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第3話 選ばれた人間

「それを、返してください」


 スペンサーは女の言葉がすぐに理解できなかった。

 ヘクス原体を見せた途端に作り笑いを消して、アドニシアという女はこちらを指差してそう言ったのだ。


「なっ――」


 先ほどまで気圧されていた女の突拍子もない発言に、警備員たちも顔を見合わせる。


 ただ一人、スペンサーだけは背筋が凍るような感覚に見舞われていた。


(この女なんて言った? 、だって……? そ、そんなまるで自分のものだったみたいに言い方はなんだ……?)


「な、なにを言ってるんだ? こ、ここ、これは僕の……」


 言いながら自分の顔が引きつるのがわかる。まくった袖を戻しながら、スペンサーは思わずたじろいでしまった。


「それは、盗ったやつでしょ?」


 その発言は、周囲からすればただの言いがかりにしか思えない言葉だろう。だが、スペンサーにとっては違う。


 このヘクス原体は譲渡されたものでも、回収したものでもない。奪い取ったものだ。それを知っているのは、300年前のあの場にいたメンバーだけのはずだ。


 この女がそれを知っているはずがない。


「な、なんでそれを……いや、他の誰かから聞いたのか? だが、それでは自分にもリスクが……」


 スペンサーは口に手を当てて考え込む。


 このヘクス原体は、元の所有者が事故で死亡した後に、正式な手続きと遺伝子的な適合性を持って移植された。それがあの場にいた6人で打ち合わせた事実だ。

 クレイドルプロジェクトにより冷凍睡眠についた500人の全員にそう通達している。


 もし他に知っているものがいるとすれば、それは――。


「返して?」


「ひっ――……!?」


 アドニシアのゆっくりと首を傾げる仕草を見て、スペンサーは短い悲鳴を上げた。

 その動きに、かつて共に人工子宮の開発に関わっていた少年の影を見たからだ。


 (いや、そんなわけはない。ありえない。絶対にありえない! あいつは両腕と両足を切断して、サイモンと共に炉に放り込んだはずだ……! これは一種のPTSD――心的外傷後ストレス障害だ。あの日の自分は狂っていた。それが今でも自分の心を傷つけ、似たようなものをトラウマと結び付けているだけだ……!)


 だが――。


 スペンサーは思わず手を伸ばす。網膜投影されたメニューから術式を起動すると、周囲にバチバチと音を立てる見えない壁が出現した。


 ――それは本当にありえないのか? ありえるとしたら、ここでもう一度消してしまうのが最善の選択なのではないか?


「チーフ!?」


 シールドを展開したスペンサーに、警備員たちから驚きの声が上がった。


「殺すんだ……!」


 スペンサーは低い声で部下に命じる。だが、すぐさま従う者はいない。


 そんな彼らの行動の遅さが、スペンサーには信じられなかった。

 自分に危害を加えようとしているこの女を、一刻も早く排除するのがお前たちの仕事だろうに、と苛立ちを抑えきれず、怒鳴り散らす。


「早くこの女を殺せ! 遊ぶのならそこのオートマトンでもできるだろう!?」


 元々、スペンサーたちに彼女たちを見逃す気はない。女性型のオートマトンはすべてしまったのだ。用事というものが何かはわからないが、まずは遊ばせてもらう。


 二人いるなら遊んでから壊れなかった方を解放して、返事とすればいい。


「僕は選ばれた人間なんだ! このヘクスは僕のものだ! だから僕はこれを使えるんだ! ――撃てッ!」

「あるじ! 危ない!」


 スペンサーの切羽詰まった叫びに警備員たちが銃を構え、発砲した。しかし、電磁投射された弾丸は不可視の壁に阻まれ、弾かれる。


 少女型のオートマトンがシールドを展開したのだ。


「ティアは頼りになるね」


 銃撃されているにも関わらず、女は悠長にオートマトンの頭を撫でている。


 スペンサーはその行動を虚勢と見ていた。


「随分な余裕だな、女! そのオートマトンの性能を過信しているんだろう? 僕はこの施設内のすべての機械に対し、上位の権限を与えられているんだ……! 触りさえすれば、その人形のマスター登録なんてすぐに書き換えられる!」


 勝利を確信しているスペンサーは高らかに声を上げ、銃撃をやめさせた。悠然と前に歩き出すと、オートマトンがシールドの強度を上げて立ちはだかる。


「無駄なことを! オートマトンごときの出力で僕に勝てるわけがない! すぐに僕の所有物にしてあげるよ!」


「やめるんだぞ! それ以上近づくと命の保証はないぞ!」


 オートマトンの警告など聞くに値しない。なぜおもちゃの言うことを人間が聞かなければならないのか?


 歩みを進めると、互いのシールドが接触し、眩い光が奔る。


「それはこっちのセリフさ! 僕のヘクスはオリジナルの――!」


 言いかけて、スペンサーは気づいた。



 ――自分の展開しているシールドが押し負けていることに。



「なっ、なんで――っ!?」


 慌ててスペンサーは自分のヘクスの出力を確認するが、異常はない。後ろの女からエネルギー供給を受けている様子もない。シールドの発生源が複数あるわけでもない。


 単純にあのオートマトンのシールド出力がこちらを上回っているだけだと、すべての計器が示していた。


「ち、チーフの出力が負けてる!?」

「ありえないだろ!? 警備用だったとしてもそこまでの出力は……!」


 自分から近づいたものの、出力が負けていればシールドで焼かれるのはこちらだ。その焦りがスペンサーを駆り立てる。

 周囲が動揺する中、スペンサーはわめくように叫んだ。


「お……ぉぉおいぃ! あれを出せぇ! 後ろの女を狙えぇぇ!」

「な、生身の女を狙うんですか!?」


 警備員の一人がこめかみに指を当てながらも躊躇する。


「オートマトンを差し向けている時点で敵だろうがあぁ! はやくやれぇぇ!」


 スペンサーの絶叫に慄き、彼はやっと操作を始めた。


 隣の部屋で重い音がして、モーターの駆動音が響く。そして、壁を突き破って身長3メートル前後の金属製の巨体が出てきた。


 全身の骨格であるシャフトがむき出しになっている無骨な作り。滑らかさとは逆を行くマシンらしい動きが、その場の全員を威圧した。


「暴徒鎮圧用パワーローダー、通称【リーパー】だ。これならばそのオートマトンに対しても引けは取るまいよ!」


 スペンサーは後ろに下がりながらも、勝ち誇ったように言う。


 リーパーはこの異常に広い船内で、唯一確保できた機動兵器だ。

 ヘクスではなくバッテリー駆動式だが相当なパワーを持っている。自立思考がないために命令さえあれば躊躇なく人を殺すことが可能だ。


 その点、倫理思考と基本行動プロテクトで縛られたオートマトンなど、秩序の崩壊したこの世界では役立たずだ。


「やれ! その女を殺せ!」


 リーパーの脚部モーターが唸りを上げる。


 暴徒鎮圧用などと言われているが、殺傷武器が装備されていないだけで、元は純粋な殺戮兵器だ。少女型オートマトンのヘクスがいかに高出力だとしても、リーパーの攻撃には耐えられないだろう。


 ましてや、ただの人間を殺すことなど、虫を踏みつぶすようなものだ。


「あるじ!」


 オートマトンが叫ぶ。

 見れば、女はあろうことか自分からリーパーに歩み寄っていた。


「そこにいていいよ」


 オートマトンのシールドの外へと出て、見世物を眺めるかのように悠長に言う。

 自分がこれから殺されるなど、微塵も思っていないように。


 ただの脅しだと思っているとしたら、平和ボケしているにもほどがある。もはやこの船の中は物資を取り合い、互いのテリトリーに踏み込めば殺されるのが当たり前の世界だ。


 クレイドルの中に引きこもっていた女には、そんな想像もつかないらしい。


 何にしてもリーパーはすでに女に向けて突進していた。それを見て、スペンサーはその先を想像する。


 吹き飛ばされて壁のシミの一部にでもなるのか、それとも破裂するようにリーパーの体に張り付いて形すら残らないようになるのか。


 楽しみだ。


 スペンサーは自分の口端が歪むのがわかった。


 女性型のオートマトンをバラして遊ぶのは愉快だが、クレイドルが崩壊してからは随分とご無沙汰だ。一瞬で終わってしまうとはいえ、生身の女が砕け散るさまを見られるのは一種のエンターテイメントだろう。


 少なくともスペンサーにとってはそうだった。その光景を収めておこうと視界の録画を始める。


 もうすぐリーパーが女を轢き殺すのだ。その瞬間が近づくにつれ、スペンサーは内にあるどす黒い欲求に興奮を抑えきれない。


「殺せェ!」


 金属製の巨体が肉の体にぶつかる。


 聞こえるのは骨の砕ける小気味よい音か、それとも腱を引きちぎるゴムのような音か、はたまた血をぶちまける水っぽい音か。



 だが耳に入ってきたのは――金属のひしゃげる音だった。

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