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第5話 彼女を愛してしまったから

 今日はなんていい日なんだろう。


 思っていたよりも事が上手く進んで、私は上機嫌そのものだ。片道3時間の長い道のりを引き換えすことも苦に感じない。なんだったらスキップだってしてしまう。それくらい、私の心は踊っていた。


「わっ!?」


 そんなことをしていたら、足を滑らせた。幸い、転ぶまでにはいなかったので、両手を横に伸ばしてバランスを保つ。


 いや、お恥ずかしい。


 私は照れ隠しに後ろへと話しかけた。


「床が濡れてた~。気をつけないとね」


 静かに私についてきていたティアが、顔を上げる。しかし、いつもならばドタバタと駆け寄ってくるか、私がコケた時点で支えてくれるはずのオートマトンは静かなままだ。


 何かを言いあぐねるような顔で、ぽつりと言う。


「……気をつけるんだぞ」


 その視線は私の足元に向かっていた。


 なんだろう、と靴を見てみるが、特段変なものを踏んだわけではなさそうだ。


 けれど、ティアの機嫌が悪い。一緒にスキップして帰りたいくらいなのに、なぜか無表情だ。


 なにかしちゃったかな、と考えを巡らせるが出てこない。とりあえず無言ではよくないと思い、話題を振る。


「それにしてもよかったね~」

「……なにがだぞ」

「あの人たちが素直に渡してくれて、本当によかった~。変なロボット出てきたときはどうしようかと思ったけど、話せばわかるもんだね~」


 私の手元には目的の物――ヘクス原体があった。


 最初は拳銃を持った人たちに囲まれて、いや~な感じの雰囲気になってしまった。しかも、SFチックなロボとかも出てきて一時はどうなるかと思ったけど……。


 相手も本気で私を撃ったり、殺したりする気はなかったようだ。


 こっちが本気でヘクス原体を返してほしいことを伝えたら、スペンサーという男は快く返してくれたのだ。


 最後はお互いに笑い合うくらいの仲になれたのだから、ちゃんとお話をするということは大事だと思いました!


「あるじ……」

「ん~?」


 と、ティアが小さな声で私を呼んだ。少しテンションが上がっていた私は前を見ながら相槌を打つ。


「酷いことしないって! そう約束したのに!」


 突然の大声に、私はぎょっとした。


 振り返れば、その場に立ち止まったティアが服の裾を掴んで私を睨んでいる。


「え?」


 な、なんだろう。酷いことってなにかしたかな……。


 私がおろおろしている内に、その大きな目から涙が零れるのが見えた。そして、両手にはめたグローブでそれを拭き始める。


 私は、さっき滑って転びそうになったのも忘れて、ティアに駆け寄っていた。


 ピンク色の頭をなるべく優しく抱えて、私の服に涙を吸わせるように抱き締める。


「ど、どうしたの、ティア……? 怖かった? ごめんね、付き合わせて」


 私は髪を撫でながら考えた。


 酷いこと、とは、もしかしたら乱暴に出てきたロボに私が一歩も退かなかったことだろうか。


 たしかにちょっと怖かったけど、さすがにあんなので人を轢き殺すなんて酷い真似はできないだろうと思っての行動だ。


 案の定、ロボは止まってくれたし、私も怪我をしなかった。


 けれど、私を守ってくれるためについてきたティアにとっては冷や汗もので、私を責めたくなる気持ちもわかる気がする。


 彼女はオートマトンだけれど、人とまったく同じように考えて、笑って、泣いて、心配してくれる。違いがあるとすればちょっと頑丈で髪の色が奇抜なところくらいかな? 


 それは【上位モデル】だからこそらしいけど、あんまり私は区別はしたくない。


 感情があろうがなかろうが、一緒に暮らして、一緒に子供たちの面倒を見てくれる存在は全員家族だ。


 その家族の中でも私は【ママ】なのだから、しっかりしなくちゃいけない。


「ごめん。もうしないから、本当にごめんね」


 私がしばらくしてそう言うと、ティアが顔を上げた。


 まだ完全に涙は収まっていないようで、鼻水が垂れそうになっている。そんな顔のティアもそこそこ可愛い。


 すると、ティアがハンカチを取り出した。


 それで自分の鼻をかむのかと思いきや、私の頬を拭く。


「グスッ……汚れてるんだぞ」

「あっ、そう? ふふ、ありがと~」


 それで自分の涙を拭けばいいのに、私の方を優先するところがティアらしい。


 私はポケットからティッシュを取り出すと、ティアの鼻に当てて、チーンと鼻水をかませた。


 一応、ティアは保護者側なんだけど、たまに子供たちの一員なんじゃないかと錯覚する。けれど、子供たちの前ではしっかりとする辺り、本人もオンオフがあるんだろう。


 彼女たちの力の抜きどころでいるのも、私の役目だ。


 やがて泣き止んだティアの手を握る。


 歩いて3時間、けれど3時間しかない。クレイドルに戻れば、私は4人の子供たちにかかりっきりになってしまう。ティアが私を独占できて、私もティアを独占できる時間と考えると、短い時間だ。


 そんな嬉しい悩みに頬を緩ませながら、私たちは薄暗い廊下を戻るのだった。



 ◇   ◇   ◇



 クレイドル内のガンルームに暗い雰囲気が漂っていた。


 ここはオートマトンがクレイドル内の重要な決定をする際に会議を行う場だ。子供たちは当然として、アドニシアすら滅多に立ち入ることはない。


 そこで3人のオートマトンが冷凍ケースを囲んでいた。


 青いメッシュ混じりの黒髪のオートマトン――イーリスはその雰囲気にため息をつく。


 アドニシアに同行したティアの報告を聞いたものの、誰も続きを話そうとしない。報告を終えた本人はテーブルに顔を伏せたままだし、もう一人は目を瞑って静かに言葉を待っている。


 イーリスは仕方なく口を開いた。


「そこまでの攻撃性があるなんて、ね……」


 想定はしていなかったといえば噓になる。


 イーリスたちはアドニシアの中にある二面性――別の人格といってもいい気配に感づいていた。だが同時に、それは思い過ごしなのではないか、という願いにも似た予測もあった。


 アドニシアが目覚めてから三年間、このクレイドルの中で子供たちを育てるために皆は身を寄せ合って生活してきた。


 その中で、彼女が他者を傷つけるところを、誰も見たことはない。ましてや自分自身のボディで出せる驚異的なパワーにすら気づいていない。


 自分たちのマスターはそういう性格だ。指導者としては不向きなほどに温厚――それがイーリスの知っているアドニシアという女性なのだ。


「あんなあるじはあるじじゃない……」


 重い声でティアが言う。

 彼女の目の前には、わずかに血の付いたハンカチが置かれていた。


「ティア、言いたいことはわかりますわ。けれど、それはご主人様自身を否定することに繋がりますわ」


 そう話し始めた金髪のオートマトン――ベローナは紅茶を模した飲料水を啜った。


「でも、あれはあるじじゃなかったんだぞ。やっぱりエレンってやつの怨念が取りついてるんだぞ……!」


 怨念とは。ティアのオートマトンらしからぬ言葉に、イーリスは額へ手を当てる。


 この子は時々、理性よりも感情を優先して行動する側面があった。それがティアの個性というものなのだろうが、少しばかり子供っぽすぎるのではないかと思わされる。


 とはいえ、あながち間違った表現でもないのが問題だ。

 アドニシアから夢のことは聞かされている。非常に明瞭で、痛みや感情すら覚えていられるほどの悪夢のことだ。


 それについて、もちろんイーリスたちは出来ることを調べた。


 結果、わかったことがある。


 その夢が、おそらく記憶であること。

 そこに出てくる名がこのクレイドルプロジェクトのリーダーたちの名と一致すること。

 そして、エレンという男の子こそ、クレイドルプロジェクトの発案者であること。



 偶然の産物とは思えない話だ。だからこそ、怨念だの幽霊だので済ませてよい話ではない。必ず原因があり、意図がある。


 イーリスはそう確信していた。


「非科学的な話に断定しては駄目よ。現にアドニシアのボディが放置されてた理由もわかっていないじゃない」


「ですわね。ご主人様の身体に、仮のものとはいえ管理者権限があると知っていれば、人間もそれを利用したはずですわ」


 スピリチュアルな方向へ逸れた話を元に戻すと、ベローナが同意する。


「なら、誰かが仕組んだってことなのかー!?」


 ティアがバン、とテーブルに手をついて立ち上がった。


 やっと寝かしつけた子供たちが起きてしまう。同じように目が笑っていない笑顔をベローナからも向けられて、ティアは「ご、ごめんだぞ……」とすごすごと座り直した。


「……そもそもアドニシアの夢のすべてが本当のことだとは断定できないでしょ。ヘクス原体を奪われたのが事実だったとして、記憶を抜き出すならエレンって子がその時に死亡していなかった可能性の方が高いじゃない。そして、その六人への復讐のために人格データをインストールしておく、とか……」


「それなら最初からエレンの全人格を入れておいた方がいい気がしますわね」


「あちきだったら冷凍睡眠のポッドの電源を抜いとくぞ」


「……まぁ、300年前のことだから、今は推測することしかできない。ここの全てのデータログを見られるようにならない限りは」


 現在、そのサーバーはエネルギー不足のために停止している。この艦内のログから数十億人の遺伝子情報に至るまで、すべてのデータを保存しているサーバーは膨大なエネルギーを必要とするのだ。


 生活に必要なエネルギーを確保するだけでもギリギリなクレイドルに、そんな余裕はない。


 ベローナが飲み終えたカップを置く。


「私は……その六人全員を殺すまで止まらないと思いますわ」

「殺した先で、アドニシアが元に戻る保証もないわよ……」


 今、子供たちとアドニシアは別の部屋で眠っている。それはアドニシア自身の希望でもある。それに、自分たちもその方がいいと判断した結果だ。


 子供たちも母親と一緒に眠りたいだろうが、それはできない。


 アドニシアは悪夢に苦しみながら、夜な夜な口にするのだ。



 ――「取り返せ」と。



 最近では会話の途中で放心状態になることも少なくなかった。スペンサーの居場所を特定して、その名が話題に上がる度、心ここにあらずといった状態だった。


 できることならばアドニシアは子供の世話のみに集中させたい。


「けれど、恐らくヘクス原体を取り返せるのはアドニシアだけ。わたしたちはアドニシアに頼る他に、使命を全うすることはできないのよ」


 イーリスは声を低くして言う。他の二人も静かに頷いた。


 事実であると同時に、建前でもある。


 きっとアドニシアに管理者権限などなくとも――ただの無力な人間だったとしても、イーリスたちは彼女を頼っていただろう。



 イーリスたちは人間に見捨てられた。そんな自分たちが人間であると主張するアドニシアを受け入れるのに葛藤がなかったわけではない。


 しかし、彼女はここを去った者の罪をも被り、すべてをひっくるめてイーリスたちを愛してくれた。だからこそ、イーリスたちもアドニシアを愛した。


 それはきっと、全員が同じで、これからも変わらない。


 どんなに非道な行いをしたとしても、どんなに壊れてしまっても、変わらない。


 オートマトンたちは、彼女を愛してしまったから。

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