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第15話 悪魔の子

「うっ……ふううっ……!」


 イーリスは残った片腕でアドニシアを引きずっていた。

 貧弱なボディではオートマトン1体分の重量を移動させるのは、かなりの時間を要する。


 にも拘わらず、二人が一つ角を曲がった先に移動したあとも、廊下ではいまだに男たちの悲鳴が轟き続けていた。


「嫌……いやぁ……! なに……なんなのこれぇ……!」


 時折、血と共に何かの破片が角の奥から飛び散るのを見て、イーリスは泣き叫ぶ。


 イーリスは初めて自分が恐怖という感情で震えあがることを知った。

 片腕を吹き飛ばされ、銃口を突き付けられても竦み上がらなかったはずの心が、男たちの狂乱の声に慄く。


 限界だ。全身の人工筋肉が悲鳴を上げ、へたりこむ。

 出来ることなら今すぐにでもこの場から離れたい。男たちの悲鳴や銃声が聞こえないところまで逃げてしまいたい。


 だが、アドニシアが気を失ったままだ。

 中身が人間とはいえ、CPUが生きていればすぐに再起動するはずだというのに。ダメージが大きいのだろうか。


 ――いや、そんな容易に彼女は自分が破壊されることを許すのだろうか。


 前回、ヘクス原体を回収した際のティアの報告を思い出す。その際、アドニシアはパワーローダーの突進を受け止めたと聞いた。

 それが本当なら、殴られた程度で失神するものなのだろうか。殴られることを許容するものなのだろうか。



 そこまで考えて、イーリスはふと気づいた。



 自分の視界の端に映るシステムログ――そこに、自分でも把握していないデータの流れが走っていることを。


 それは自分もハッキングされていることを示している。それだけはわかる。だが、イーリスには何の被害もない上に、体の自由も奪われていない。


 だというのにログが流れているということは、自分がデータをということ――。



 イーリスははっとして自分の手を見た。そこにはアドニシアの手を握る自分の……――違う! これは、アドニシアにいる。自分が握っているとのだ。


「あ……あぁ……!」


 全身に氷のような冷たい感覚が走り、イーリスは発狂するように叫んだ。


「離してえぇぇぇぇぇ! もういいぃ! もういいのおぉぉ! アドニシアあああぁぁぁ! やめさせてえぇぇぇ!」


 愛する人の手のはずなのに、その手が好きだったはずなのに。

 イーリスは震えながらその手を振りほどいた。


 アドニシアの手が床に放られる。


 すると、男たちの悲鳴がぱたりと止んだ。


「はぁっ……はぁっ……!」


 本来ならば必要のない呼吸が、情緒の急激な変化を読み取った疑似自律神経の暴走によって激しく繰り返される。


 損傷した呼吸器系に痛みを感じて、イーリスはなんとかそれを抑えようとした。いや、痛みだけではない。そうしなければ心という実在しない器官が今にも壊れそうだったからだ。


 自分の息遣いだけが廊下にこだまする。


 だが、やがて何かが這いずるような音が聞こえてきた。

 それは角の奥からだ。ずるり、ずるりと湿った音を立てながら、それは現れる。


 フロイドだった。砕けたヘルメットを半端に頭に引っ掛けながら、こちらに這いずり寄ってくる。


 彼がこちらに近づくにつれ、その全貌に気づいたイーリスは短く悲鳴を上げた。


「ひぃっ……!」


 フロイドの体は、半分だけだった。足があった場所に紐のような臓物を引き摺って、通った後に赤い線を描いている。


「貴様らぁ……悪魔めが……」


 それでも彼は生きていた。オートマトンでもない肉の身体の大部分を失いながらも、ここにきて言葉を発していた。

 だが、その怨嗟の声は逆にイーリスを安堵させる。

 この男は狂っていない。壊れていない。純粋な恨みと、尋常ではない気力がこの男をここまで連れてきている。


「いずれ、誰かが……お前たちを……」

「私たちがそんなに憎いの……?」


 イーリスはフロイドへ慈悲に近い感情を抱きながら、問いかけた。


 すると、彼は今にも光を失いそうな目でアドニシアを見る。


「お前たちの子供を……」

「え……?」

「悪魔の子を、放置するわけに――!?」


 その言葉は、突然伸びてきた手によって妨げられた。


 それはアドニシアの手だった。彼女は気絶したまま、フロイドの顔をヘルメットごと鷲掴みにしている。


 イーリスは、彼の目が見開かれるのを見た。


「あああぁぁあぁあああぁぁぁぁぁぁ!」


 強靭な精神力を持つだろう男の目が、恐怖に染まる。自らの頭部が圧壊されていく音を聞かされながら、絶望に顔が歪んだ。


 ――そして、その叫びが絶頂に達したとき、彼の顔が弾けた。


 ヘルメットごと掴んだ細く白い指が、彼の頭部をトマトのように握り潰す。


 千切れた視神経を引きずった眼球が、コロコロとイーリスの手元に転がってくる。


「……」


 生物は処理できない状況に直面するとその思考が停止する。それはオートマトンも同じらしい。


 イーリスはてらてらと光る眼球をただ眺めた。


 情緒を司るメモリーがパンクしたのか、もしくはハッキングによるものなのか。

 どちらにせよ。その時点でイーリスの意識は強制的にシャットダウンされた。



 ◇   ◇   ◇



「ふんふ~ん」


 ダイニングルームのキッチンで、私は鼻歌を歌いながら冷蔵庫を開ける。なんの歌かは知らない。ただメロディーが頭に浮かんだままに歌っているだけだ。かなりの確率で私のオリジナルかもしれない。


 私は冷蔵庫の中からレモン果汁(ブロック状)とハチミツ(みたいな味がする甘味料)取り出して、ちょっとお行儀悪く扉をお尻で閉める。


「まま~? なにやってるの?」


 すると、ディアナがとてとてと駆け寄ってきて、私のエプロンをぐいぐいと引っ張ってきた。ひとまずキッチンに両手の物を置く。それから冷たくなった指先をディアナの頬に押し付けてあげた。


「キャー!」


「つめたいね~! 今からね~。イーリスが元気になるような魔法のジュースを作ってあげるの~」


 冷たさにはしゃぐディアナ。私が説明してあげると、その目がキラキラと輝く。


「まほう!? でぃああも飲みたい!」


 あ、やっぱりそう言うよね……。


 私は迂闊に期待させることを言ってしまったことを後悔しつつ、ひとまずは誤魔化すことにした。


「うーん、ちょっとディアナには酸っぱいかもしれないな~。イーリスの分が終わったら作ってあげるから、ティアたちと遊んでおいで」


 キッチンの向こう側ではティアが謎のヒーローごっこをやって子供たちと遊んでいる。ちょっと私がやるには恥ずかしいくらいの熱演っぷりだ。……そういうのはプレイルームかメインルームでやってほしいんだけど。


 それを指差しながら言うと、ディアナは素直に「はぁい」と言って走り去っていった。


 うんうん、と聞き分けのいい末っ子の背中を見送った後、じっとこちらを見つめる小さな陰に問う。


「……コーディ? 行かないの?」

「ままのをみてる」


 コーディはキッチンの角からひょっこりと顔を出してそんなことを言った。

 アリスについて回るベルといい、男の子は結構甘えん坊なのだろうか。まぁ、コーディならイタズラはしないだろうし、一人くらいなら見ながらジュースも作れるだろう。


「そう? じゃあママと一緒にいよっか」


 そう言うと、コーディはこくんと大きく頷いた。


 作ると言っても、今出した材料を混ぜて水で割るだけだ。ブロック状のレモン果汁とはちみつっぽいものをパックから取り出して、水と共にグラスに入れる。

 途中でちょっとコーディに味見をさせると、「すっぱい」と答えが返ってきた。


 やっぱり。前にイーリスと作った時はこのくらいの方がいいと言っていたが、子供が飲むには少々ハチミツが足りないようだ。


「あとでみんなで飲むときはもうちょっと甘い方がいいかもね~」


 あとは氷をいれるだけだ。酸っぱさに口をすぼめるコーディに笑いつつ、製氷室の扉を開けようとした瞬間――頭に突き刺すような痛みが走った。


「痛っ……」


 倒れるほどではない。だが、咄嗟に冷蔵庫へ手をついた私にコーディが気づく。


「まま……?」

「う、うん……。ごめん、なんでもないよ」


 強がってみせたが、まだ頭にはじんとした痺れがあった。


「頭、痛いの? そのばんそうこう……」


 心配そうにすがりつくコーディが、私の頭を指差す。ばんそうこう……? そう言われて頭に手を当てると、湿布のようなものが張り付いていることに気づいた。


 私はそれにまったく心当たりがなかった。いつからこんなものをつけていたのだろうか。朝起きて、ずっと気づかないまま過ごしてたのかな。それとも、なんかの拍子に忘れちゃったってこと……?


「……あれ? 私、なんでこんなの――」

「ご主人様~。それは今朝がた寝惚けてぶつけていらしたのを見て、わたくしが貼ったのですわ」


 何か……すごく胸を締め付けるような感覚に襲われた私に、陽気な声がかかった。


 気がつくと、そばにベローナの姿があった。


「――……え? そうなの? そっか?」

「ええ、ちなみに壁は大丈夫……穴は開いてませんでしたわ!」

 「壁の方が心配はしてないんだけど……?」


 その顔はからかうようにニマニマと笑っている。きっと、その光景は傍から見ていて、だいぶ面白かったのだろう。私は本当に寝ぼけていたらしい。


 ……けどすっごい痛かったんだけど、私の脳みそ異常ない? 突然死のリスクとかない?


「オートマトンの体は痛みを自動で抑制する機能があるんですの。それが今になって解除されたのと思いますわ。まぁ、その程度で壊れるほどご主人様のフレームは脆くありませんけど、あとで検査して差し上げますわね」


「そうなんだ……。便利だけどそれって私が寝ぼけて腕とか折っても気づかないってことじゃない?」

「それもそうですわー。そろそろご主人様も電脳端末を導入した方がいいかもしれませんわね。きっと便利でしてよ」


 ベローナは自分のこめかみをツンツン突きながら言う。たしかに。私も時代の波に乗るときが来たのかもしれない。文明崩壊してるけど。 


 けれど、話をしていたら、だんだん痛みも引いてきた。


 これなら大丈夫そうだ。


 ベローナにお礼を言って、足元のコーディにしゃがみこむ。


「コーディ、ママね~、ドジしちゃってたみたい! けど大丈夫だよ。もう痛くないから」

「うん……」


 頭を撫でながら明るく言ってみたが、コーディの顔は中々晴れない。


 イーリスに持っていくお菓子を取り出して、そのひとつをディアナたちには見えないように口に放り込んであげると、やっとコーディは笑顔になってくれたのだった。

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