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第9話 どうしてこうなった?

 眠い目をこすりながら明け方に自室へ行った僕だけど、困ったことに扉を開けることすらできなかった。理由はもちろん姉上だ。


「ここは淑女の部屋ですわよ! 時間というものを考えなさい!」


 なんて追い返されたんだけど、あのう、もともとそこは僕の部屋で……って反論しても相手はあの姉上だ。聞く耳を持たないだろうなってことは理解できるから、僕はすごすごと父上の部屋に戻るしかなかった。


 困ったなあ、今日は僕も忙しいんだよ。メイドと約束したから町へ石鹸を買いに行かなきゃいけない。その前にできれば先に姉上と話したいことがあったんだ。

 まあ、姉上が王都へ帰るのは明日だし、町から戻って来て話をすればいいか。

 そう考えて僕は厩舎へ向かう。


 昨日も乗った葦毛の馬はぐっすり眠っていた。長距離を移動して疲れたんだな。年寄りだもんね、仕方ないよね。

 じゃあってことで、今日の僕は栗毛の馬を引き出した。この馬は若いし足も早いんだけど、気分にムラがあるのが困りものなんだよね。

 幸いにも行きは調子良く進んでくれた。でも帰りは動きたい気分じゃなくなったらしくて、のろのろ動いてはすぐに止まる。それをなんとか宥めながら往路の倍以上の時間をかけて本邸に戻ると、姉上はもういなかった。


「どうして……」

「お嬢様は町へ行って、そこで泊まることにしたらしいですよー」


 は? 嘘だろ? 僕は当の“町”から戻って来たばっかりなのに!

 誰もいない自室で僕が呆然としていると、メイドが「実はですねえ」と言いながら頬をかく。


「坊ちゃんが町へお出かけになったあと、旦那様がお嬢様につきまとってたんですよお。結婚相手はどうなってるんだーとか、ところで知り合いの金持ちからちょっと金を借りられないかーとか、なんかそんなことを言ってましてねえ。お嬢様はしばらく黙ってたんですけど、なんか突然『うるさぁい!』って叫んで……あ、いやー、ちょっと違いますねえ。うーんと」


 メイドは大きく息を吸う。


「『ぅうるさぁい!』」


 だああっ! 耳が! キーンって!


「ありゃー、やっぱりアタシじゃ似ませんねぇ。えーと……『うるぅぅ、さぁい!』……これもダメだぁ。『うるさぁぁ、い!』……うーん。『うるさぁいぃ!』……もっとこう、ドスが効いていながらも甲高くて、びっくりするくらいに綺麗で……『うぅるさぁい!』『うるっさい!』」


 自分がうるさいの分かってる? とか、べつに叫びかたは重要じゃないだろとか、言いたいことはあったけど今の僕はそれどころじゃない。『うるさい』を繰り返すメイドの声を聞きながら、がっくりと膝を折るしかなかった。


 ねえ、姉上はさ、昨日『約束の花束をあなたに』って言ってたよね。

 姉上が引き合いに出すくらいだから重要なことなんだろうけど、僕、それがどういうものかは知らないんだ。だから全然、心に響かないんだよ……。


 厳密に言えばその言葉に聞き覚えはある。つい先月、女装の準備をするため王都へ行ったときに店の中で女性たちが興奮気味に話してたの耳にしたから。

 だけど詳しいことは何も分からない。だってそのときの僕ときたら、“王都の”、”女性向けの店”、なんていう見知らぬ場所に、あの口うるさい姉上と一緒にいたんだ。周囲の話に興味深く耳を傾ける余裕なんて、ほんの少しだって生まれるはずがない。


 だけど……うーん。

 わざわざ『約束の花束をあなたに』なんてものを持ちだした姉上は、どういう内容を伝えたかったんだろう?


 そこで僕が思い出したのは姉上が持って来てくれた箱だ。あの中にあった話題が書かれた紙に『約束の花束をあなたに』のこともあるんじゃないかな?

 僕はまず「うるさぁぁい!」「ヴるさい!」と叫び続けるメイドを部屋の外へ押し出してから大きな箱を開け、姉上が書いたという紙を取り出した。想像通り三枚目に『約束の花束をあなたに』という文字を見つけることができたけど、でも、一緒に書かれていたのは『王都で流行りの演劇』という文字だけ。確かに姉上は「それは物語やお芝居の中だけ」って言ってたから、演劇なのは当然かな。


「だけど他の演目に関しては簡単な説明があるのに、どうして『約束の花束をあなたに』だけは何も書いてないんだろう」


 僕は首をひねるけど、ないものはないんだもんね。しょうがないから想像してみようか。

 確か昨日の姉上は、身分差のある関係について話すときにこの作品を名前を口に出したんだっけ……。


 ははあ、分かったぞ。きっと『約束の花束をあなたに』っていうのは、没落した貴族の男が高い地位を持つ家の女性を誘惑する話なんだ。きっと少し、その……オトナな内容の話なのかもね。だから姉上は内容を書けなかったし、いつか僕が同じように行動するんじゃないかっていう危惧もしてるんだ。うん、そうに違いない。


 だけどそんなのは無用の心配だよ。

 あと半年、新年の王宮舞踏会が開かれるまでのあいだにサラの婚約者が決まる。僕は“エレノア”としてその手伝いをするんだ。それが、サラのためだから。だって、僕が好きなのはサラなんだから。……ほら、こんな僕が醜聞を巻き起こすわけないだろう?


 僕はぎゅっと唇を噛んで箱を開け、明日の授業に必要そうな資料を探す。

 あんまり遅くなるまで起きていたくないんだけど、今日は昼に町まで出かけたし、サラのところへ行くのは明日なんだし、いつもより蝋燭代がかかるのは仕方がないよね。


 僕は夜が更ける頃まで本を読み、更に思いついて追加の資料も作った。寝台に潜り込んだのは予想よりもずっと遅い時間になったから、またしても僕は寝不足だ。三日連続の寝不足になったせいで目の下のくまだって最高潮だよ。やれやれ、今日の化粧も濃い目にしなきゃな。

 だけどその苦労は報われるはず!

 約束の時刻に来た馬車に僕は、先日よりも分厚い紙の束を抱えて乗り込む。

 今日の資料は姉上からもらった本を元に作ったもの。ジェフリーに文句なんて絶対に言わせないよ。もちろん隔週の授業に関しての話だって、うまく承諾させてみせるからね!


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