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第1話 資料はどうしよう

「改めて見ると、ヒドイなあ……」


 僕はパートリッジ本邸の一室で肩を落とした。

 ここはうちの蔵書室。四方の壁には棚がずらりと並んで、我が家の領地に関する記録だけでなく、国の各地の記録や文化、地理や歴史、果てはちょっとした娯楽本までが整然と詰まっている。……違うな、「詰まっていた」だ。つまり過去形。今は棚なんてほとんどなくて、広い部屋はガランとしている。


 なんでこんなことになったかといえば理由は簡単、借金の返済が滞ったときにがっつり持って行かれてしまったから。

 本はそれなりに高価だからね。いい感じにお金になったよ。そうなると本棚だけあっても仕方ないってことで、やっぱり売っちゃったんだ。部屋の壁紙の色が上部と下部で違うのは本棚があった名残なんだよね。ああ、この辺なんかは色がまだ綺麗に残ってるなあ。本は無くなったけど、壁紙がかつての部屋を物語ってくれてるなんて。なんだか少し切なくなるね。


「だけど困ったな。どうしよう」


 僕はすみっこにちょっとだけ残ってる棚に近寄る。ここにあるのはパートリッジの領地記録と歴史だ。手近な一冊を取ってぱらぱらとめくり、僕は思わず深ぁいため息をつく。

 これは買い手がつかなくて残ったものなんだ。当然だよね、国の歴史ならともかく、うちの歴史なんて学んでも役になんて立たない。授業の内容としても全然使えないよ……。


 そう、僕がこの侘しい部屋で一人悩んでいるのは、明後日のモート家へ行くときに使う資料を探しているためなんだ。


 昨日のサラと話した僕は、彼女の聡明さに心の中で拍手を送ったよ。送ったんだけど、でも、話題の広げ方というか、彼女の興味の方向性というか、そういったものには少々問題を感じた。世間話の途中に営業は必要ないんだよ、って。さすがは商人の娘だなあって僕は感心するんだけど、社交界では逆に「金の力で貴族になっただけある、やはり商人という生まれ育ちは隠せない」なんて陰口をたたかれかねない。


 もう少し違う視点から物を見てほしいなと思う僕は、会話の仕方から始めようと思った。そこで話のネタになりそうなものを探すつもりで蔵書室へ来たんだけど……結果はご覧のとおり。我が家の蔵書がほぼ空っぽだったせいで、僕の計画はいきなり頓挫しそうになってるってわけ。

 そうは言っても授業はしなきゃならないし、そのための資料は必要だし……。


「これを使うしかないか」


 仕方なく僕はパートリッジ家の歴史を手に取った。



***



 なんとかかんとか頑張って、僕はモート家へ行くまでの二日を使ってパートリッジ家の歴史を授業っぽく仕立て上げた。なんでこんなものを授業に使うんだって聞かれたら、“エレノア”ぼく自身がまだ教師として慣れないからよく分かってるものを使ったって言い訳しよう。サラは優しいから、きっとそんなことを言ったりしないと思うけどね。


 さあ、今日はモート家の屋敷へ向かう日だ。

 緊張でよく眠れなかった僕だけど、あくびだって出ないのはやっぱり緊張してるから。今日もうまく“エレノア”として振舞えますように。グレアムだって気づかれたりしませんように! ……あ、目の下に隈が出来てる。化粧で隠しておこ。

 時刻通りに来たピッカピカの馬車は、僕を乗せてパートリッジの本邸を出て行く。ガラガラと調子よく進み、正面にならの大木が見えてきたらそれが三叉路の目印だ。

 見送るように葉をそよがせる楢へそっと手をふったところで、馬車は進路を左へとる。やがて前方に見えてきたのが町。ここはパートリッジ家の領地だから、エレノアを知ってる人がいるかもしれない。


 人通りが多くなる前に僕は馬車のカーテンを閉めた。車輪の音にまざって喧騒が届くようになったのでなんとなく息をひそめる。そうして辺りが静かになってきたところでこっそり外を見ると、辺りの景色はのどかな草むらに変わっていた。

 よしよし、無事に町を抜けたね! ホッと息をつく僕だけど、今度は遠くに広がる森を目にしてまたまた鼓動が大きくなってきた。


 ……今日、サラは僕に会ってくれるかな……。


 こうして迎えの馬車を寄こしてもらえたんだから、きっと女装は見破られてない。とは思うんけど、やっぱり少し不安にはなるよ。実は先日の“エレノア”に不自然なところがあって、サラに「もしかしたらグレアムじゃないの?」なんて疑問を持たれてたらどうしようかなって。


 僕は馬車の中で「ごきげんよう」とか「素敵ですわね」なんて言いつつ、上半身を動かして姉上になりきる練習を始める。その光景は傍から見たら不気味な人だったと思うよ。だけど森の中の道を進む馬車は何ともすれ違わないし、馬車の中には僕しかいない。それでぶつぶつ言いながら動作を繰り返してるうち、やがて周囲の木立がまばらになってきた。馬車の窓に顔を近づけてみると、道の先のほうには鉄の柵と屋敷の屋根が覗いてる。もうじき到着だ。


「よし、がんばるぞ……」


 門をくぐった馬車はまず、目線を遮るための木立を進んで行く。それがパッと晴れたら、先日と同じように花壇に咲く色とりどりの花々が出迎えてくれて――。


 ……ん?


 屋敷の玄関の前で、紫色をしたものが右へ左へうろうろ移動してる。えーと……あ、左側で止まった。かと思ったら、慌てて中央へ移動してピシッと立った。あれはいったい何なんだ?


 僕はもう少しだけ窓に顔を近づける。馬車が玄関に近づくにつれ、謎の紫の存在は“紫のドレスを着たサラ”だってことがやっと分かった。会えて嬉しい気持ちが胸の奥からワッと湧き上がってくる。けど、同時に疑問も湧き上がってきた。

 どうしてサラはわざわざ表に出てるんだろう? まさか「お前みたいな女装男を屋敷の中に入れるつもりなんてないから、帰れ」って言うつもりじゃないよね? なんて、嬉しさと疑問と不安を抱えながら馬車に乗っていた僕は、玄関前に立つサラを目にして肩の力を抜いた。サラは笑顔を見せている。良かった、悪い想像の方は不要だったな。


 馬車が止まると、サラの近くにいた使用人が踏み台を置いて扉を開けてくれた。その手を取って僕が地面に降りると、サラはスカートを摘まんで優雅に頭を下げる。


「おはようございます、エレノア様」


 さすがだね、サラ。満点の挨拶だよ。よし、僕も教師“エレノア”として頑張らないとな。


「ごきげんよう、サラさん。わざわざのお出迎え感謝いたしますわ。でも、中にいらしたらよかったのに」


 うん、いい感じ。高い声だってうまく出せたぞ。

 顔を上げたサラは澄ました笑顔だ。そうしてそれに見合うような澄ました声で言う。


「お客様がお越しになるのですから、外にいるのは当然です」

「まあ。嬉しいですわ」


 嬉しいのは本当だよ。そのぶんだけ早くにサラに会えたからね。

 ……前回よりもちょっと他人行儀な雰囲気が、少し寂しいけど……。


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