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余話:ありし日の屋敷の中

 パートリッジの屋敷の中は暗い。

 それは今日が曇りの日だからという理由だけではなく、人々の表情が暗いせいだ。


 うつむく屋敷の主人は大きな身体を縮こまらせながらもじもじと手を動かしている。

 彼の妻は青い顔になんとかはりつけた笑みを保ちながら各所への指示を出していた。

 十歳になる娘は母の手助けをすべく細かな場所に目を配り、父が何か言おうとするたびに睨みつけて口を閉じさせている。

 召使たちは持ち出すための品物を少しでも価値あるものに見せようと、拭き、磨き、そして折りを見て物陰に潜んでは『ここを出る時期と次の仕事場』についてひそひそと情報を交換するのだった。


 そんな中でただ一人、目を輝かせているのは八歳の少年だ。

 朝早くから二階の窓の外を見ていた彼は、遠くの木立の合間を通る馬車を最も早くに発見した。

 上ずった声で「来た」と言い、部屋を飛び出す。


「父上、母上、馬車ですよ!」


 階段を駆け下りながら叫ぶと、肩を落とした父が廊下を過ぎていく姿が見えた。次に、応接室から現れた姉が腰に手を当てて目尻をつりあげる。


「そのように大きな声で言う必要はありませんわ、グレアム」

「でも、姉上」


 父の口を閉じさせられる姉の一睨みを受けても、この弟はほんの少ししか怯まない。


「みんなは下にいるよね。二階で外を見ていた僕が一番に見つけてるはずなんだし、できるだけ早く教えようと思って」

「わざわざ知らせなくてもいいと言っているのです」

「どうして?」

「どうして? どうしてですって? わたくしの愚かな弟は、この状況がちっとも分かっていませんのね!」


 くしゃりと顔を歪め、エレノアは金切り声をあげる。


「あの連中のせいで――!」

「エレノア」


 家族の中で最後に応接室から出て来たのは母だ。


「いらっしゃい、エレノア。……いい子ね」


 柔らかな声で言った母が両手を広げたので、きゅっと唇を噛んだエレノアは母にしがみついた。

 母は知っている。あの馬車が来ると屋敷の空気は今よりさらに暗くなる。その時間を少しでも遅らせたいと思うエレノアは、馬車が到着する直前まで弟に黙っていてほしいのだと。

 エレノアの頭を撫でながら、母はグレアムに微笑む。


「さあ、グレアム。お父様はもう玄関に行かれたわ。一緒にお客様のお出迎えをしてちょうだい」

「はい!」


 大きくうなずいたグレアムは弾むような足取りで玄関へ向かった。

 やっぱり母は知っている。あの馬車にはグレアムの大好きな友達が乗っていて、たまにしか彼女に会えないグレアムは、ほんの少しでも早く馬車が到着してほしいのだと。


 あの馬車は二つの気持ちをパートリッジの屋敷にもたらす。

 いつか一つの気持ちだけになる日がくるのだろうか。


 今の段階で、それは誰にも分からない。


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