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第10話 代案の提示

 馬車がモート家につくと、今日もサラは玄関に立っていた。さすがに歩いていたわけじゃなかったから、純粋に“エレノア”の出迎えをしてくれたみたいだ。


「おはようございます!」


 声は元気に仕草は優雅に、サラが挨拶をする。今日の表情は先日とは違って、着ている黄色のドレスみたいに明るいね。良かった、サラも“エレノア”は約束どおり来る、って信じてくれたみたいだ。

 ようし、じゃあ今日も“エレノア”として頑張るぞ!


「ごきげんよう、サラさん」


 片腕に資料を抱えたままだから少し不格好になったけど、ちゃんと挨拶は出来たと思う。


「今日のドレスもとてもお似合いですわ」

「ありがとうございます」


 サラが微笑む。本当は「ドレスが似合ってるし、今日も可愛い」って言いたいんだけど、“エレノア”らしくない気がするからね。後半の言葉を残念な気持ちと一緒に胸の中にしまったところで玄関の扉が開き、ジェフリーが姿を現した。そっちはそっちで今日もシルクハット姿だね。出かけるわけでもないのに被ってるのはどうしてなんだろうな。


「ようこそお越しくださいました、エレノア嬢」

「ジェフリー卿も、ごきげんよう」

「お待ちしておりました。さ、準備はできておりますよ。いつものお部屋へご案内します」


 やっぱり今日も金ぴかの応接室へ案内されるんだね。ジェフリーはあの部屋がずいぶんとお気に入りなんだなあ、なんて思ってたら、


「お父さん!」


 カツカツとヒールの音を鳴らして進み、サラがジェフリーの前に立ちふさがった。いつもは可愛いサラが、今はまるで姉上みたいな顔をしてる。


「今日の授業は絶対に私の部屋でするから、って言っておいたでしょう?」

「お父様と呼べ。――駄目だ。エレノア嬢には今日の授業も応接室でおこなってもらう」

「勝手なこと言わないで! エレノア様は私の先生よ、授業は私の部屋でしていただくの!」

「いいや、応接室だ」

「どうしてよ!」

「エレノア嬢に当家へお越しいただくよう交渉したのは、私だからだ」

「でも!」


 僕はジェフリーの後ろにいるからどんな顔をしてるのか見えないけど、彼の背中の雰囲気とサラの表情だけで十分に分かる。ジェフリーは全然動じてない。それに自分の考えを曲げるつもりもない。

 だから僕は笑顔を作って呼びかける。


「サラさん。わたくし実はジェフリー卿に用事がございますの」

「えっ?」

「ほう、私に?」

「はい。ですからまずはサラさんのお部屋ではなく、応接室へ行きたいのですわ」


 あえて「まずは」って入れたのが伝わったみたいだ。サラは困惑した様子だったけど、


「……分かりました。エレノア様がそう仰るのでしたら……」


 と言ってジェフリーの前から移動する。その時ちらっとこちらを見るから、僕はうなずいてみせた。


 案内された金ぴかな応接室の扉の向こうにはやっぱり机があって筆記具があって、椅子も三脚置いてあった。準備は万端だったね。でも、ここはもう使わせないよ。

 覚悟と共に先日と同じ場所に腰かけた僕は、先日と同じ位置に座ったジェフリーに顔を向ける。


「用事というのは、お願いでございますわ。サラさんの授業は毎週赤と黄の曜日という話にしておりましたけれど、これを毎週ではなく隔週にしていただきたいのです」

「理由を伺いましょうか」

「簡単な話ですわ。毎週の授業ですと、わたくしが王都へ戻れなくなってしまいますの」

「王都へ戻れないと、何か問題が?」

「まあ」


 僕は目を開き、それからまた微笑んで、扇でゆっくりと口元を隠す。


「王都ではこれからが社交シーズンの本番なのだと、ジェフリー卿はご存知ありませんの?」


 実を言えば僕だって姉上から聞くまで忘れてたけどね、それは秘密さ。

 うーん、でも、言葉の裏に隠した「お前は貴族になったばかりだから、そんなことも知らないでしょう?」っていう空気を出しすぎたみたいだ。ほんの少しだけど、ジェフリーが嫌な感じに頬をピクリとさせる。

 ……いや、まだいける。続けろ、動じるな、がんばれ僕!


「わたくし、多くの方からお茶会や舞踏会のお誘いをいただいておりますの。顔を出さないわけには参りませんわ」

「……それは私の約束よりも重要視されるべきものというわけですか」


 ジェフリーの声にはちょっぴり脅しの声色が加わってた。今の嫌味のお返しってことかな。

 だけどあとに引けない僕は先日会った姉上の吊り上げた目を思い出す。……うん、ジェフリーの醸し出す空気なんてどうってことない気分になってきた。

 そうさ。僕にとってはジェフリーより、姉上のほうがずっと怖いのさ!


「わたくしの元に『ほんの短い時間で構わないから当家の催しにお越しください』と願う手紙が日々どのくらい届くのか、ジェフリー卿には想像もできませんわよね」


 姉上の艶やかな微笑みは……こんな感じにするんだよな。姉上を間近で見たあと、鏡の前でがんばって作った表情を僕は顔に浮かべる。


「わたくしの時間は決して安くありませんのよ。そのわたくしの時間を一番差し上げるのがモート家ですの。――これがどのような栄誉だかお分かり? ほかの家の方々が知りましたら、きっとジェフリー卿は羨望と嫉妬の視線で禿げあがってしまうと思いますわよ」


 身を硬くしたジェフリーは手を頭に上げて、でも、その動作は無意識だったんだろうね。シルクハットに触れて、少し驚いたような顔をして、また手を膝の位置へおろす。


「いやいや、そんな……ですが……しかし……」

「もちろん一度は『毎週』と申し上げてましたもの。単純に約束を変更するわけではありませんわ」

「……では、どうなさるおつもりで?」

「授業の時間を伸ばす予定ですの」


 それが僕が考えて出した答えだ。


「今までは週に二回、赤と黄の曜日に、朝からお昼までサラさんの教師を務める。と、いうことになっておりましたわね?」


 朝の早い時間にモート家からピッカピカの馬車がやってきて、僕を屋敷に連れて行ってくれる。そうして昼まで教師を務めた僕を、またパートリッジの本邸に戻してくれる話になってた。


「隔週になった場合、一日の授業時間を朝から夕方までにいたしますわ。これでしたら授業の合計時間はさほど変わらないはずでしてよ」


 僕としてはいい案を提出したと思ってるんだけど、ジェフリーは渋い顔のままだった。


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