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第7話 姉上のご命令

 きょとんとする僕が小さく「うーん?」とうなると、姉上はつんと顔を上げてみせる。


「鈍いですわね。モート家の屋敷には隔週で通え、と言っているのです」

「隔週?」


 隔週でということは『今週行ったら来週は行かない』いうことだよね?

 あれ? それだと、僕とサラが会える時間は予定の半分になるじゃないか!


「ちょっと待って、教師を引き受けたのは僕だよ! どうしてなんの関係もない姉上が口出しを――あたっ!」

「お黙りなさい」


 身を乗り出した僕の頭に閉じた扇が降ってきた。くっ、姉上め。武器を使うなんて卑怯だぞ!


「お前は週が何日なのかを知りませんの?」

「そんなの五歳の子どもだって知ってるよ。七日だろ」


 灰の曜日から始まって、赤、青、緑、黄、黒、白、この七色で七日。

 僕がサラのところへ行くのは、赤と黄の曜日だ。


「では、パートリッジ本邸から王都まではどのくらいかかりますかしら?」

「片道で二日だよ。それがどうしたの?」

「……まだ分かりませんの? わたくしの弟はずいぶんとお馬鹿ですのね」


 心の底から軽蔑したようなその目はやめて。さすがに傷つくから。


「お前があの新興貴族の元へ通うとき、わたくしの名を使っているのを忘れましたの?」

「忘れてるはずないよ」


 僕はサラのところへ“エレノア”として通うことになってる。だから僕はサラに会うときには化粧をして、カツラをかぶって、胸に詰め物をして、声を作って、偽りの姿にならなきゃいけない。

 正直に言うと演技するのだって疲れるんだ。本当は“グレアム”としてサラのところへ通えたらどれだけいいだろうって思ってる。


「だけどしょうがないだろ。そうでもしないと借金を免除してもらえないんだから」

「ええ、お前の立場は分かっています。ですからわたくしも、少しは窮屈きゅうくつな思いをして差し上げるつもりでいますのよ」

「窮屈って、姉上の生活は何も変化しない――あたっ!」

「やっぱりお前はお馬鹿ですのね」


 くっ、姉上は気軽に叩くけど、扇の木の部分って結構痛いんだからな!


「本邸と王都の往復に必要な日数と、お前が教師をする曜日とをきちんと考えてご覧なさい」

「ううう……」


 涙目になりながら、僕は姉上の言った通りに各日数を考えてみる。


 パートリッジの本邸と王都の別邸を移動するためには片道で二日、往復で四日かかる。だけど“エレノア”は週に二日、赤の曜日と黄の曜日にはサラの教師をするわけだから……そうか、それだと計算上は“エレノア”が王都に帰れなくなるんだ。


 僕と姉上は別人だから、“エレノア”ぼくがサラと会ってる日に、“エレノア”あねうえが王都にいても何もおかしくはない。だけどもし、ジェフリーが“エレノア”の不自然な状況を知ってしまったら困ったことになるわけだ。貴族になったジェフリーは今まで以上に王都に行くはずだもんね。顔を繋ぎたい人がいるだろうし、サラの結婚相手だって探さなきゃいけないし。


「姉上の言いたいことは分かったよ。だけど解決する方法は簡単だろ? 僕がモート家に通う半年間は、姉上も本邸に住んでたらいいんだ」

「それは良い考えですわね……なんて言うと思いますの? 冗談じゃありませんわ、王都の社交シーズンはこれからが本番を迎えますのよ!」


 叫んだ姉上が扇を握りしめたので、僕は反射的に頭を抱えて身を逸らす。だけど抗議の声をあげられなかったのは、姉上の眼差しがものすごく真剣だったからだ。

 姉上は『持参金がなくても結婚してくれる相手』を探してる。そのために交流を重ねて自分の魅力をアピールしてるんだよね。僕が一日でも多くサラに会いたいのと同じように、姉上は一回でも多く交流の場に出たいんだ。

 ……うん、確かに今は僕が勝手だった。ごめん。


 僕の気持ちの変化が伝わったのかもしれない。ふ、と軽く息を吐いた姉上は、肩の力を少し抜いた。


「いいこと? 本来ならわたくしはお前に『モート家の屋敷へ行くな』と言いたいのです。どうせ幾らかの借金を帳消しにしてもらったところで、遅かれ早かれ我が家は潰れるのですから」


 あ、厳しいけど正しい。

 そうなんだよね。今回のことで免除してもらえる借金はあくまで一部だけ。返さなきゃいけない額はまだまだ多いから、姉上の言う通りパートリッジ家が没落するのは時間の問題なんだ。残念だけどね。


「ですがわたくしは自身の名を勝手にかたられたことを許すばかりか、『二週に一度ならモート家の屋敷へ行ってもいい』と譲歩までしておりますのよ。お父様もお前も、わたくしの寛大さにはもっと感謝すべきだと思いますわ」

「は、はい。おっしゃる通りです。ありがとうございます」


 姉上の言い分は何も間違っていなかったので、僕は素直に頭を下げた。


「つまり姉上は、“エレノア”を『週ごとに本邸と別邸を行き来している』という形にするつもりなんだね。そうして姉上は一週ごとに社交会へ出る。僕は一週ごとにモート家へ通う」

「ようやく理解できましたのね。正解ですわ」

「だとすると、僕がモート家の屋敷へ行く週の姉上はどうするの? 本邸へ戻ってくる?」

「いいえ、わたくしは王都の別邸にいますわ。ただしその週は外へ出ずに暮らしますの。ほら、わたくしだって窮屈な暮らしをしますわ」

「そう――」


 そうかなあって言いかけた僕だけど、確かにずっと外へ出られない生活は窮屈かもね。社交的な姉上にとっては特に。

 でも、行き来してるっていうのはあくまで見せかけだけで、実際の姉上はずっと王都にいるわけだろ。うーん。


「……ちょっと詰めが甘いんじゃない? 誰かに気づかれそうだよ」

「問題ありませんわ。わたくしは上手くやってみせますもの」

「だけど……」

「グレアム。フリだけの往復でしたら、移動費用はかかりませんわよ?」

「うん、姉上なら絶対に上手くやれる。僕は信じてるよ」

「お前……」


 何か言いたそうな表情をする姉上だけど、結局は大きくため息をついて首を振っただけだった。なんだろ。まあいいか。


「姉上がわざわざ別邸から戻ってきたのは、この話をするためだったんだね」

「それもありますわね」

「それ“も”? 他にも何かあるの?」


 姉上は扇で部屋の隅を示す。

 そこには蓋のついた箱が置いてあった。

 横幅と奥行きは僕の片腕くらい、高さは僕の膝下くらい。わりと大きな箱だ。


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