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第12話 夢の余韻

「グレアム」


 サラが僕を呼ぶ。


「あのね、グレアム。私はもう、グレアムに会えなくなるの」


 なんだか寂しそうな声。


 ……ああ、これは夢だ。

 だって目の前のサラは十歳の姿をしてるし、僕たちはパートリッジ本邸の庭園にいる。

 このときはまだ庭師がいたから、庭園は細部まで世話が行き届いていた。たくさんの花が風に揺れる片隅の、芝生が刈りこまれた一角で、六年前のサラは膝を抱えて言ったんだ。


「今朝、お父さんがね。『お前をパートリッジのお屋敷に連れて行くのは今日が最後だ』って言ったの。……全部、うちのせいだよね。ごめんね、グレアム。ごめんね……」


 サラの言葉が衝撃的すぎた僕は、どうしてもう会えないのか、どうしてもう来てくれないのか、何に謝ってるのか、何ひとつとして考えられなかった。だけど晴れた空の下にいるサラが、曇った顔をしていることは分かったから、僕はとっさに叫んだ。


「大丈夫! サラが僕の家に来られなくなるなら僕がサラのところに行く、ほら、それならまた会える!」


 サラが顔を上げて、大きな目を瞬かせる。だけどすぐに顔を伏せて、小さく首を振った。


「……ううん。グレアムはきっと、私に会いたくなんてなくなる……」

「そんなことないよ。ただ、僕はまだ子どもだし、すぐには行けないかもしれない。でも絶対に行く」


 僕はサラの横に膝をつく。そのはずみにサラの赤らんだ頬を伝っていく雫が見えたから、僕は「何か言わなきゃ」って必死に考えたんだ。


「そうだ。何年も経って大きくなったら、サラは僕のことが分からないかもね。だから僕は『あかつき王女おうじょ』を持って会いに行くよ。僕のことが分からなかったとしても、『暁の王女』のことは絶対に覚えてて!」


 『暁の王女』というのは冬が近くなる時期に咲く薄紅色の花だ。どうしてここで『暁の王女』の名前が出てくるのかって言ったら、そのとき近くで咲いていて僕の目に入ったから。なんとも単純だよね。

 この薄紅色の花は、百年くらい前にうちで働いてた人が作ったもの。パートリッジの本邸以外には存在しない花だから『暁の王女』の名前を出したのは我ながら正解だったと思う。


 ――でもね。


 当時のジェフリーがわざわざサラを連れまわしていたのは、どこかの貴族にサラを見初めてもらって、縁戚関係を結ぼうと考えてたからだったはずだ。それなのにうちへサラを連れて来るのをやめる決意した。その理由は明らかだ。


 パートリッジ家の財産総額を完全に把握して『縁続きになる意味はない』と判断したから。

 でなければジェフリーはもっと早く婚約を切り出したし、僕の父上に更なる借金をそそのかすようなマネもしなかったはずだよね。


 今でこそ僕は昔の発言を思い出してほろ苦い気持ち抱いたり、将来のことを考えて頭を痛めたりするくらいには大人にもなった。だけどこのときは家を取り巻く事情とか環境とかを深刻に受け止めてなくて、未来は良い方向に進むって根拠もなく信じてた。「会いに行く」なんて簡単に言えたのもそのせいだ。

 そんな能天気な僕と違って、賢いサラは十歳にして既に状況を理解してたんだと思う。だけど僕のことをおもんぱかってくれたのか、あるいは明るい未来を少しくらい信じたかったのかな。泣きそうだった顔を和らげて言うんだ。


「私、グレアムには二度と会えないって諦めてたの。だからまた顔を見られたときは本当に嬉しかった。来てくれてありがとう、グレアム」

「えっ?」


 どこかで小さな音がしたように思えて、僕はハッと顔を上げた。

 目に飛び込んできたのは、あのときの空みたいな水色の壁紙。


 そうだ、ここはモート家のサラの部屋だ。食事のあとにサラが出て行って、そして僕はついウトウトしてしまったんだな。

 だけど幸いなことに部屋には僕一人きりで、サラはまだ戻ってきていなかった。

 僕は胸をなでおろす。

 良かった。眠っているところをサラに見られなくて。教師として来たくせに途中で居眠りするなんて最低だもんね。


「あ、エレノア様」


 そっと扉を開いて部屋に入ってきたのはサラだ。


「お待たせして、すみません」

「いいえ、ちっとも」


 寝てた僕にとって、サラが戻ってくるまでの時間は一瞬だったよ。なんて言えるわけもないし、夢の余韻もあって、僕の笑みはちょっと強張ったものになったのかもしれない。


「あの……どうかした?」

「え? いいえ、何もありませんわ」


 答えて僕は気がついた。サラの目は少し赤いような気もする。どうしたんだろう。

 だけどじっと見るわけにもいかないし、僕は何事もなかったようなふりをしてもう一度笑う。よし、今度はうまくいったな。


「サラさんのご用事はすみまして?」

「はい」

「では、授業の続きをいたしましょうか」


 普通に振舞ってちらりと見ると、サラの目は赤くなんてなかった。もしかしたら気のせいか、光の加減だったのかもしれない。

 僕もなんとか気持ちを切り替えて授業をしているうち、あっという間に帰宅する時間が来てしまった。


 名残惜しい気分でモート家の玄関に行くと、例の馬車が長く影を伸ばしてる。


「再来週を楽しみにしていますね、エレノア様」


 そう言ってくれるサラの笑顔と、渡されたずっしり重いバスケットをお土産にして、僕は馬車に乗り込んだ。

 バスケットの中身は食べ物だね。香辛料と肉の良い匂いがしてるもの。お昼に引き続いて夜もお腹いっぱいになれそうでありがたいな。


 動き出した馬車の窓から手をふり、モート家が遠ざかったところで僕は背もたれに身体を預け、深く息を吐く。


「……『暁の王女』かぁ……」


 モート家へ行くことになったときに約束が頭をよぎらなかったわけじゃない。

 だけど初夏のこの時期に『暁の王女』は咲いてない。いや、例え咲いてもサラのところへ持って行くわけにはいかないな。モート家へ行く僕はグレアムじゃなくて“エレノア”なんだ。それに今の僕がグレアムとして会いに行ったところで何になる? パートリッジの没落は時間の問題なのに。


 約束を守れなくてごめん、サラ。代わりにエレノアは君が幸せになれるよう、全力で頑張るから……。


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