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第2話 僕の事情 1

 マズイマズイマズイ。

 これじゃ遅刻する!


「ええい! しょうがない!」


 僕はドレスの裾を持ちあげて走り始める。

 どうせここはうちの屋敷だ、人も少ないから見られることもない!


 だけど廊下の途中でふと足を止めてしまったのは、踊り場に掛けられた大きな肖像画が目に入ったからだ。

 そこでははしばみ色の髪を結い上げた女性が、紫の瞳をこちらに向けている。


「……母上……」


 絵の中の母上は優しそうな笑みを浮かべているけれど、もしもまだ生きておられたら、今の僕を見てどのような表情をなさったのかな。こんな格好をする原因となった父上を止めてくださったかな。


 そもそも、パートリッジ伯爵家の長男として生まれた僕、グレアム・パートリッジがどうして女性の格好ををしているのか。それを語るにはまず、少し時代を遡る必要がある。


 パートリッジは「由緒正しい」と形容される程度には古くから続いてる家だ。

 歴史を紐解いてみたらずっと順調だったってわけじゃないのは分かるけど、それでも大きな波乱はなく、かなりの財産を残してこられる力だってあった。


 だけどそれも終わる時が来た。

 グレアムの祖父こと先代のパートリッジ伯爵が『やらかした』せいだ。


 祖父は四男で、本来ならパートリッジ家を継げる可能性なんてほとんどなかった。

 だけど流行り病で三人の兄が亡くなったために当主の座が転がり込んできたんだ。

 はっちゃけた祖父は賭け事にのめり込み、女性に入れあげ、日々の暮らしに贅を尽くした。

 やがて不摂生がたたって逝ってしまうころ、パートリッジ家の財産は収穫が終わった後の畑みたいにすっきりしていた。


 とはいうものの、実はここまでならまだなんとか家を建て直すことはできたんだ。

 祖父の息子――僕の父でもある現パートリッジ伯爵が、更にやらかさなければね。


 困ったことに僕の父上は、「私は堅実に生きる」とか言いながら、さして知識もないまま投資を始めた。

 どこが堅実なんだと言いたいところだけど……まあ、派手な暮らしの親を見ていたせいで色々とズレたんだろうな。


 当然というべきか、素人の投資は上手くいかなかった。

 焦った父は相談相手を探し、そこで出会ったのが商人のジェフリー・モート。

 ジェフリーの言う通りに投資を始めたところ、父上は初めて利益を得た。気をよくした父上はジェフリーを信用して限界まで資金を突っ込み……すべて溶かしてしまった。


 そこでジェフリーが「最初は上手くいったんですから、もう少し頑張ってみてはいかがですか」なんて言うもんだから、損失分を取り戻そうと躍起やっきになった父上はジェフリーに借金をした。

 もちろん投資は失敗。

 ここでようやく父上は「すべてがジェフリーの計画だった」と気づいたけどもう遅い。


 借金のカタとしてかなりの領地を失った。先祖伝来の目ぼしい美術品や宝石なども売られてしまった。

 心労がたたったせいで妻――僕とエレノアの母――も亡くなり、使用人たちは「奥様からいただいておりました」という他家への紹介状を持って次々と去って行く。

 残ったのは本邸の近くにある領地と、わずかな身の回りの品くらい。

 こうしてパートリッジ伯爵家はみごとに落ちぶれてしまったんだ。


 だけど借金がなくなったわけじゃないから、いずれは全ての領地がジェフリーに持って行かれると思う。

 僕が住んでるパートリッジの本邸はもちろん、エレノア姉上が住む王都の別邸だってきっと取り上げられるだろうね。この家の跡継ぎだった僕だけど路頭に迷うことは確実だから、今後の身の振り方を考えておかないとなあ。


 なんて思っていたある日、借金の回収のためにジェフリーがパートリッジの本邸にやって来た。

 今回も既定の返済額は払えない。父上は青い顔をしてるし、僕も失うものを考えて鬱々としていたんだけど、ジェフリーは意外な提案をしてきた。


「でしたら私の娘、サラの教師をお願いできませんかね?」


 なんとジェフリーは王家発行の『準男爵じゅんだんしゃく』という爵位を買い、晴れて貴族の仲間入りをしたそうだ。加えて娘のサラを社交界にデビューさせる話まで取り付けて来たらしい。すごい行動力だなあ。あと、すごい財力だなあ……。


「貴族になったとはいえ、私の生まれは平民です。もちろんサラも平民でしたから、貴族女性のような洗練された動きはできませんし、礼儀作法などの知識もありません。そこでパートリッジ伯爵家のエレノア様にサラの教師となっていただきたいのです。エレノア様は王都でも名高い『最高の淑女』。社交界の日までにサラを立派な淑女に仕立ててくださるでしょう」

「……はあ……」


 父上は大きな体を縮こめてうなだれる。


「お話は分かりました。……しかしお恥ずかしい話ですが、エレノアは私を嫌っているんですよ。おかげで王都の別邸からほとんど帰ってこないありさまで……。ですから今回のご依頼も、きっと断ってくるかと……」

「そこをなんとかお願いできませんかね?」


 細身のジェフリーは細い目をさらに細くし、言う。


「もしもエレノア様がサラの教師をしてくださるなら、お宅の借金をいくらか帳消しにいたしましょう」

「借金を……? そ、それは、どのくらい?」

「具体的には、このくらい」

「お受けします!」


 ジェフリーが取り出した紙を見て父上は顔を輝かせ、彼の手をがっちりとにぎった。


「ありがとうございます、モートさん!」

「いえいえ。こちらも助かります」


 交渉が成立して満面の笑みで握手する二人だけど、横の椅子に座る僕の眉間にはふかーい皺ができる。


 あの姉上が教師を引き受ける?

 絶対に無理だと思うなあ。


 だって姉上は父上だけでなく、ジェフリーのこともめっちゃくちゃに嫌ってるんだから。


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