きょとんとする僕が小さく「うーん?」とうなると、姉上はつんと顔を上げてみせる。
「鈍いですわね。モート家の屋敷には隔週で通え、と言っているのです」
「隔週?」
隔週でということは『今週行ったら来週は行かない』いうことだよね?
あれ? それだと、僕とサラが会える時間は予定の半分になるじゃないか!
「ちょっと待って、教師を引き受けたのは僕だよ! どうしてなんの関係もない姉上が口出しを――あたっ!」
「お黙りなさい」
身を乗り出した僕の頭に閉じた扇が降ってきた。くっ、姉上め。武器を使うなんて卑怯だぞ!
「お前は週が何日なのかを知りませんの?」
「そんなの五歳の子どもだって知ってるよ。七日だろ」
灰の曜日から始まって、赤、青、緑、黄、黒、白、この七色で七日。
僕がサラのところへ行くのは、赤と黄の曜日だ。
「では、パートリッジ本邸から王都まではどのくらいかかりますかしら?」
「片道で二日だよ。それがどうしたの?」
「……まだ分かりませんの? わたくしの弟はずいぶんとお馬鹿ですのね」
心の底から軽蔑したようなその目はやめて。さすがに傷つくから。
「お前があの新興貴族の元へ通うとき、わたくしの名を使っているのを忘れましたの?」
「忘れてるはずないよ」
僕はサラのところへ“エレノア”として通うことになってる。だから僕はサラに会うときには化粧をして、カツラをかぶって、胸に詰め物をして、声を作って、偽りの姿にならなきゃいけない。
正直に言うと演技するのだって疲れるんだ。本当は“グレアム”としてサラのところへ通えたらどれだけいいだろうって思ってる。
「だけどしょうがないだろ。そうでもしないと借金を免除してもらえないんだから」
「ええ、お前の立場は分かっています。ですからわたくしも、少しは
「窮屈って、姉上の生活は何も変化しない――あたっ!」
「やっぱりお前はお馬鹿ですのね」
くっ、姉上は気軽に叩くけど、扇の木の部分って結構痛いんだからな!
「本邸と王都の往復に必要な日数と、お前が教師をする曜日とをきちんと考えてご覧なさい」
「ううう……」
涙目になりながら、僕は姉上の言った通りに各日数を考えてみる。
パートリッジの本邸と王都の別邸を移動するためには片道で二日、往復で四日かかる。だけど“エレノア”は週に二日、赤の曜日と黄の曜日にはサラの教師をするわけだから……そうか、それだと計算上は“エレノア”が王都に帰れなくなるんだ。
僕と姉上は別人だから、
「姉上の言いたいことは分かったよ。だけど解決する方法は簡単だろ? 僕がモート家に通う半年間は、姉上も本邸に住んでたらいいんだ」
「それは良い考えですわね……なんて言うと思いますの? 冗談じゃありませんわ、王都の社交シーズンはこれからが本番を迎えますのよ!」
叫んだ姉上が扇を握りしめたので、僕は反射的に頭を抱えて身を逸らす。だけど抗議の声をあげられなかったのは、姉上の眼差しがものすごく真剣だったからだ。
姉上は『持参金がなくても結婚してくれる相手』を探してる。そのために交流を重ねて自分の魅力をアピールしてるんだよね。僕が一日でも多くサラに会いたいのと同じように、姉上は一回でも多く交流の場に出たいんだ。
……うん、確かに今は僕が勝手だった。ごめん。
僕の気持ちの変化が伝わったのかもしれない。ふ、と軽く息を吐いた姉上は、肩の力を少し抜いた。
「いいこと? 本来ならわたくしはお前に『モート家の屋敷へ行くな』と言いたいのです。どうせ幾らかの借金を帳消しにしてもらったところで、遅かれ早かれ我が家は潰れるのですから」
あ、厳しいけど正しい。
そうなんだよね。今回のことで免除してもらえる借金はあくまで一部だけ。返さなきゃいけない額はまだまだ多いから、姉上の言う通りパートリッジ家が没落するのは時間の問題なんだ。残念だけどね。
「ですがわたくしは自身の名を勝手に
「は、はい。おっしゃる通りです。ありがとうございます」
姉上の言い分は何も間違っていなかったので、僕は素直に頭を下げた。
「つまり姉上は、“エレノア”を『週ごとに本邸と別邸を行き来している』という形にするつもりなんだね。そうして姉上は一週ごとに社交会へ出る。僕は一週ごとにモート家へ通う」
「ようやく理解できましたのね。正解ですわ」
「だとすると、僕がモート家の屋敷へ行く週の姉上はどうするの? 本邸へ戻ってくる?」
「いいえ、わたくしは王都の別邸にいますわ。ただしその週は外へ出ずに暮らしますの。ほら、わたくしだって窮屈な暮らしをしますわ」
「そう――」
そうかなあって言いかけた僕だけど、確かにずっと外へ出られない生活は窮屈かもね。社交的な姉上にとっては特に。
でも、行き来してるっていうのはあくまで見せかけだけで、実際の姉上はずっと王都にいるわけだろ。うーん。
「……ちょっと詰めが甘いんじゃない? 誰かに気づかれそうだよ」
「問題ありませんわ。わたくしは上手くやってみせますもの」
「だけど……」
「グレアム。フリだけの往復でしたら、移動費用はかかりませんわよ?」
「うん、姉上なら絶対に上手くやれる。僕は信じてるよ」
「お前……」
何か言いたそうな表情をする姉上だけど、結局は大きくため息をついて首を振っただけだった。なんだろ。まあいいか。
「姉上がわざわざ別邸から戻ってきたのは、この話をするためだったんだね」
「それもありますわね」
「それ“も”? 他にも何かあるの?」
姉上は扇で部屋の隅を示す。
そこには蓋のついた箱が置いてあった。
横幅と奥行きは僕の片腕くらい、高さは僕の膝下くらい。わりと大きな箱だ。