間で、こちらに話しかけているような声が聞こえる。
「ねぇ、なんか言ってない……?」
トントントン、トントントン
〈むかえにきたよ〉
トントントン、トントントン
よくよく耳を澄まして聞いてみると、小さなノック音と呼び声が交互に続いていた。
「ほ、本当にきたぁ……!!」
太一と虎太郎は小声で叫びながら腰を抜かし、リビングの床に二人、抱き合うようにして座り込む。
遥斗は誰もいない外廊下を映したままのドアモニターをじっっと見つづけていたが、ふと画面の端に何かがちらついてるのに気付いた。
「雪弥、なんか映ってないか?」
言われて、玄関ドアを見続けていた雪弥もドアモニターに眼を凝らす。画面の下の方、端のほうで赤い何かが揺れている。
チラチラと映り込むそれは、帽子の縁のようにも見えた。
やはり玄関ドアの向こう側には、背の低い子どもが確実にいて、間違いなくドアを叩いているのだ。
トントントン、トントントン
〈むかえにきたよ〉
トントントン、トントントン
しかし、相手が子どもとはいえ、気味が悪い。
何もできないまま玄関ドアを睨みつけていると、次第にトントントン、という軽やかなノック音が、ドンドンドン! と拳を力任せに叩きつけるような音になってきた。
さらに「迎えに来たよ」という声も、小さくて優しい呼びかけだったのが、まるで叫んでいるような大声になってきている。
ドンドンドン! ドンドンドン!
〈むかえにきたよ!!〉
ドンドンドン! ドンドンドン!
あまりの恐ろしさに、太一と虎太郎は耳を塞いでリビングに突っ伏していた。
しかし、なんだか妙だ。
ここはファミリー向けのマンションで、今の時間は夕方。マンションの外廊下なら仕事帰りの大人や、習い事から帰ってくる子どもも通るはずだし、同じ階の部屋の住人全員が留守だったり眠っていたりなんてことはないはず。
これだけ大きな声で子どもが叫び、玄関ドアを叩いているなら、マンションの他の住人が何事だ、と騒いでもおかしくないだ。
それなのに、そんな様子が全くない。
このままでは埒が明かない、と雪弥は玄関に向かって足を向ける。
「待て雪弥、なにを?」
「開けないって、見るだけ!」
慌てる遥斗にそう答え、雪弥は激しいノック音と叫び声の聞こえる玄関ドアに恐る恐る近づくと、すっと背伸びをし、思い切ってのぞき穴から外を見た。
丸く膨らむ視界の下の方で、鮮やかに赤い帽子の縁が揺れている。
──……いる!
流石にこれは、ただごとではない。
雪弥は飛び退くようにして玄関ドアから離れる。すると次の瞬間、ドアを叩く音の位置が、ゆっくりと変わり始めた。
玄関ドアの下のほう、大人の膝くらいの位置だったはずが、腰、腹、胸の辺りとだんだん上のほうになってくる。
そして気付けば、叫ぶような呼び声も、大人の女性の金切り声になっていた。
ドンッドンッドンッ!! ドンッドンッドンッ!!
〈ムカエニキタヨォ!!〉
ドンッドンッドンッ!! ドンッドンッドンッ!!
「……うわぁ!」
流石の雪弥も驚いて、慌てて三人のいるリビングのほうへ駆け戻る。
どうせなら、いきなり玄関ドアを開けて犯人の顔を見てやろう、なんて思っていたのに、そんな気持ちも消え失せてしまった。
「……ど、どうする?」
「どうするって言ったって……」
雪弥は遥斗と肩を寄せ合い、開け話した中扉の前で立ち竦む。人かお化けか分からないが、こんな狂った大人を子ども四人だけでどうにかできるわけもない。
どうしたら、と考えを巡らせ、雪弥はあの噂話のことを懸命に思い出していた。
『マリナさんの手紙』について、意気揚々と語っていた愛蘭は、どうやってあの話を締め括っていたか──。
「……そうだ!『大人』だ!」
雪弥は自分のランドセルから自分のスマートフォンを取り出すと、肇に電話をかける。すると三コール目の途中で出てくれた。
「は、肇兄!」
「あぁ、雪弥くん。どうかした? 今日は友達の家で……」
「ほ、本当にきた!」
いつものように、のんびりとした口調で話し始めた肇の言葉を遮るように、雪弥は思い切り叫ぶ。
「えっ、なにが?」
「ソワールマンションの三〇六号室! た、たすけて!」
「よ、よくわかんないけど、わかった!」
雪弥のただならぬ様子に、肇が慌てた声で答えて通話が切れた。
電話を終えると、バンバンと激しいノック音や叫び声が、まるで家中に響いているかのような大きな音になっている。
異様すぎる状況に、四人ともリビングの床に座り込んでしまい、どうすることもできない。
いよいよ外にいる何者かが玄関ドアを叩き破ってくるのではないか、という音を立て始めた頃、金属のような叫び声がプツっと途切れた。
ピーーンポーーン。
甲高く鳴り響く、玄関のチャイム音。
四人が驚いて一斉にドアモニターを見ると、そこには肩で息をする大学生くらいの青年の姿──肇が映っていた。
急いで雪弥が玄関に走り、開錠してドアを開けると、額に汗を滲ませた肇が立っている。
「は、肇兄〜〜!」
「みんな大丈夫!?」
ひとまず中に招き入れ、リビングでぐしゃぐしゃに泣いている太一と虎太郎を落ち着かせながら、雪弥は肇に先ほどまでの出来事を説明した。
「え〜〜〜〜! なにそれ! こわい〜〜〜〜!」
話が終わるや否や、肇が顔を真っ青にして叫ぶ。
「もー、僕はてっきり、なにか事故でもあったのかと……」
「はは、ごめん。説明してる余裕なくてさ」
給食の時間、愛蘭が話していた『マリナさんの手紙』にあった、解放される方法は『大人が帰ってくること』だ。
なので、とにかく『大人』を呼ぶことだけを考えていたので、肇への状況説明は全くできず、なんだか悪いことをした気持ちになる。しかし、お化けがいるから来て、なんて言ったら来てくれなかったもしれないので、今回ばかりは良かったのかもしれないな、と雪弥は思った。
「あ、そうだ。肇兄がここに来る時って、外には誰もいなかった?」
「う、うん。そんなに大きな声と音がしてたなら、エレベーターで上がってきた時点で気付くだろうけど。そんな音も人影も、なかったよ」
肇の言葉に、四人はそれぞれ顔を見合わせる。
あんなにはっきりと、四人全員が玄関ドアを叩く音と叫び声を聞いたのに。
「……やっぱりあれって、お化け、だったのかなぁ」
虎太郎が呟くように言った言葉に、太一がすっかり怯えてしまったので、雪弥たちは太一の母親が帰ってくるまで一緒に待つことにした。
☆ ☆
翌日の昼休み。
教室階の階段近くで、雪弥と遥斗、虎太郎の三人は顔を合わせると大きく息をついた。
「昨日は大変だったなぁ」
「本当、こわかった……」
結局、太一の母親が帰ってくるまで肇も交えて一緒に留守番をし、変な訪問者があったことを一応伝えた。ドアモニターの録画も一緒にチェックしたところ、誰も映っていないのにインターホンを鳴らされたという記録がしっかり残っていたので、マンションの管理会社にこの件は連絡はしてくれたらしい。
「そういや、また手紙がきたりはしてなかったか?」
雪弥が尋ねると、遥斗が安心しろ、という顔で頷いた。
「ああ、今朝会った時に聞いたけど、新しい手紙は来てなかったみたいだぞ」
一回目の手紙が来た時、指定の日時に留守にしていたら、翌日には二回目の手紙が来ていたそうだが、来なかったということは、これで終わりということだろう。
「じゃあこれで諦めてくれた、と思いたいな」
「だな。まぁこれでひとまず、噂の手紙の件は解決か」
「よかったぁ」
三人で一緒に胸を撫で下ろすと、虎太郎がちょっとだけ楽しそうに笑う。
「……ふふふ」
「どうした?」
「すっごく怖かったけど、なんだか僕たち『三日月少年探偵団』みたいだねっ」
「あー、子どもの悩み事をズバッと解決、っていうアレ?」
「そうそう」
最近小中学生に人気のアニメで、男の子三人組が巻き起こるさまざまな難事件を解決していくという推理作品だ。夕方にやっているので、雪弥も時々見た記憶がある。
「別に、俺たちは謎解きしてるわけじゃないじゃん……」
「でも困ってた太一を助けて解決したぞ?」
「うんうん! それに『マリナさんの手紙』が本当にお化けからの手紙だったって、真相も見つけちゃったしねぇ」
妙に楽しそうな遥斗と虎太郎に、そういえばこの二人、あのアニメ好きだったな、と雪弥は思い出していた。
「でも今回は、肇兄のおかげでなんとかなったようなもんだろ」
「じゃあ、肇お兄さんもメンバーってことで」
「『少年』じゃねーだろ」
確か『三日月少年探偵団』は、有名探偵を文字ったような名前の三人の小学生が活躍する話で、大人のキャラはいなかったはず。
「じゃあ顧問とか」
「もしくは、いつも手伝ってくれる刑事さん的な?」
「あとは名前かぁ」
「……名付ける必要あるのか?」
虎太郎と遥斗が妙に盛り上がり始めている。
「『三日月少年探偵団』にちなんで『夕暮れ少年探偵団』とか?」
「なんで夕暮れ……」
「雪弥くんと遥斗くんが、夕暮れ地区のリーダーとサブリーダーだからだよぉ。前回も今回も、結局夕暮れ地区の子の悩み事だったしさ」
「『夕暮れ少年探偵団』か。まぁ悪くないんじゃね?」
「……もう、こういう体験はいいよぉ」
ワクワクする虎太郎と遥斗をよそに、雪弥は一人、大きな息を吐いた。