色鮮やかな蝶が飛ぶ。
舞うような動きで川を渡り、木々の間を抜けていく。
蝶が進むごとに木の密度は高くなり、やがて辺りは獣たちですら近寄らない暗がりと成り果てる。この深い森は、光という言葉を忘れ去ってきっと久しい。
その澱んだ影の中を、蝶はどれほど飛び続けただろうか。
不意に木が途切れ、辺りに白く
そこにあったのは都市だ。
白い石で作られた壮麗な建物がいくつも並び、光を浴びて輝いている。
きちんと舗装された道の脇には木や花が植えられ、店が並び、人がいて、馬車が通り、塀から猫が飛び降りる。
しかし、花も、木も。
人も、馬車も、猫も。
何一つ、誰一人として動かず、わずかな
まるで都市すべてが精巧な作り物であるかのようだ。
その中を、色鮮やかな蝶だけがひらひらと飛んでいく。
やがて都市の最も奥に、再び森が現れた。
ただしこちらは先ほどの
カーテンのような柔らかい光がそこかしこから差し込むこの森は、中央に小さな建物を
建物は既に廃墟の様相だった。
屋根は落ち、床からは草が生えている。中央に置かれた石造りの
だがそれは建物ではなく、もしかすると棺を覗き込むように座っている娘のおかげなのだろうか。
動きを止めた都市の中でもこの娘だけは例外のようだ。
蝶に気づいて顔を上げ、彼女は白い手をそっと差し伸べる。
「久しぶりね。今回はどこまで行っていたの? どんな人に会って、何を見た?」
言葉を
それで娘の指先にとまり、黙って
もちろん娘だって問いかけが独り言になると分かっているのだ。
残念がることもなく微笑んで、横の棺へ視線を移した。
「私の
棺の中で横たわっているのは一人の青年だった。
年齢は二十を幾つか過ぎたくらいか。赤や金といった華やかな色の服に身を包む彼の肌はどこまでも白く、顔の周りを覆う髪の黒がその不自然さをいっそう際立たせていた。
「まだ、お目覚めにならないの」
そして娘の言葉通り、青年の瞼は固く閉じられていた。
蝶は指から離れて舞い上がる。
青年の顔に降り立とうとして見えない何かに阻まれ、途中で止まった。
「駄目よ。蝶のあなたでも、許しません」
笑みを浮かべた娘は
「もう誰にも触れさせない。いつかお目覚めになるその日まで、私がお守りするの」
青年の顔の少し上で止まったままの蝶は、娘の優しい優しい声をただ、聞く。
「お体だけではないわ。お国も私が守るの。だって、お目覚めになったとき国や民が滅んでいたらきっと悲しまれるもの。――そうですよね、国王陛下。我が心を捧げた唯一のお方。私の愛する、夫」
彼女は言って、細い指で石の棺をなぞった。
蝶はしばらく娘の姿を見ていたが、やがて静かに舞い上がる。
動きを追って彼女も顔を上げた。
「行くの? また、来てね」
答えるように彼女の顔の前で円を
――必ず、また来る。
蝶の姿でも言葉を紡げる手段が見つかったら、すぐにでも。
そうでなくとも、彼女が王と国への望みを断ち切ったかもしれない、との
この色鮮やかな蝶は、蝶であって蝶ではない。
蝶は世に誕生した瞬間、知っていた。
以前の自分は人間で、一つの国の王であったこと。
そして、大陸の覇権を握りたいと願う大きな国により、ひそかに殺されてしまったことを。
自分が死んだあと、愛する王妃や国はどうなったのか。
王は記憶をたよりに探し
あの大きな国ですら、もうとうに過去のものとなっているのに、王が王妃と治めた国は、元の姿を保ち続けていたのだ。
理由は王妃。
王を失った彼女の深い嘆きが大いなる
――なんと、無駄なことであろうか。
死んだ者は戻らない。二度と
現に王の魂はここにあり、体は既に抜け殻となっている。
王妃に「もう待たなくていい」と告げたいのに、蝶の姿では何も言えない。
人の姿に生まれ変われることを期待して死のうかとも考えたが、逆に記憶をなくしてしまう可能性を考えるとそれもできなかった。
だから待っている。
二人はともに待っている。
王妃は、王が目覚める日を。
王は、王妃が、諦める日を。