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第8話 箱の中身

「この箱、なに?」


 そう質問した僕に対して姉上が、


「自分の目で確認なさい」


 って言うものだから、僕は言われた通りに重い木の蓋を開ける。そうして思わず「ええっ!」って叫んだ。

 真っ先に出てきたのは文具の収納箱だ。風合いからして五十年くらい前のものかな。見事な花の模様が彫刻されてる、とっても綺麗な箱。中には数本の新しいペンとインク壺が入っている。

 その下には布に包まれた新しい紙がたくさんあった。さらに下には姉上が書いたらしい紙の束が。加えて歴史や地理、工芸や美術関連の本なんかもどっさり詰まっている。


「ど、ど、ど、どうしたの、これ!」

「資料ですわ。わたくしの名を使って教師をするのでしたら、最低でもそのくらいの知識量を持ってもらわなくては困りますもの」

「ということは、この本も姉上の?」

「ええ。蔵書の一部ですわね」

「一部なんだ……」


 長椅子から立ち上がった姉上が僕の横で箱を覗き込んだ。

 弟の僕が言うのもなんだけど、間近で見る姉上はよりいっそう綺麗だ。でも、パートリッジ家のエレノアが“最高の淑女”って賞賛されるのはこの美しさのためだけじゃない。時の流れさえ忘れさせるほどの、それこそ尽きることのない話題も同じくらい魅力的だって言われてる。


 天性の美しさを維持する努力はもちろんだけど、知識を得るためにもこれだけの努力をしてたんだね。だからどんな人にでも合わせた話題を提供できるんだ。姉上は毎日どれだけの勉強をしてるんだろう。そして、これだけの本を買うのにいくら使ったんだろう。気になるけど深く追求するのはやめて、純粋に姉上の努力にだけ敬意を表しておくよ。本当にすごいよ、姉上……。


「グレアム? どうして涙ぐんでいますの?」

「なんでもないよ、気にしないで」

「変な子。でも、お前が変なのは今に始まったことではありませんものね」


 あ、ひどい。


「さすがに本は後で返してもらいますけれど、他の物はお前にあげますわ」

「ありがとう……本当にありがとう、姉上!」


 これだけあれば町で資料なんて買う必要はないし、半年分の授業には十分どころか、むしろ余るくらいだ! ジェフリーにだって嫌味は言わせないぞ!


「足らなくなったものは自分で買い足しなさい。ただし、ドレスとカツラには替えがありませんわよ。絶対に破ったり壊したりしないこと! いいですわね?」

「分かった、気を付けるよ」


 破ったり壊したりしても、か。だったら僕にできる対策は簡単だ。あのメイドをドレスとカツラに近づけなければいい。洗濯は……仕方がないから僕がやろう。


「冬になったら外套がいとうとマフを送ってあげますわ。わたくしが使っていた品ですから、男のお前が使うには小さいかもしれませんが……」


 そう言って姉上は僕の方へ目線を

 対して僕は姉上に向かって目線を


 しばらくのあいだ、しん、とした部屋の中で、姉上はぽつりと呟いた。


「……外套ではなく、お前が小さいかもしれませんわね」

「うるさいな」

「ですが構いませんわね。どうせ外套を着るのは短い期間ですもの」


 そうして最後に姉上は、自分が書いた紙の束を扇で示した。


「こちらには今の王都で流行しているものと、その詳細が書いてあります。話題の一環としてお使いなさい」

「こんなに……すごいなあ、これだけの枚数を書くのは大変だったでしょ」

「さほどでもありませんわ。わたくし、文章を書くのには慣れていますもの」

「へえ……」


 僕は紙を一枚手に取った。なるほど、今の王都では緑色が流行してるのか。発端は王女殿下が夜会に着てきたドレスね。ふんふん、こういうのも重要になってくるから、サラにはちゃんと教えておかないとなあ。


「グレアム」


 姉上が妙に真面目な声で呼ぶ。だけど今までがそんなに深刻な話じゃなかったから、僕はその延長上で紙に視線を落としたまま生返事をする。


「うん?」

「わたくしは今、自分の結婚相手を探しています」

「うんー」

「だけど、お前の結婚も案じておりますのよ」


 思いもよらない話だったから僕は顔を上げた。姉上は射貫くような瞳で僕を見つめる。 


「パートリッジ家の進退が不明である今、お前の結婚相手がどうなるのかはまったく分かりません。ただし一つだけ言っておきます。――身分の差がある関係は上手くいきませんわ。それは物語やお芝居の中だけですの。『約束の花束をあなたに』のような出来事は決して起きないのだと、固く己に言い聞かせておきなさい」



***



 そうして僕は「ここは女性の部屋になったのだから」と言い張る姉上によって自分の部屋を追い出された。「聞きたいことがある」って言ったのに姉上は完全に無視。ううう、理不尽だぞ、そこは僕の部屋なのに!

 部屋の扉は壊れてるから無理に入ってもいいんだけど、さすがにそれは後が怖い。仕方なく僕は持ちだせた本を片手に父上の部屋へ向かった。姉上は明後日まで本邸にいるって言うし、また話せる機会もあるだろう。


 幸いにして父上は部屋に居た。今日はこちらで泊めてほしい旨を話したら、父上はものすごく尊大なというか、たいへんに偉そうな顔をして、「うおっほん」と咳ばらいを一つする。


「グレアムよ。お前だってもう十六歳なんだ。親離れできないのを恥ずかしく思いなさい」


 とか言いだしたけど、いや、違うって。


「別に好んで来たわけじゃないよ。僕の部屋を占拠した姉上が、中に入れてくれないんだけなんだ」

「ん? どういうことだ? エレノアは王都の別邸にいるだろう?」

「今日の朝に本邸へ帰ってきてるよ……って……」


 僕の言葉を聞く父上は、ぽかんとした表情で目をぱちぱちさせる。

 え、これは……まさか。


「知らなかったの?」

「……初耳だ」


 うわあ。顔すら見せてないのか。姉上の『父上嫌い』もここまで徹底したら大したもんだよ。


「父に帰還の挨拶も無いとは、けしからん娘だ!」


 って叫んで勢いよく部屋を飛び出した父上だけど、すぐに肩を落として戻ってくる羽目になった。どうやら借金のことで姉上にキツイ嫌味を浴びせられたらしい。ま、当然かな。

 結局、姉上と別々に夕食を摂り、僕はそのまま父上の部屋で寝ることになった。といっても部屋が震えるほど大きい父上のイビキのせいで、ほとんど寝付けないまま長椅子で朝を迎えることになったけど。


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