京月は何も無い真っ暗な空間にいた。
幻覚の空間とはいえ、何も感じられない無の空間に眉を寄せる。過去の幻覚だというのに、翠蓮がいるはずの空間は何もない。ただ暗闇が続くだけ。そこで京月は翠蓮の入隊後から感じていた違和感を辿る。あまりにも世間知らずな箱入り娘のような翠蓮。
あまり公にはされていないが、隊入隊時には粗方の素性を総隊長直々に調べあげることになっており、入隊希望の者が、親戚や関わりのある者の中に反逆指定魔道士がいないかなどが確認される。それは翠蓮達の入隊時も同様だった。
そして、その翠蓮に関する内容は、一番隊入隊後京月にも伝えられていた。
氷上翠蓮に関するほとんどの素性が明らかにならなかったこと。
そして、翠蓮自身にそれらとの関わりは無いが、村全体が魔物と手を組んでおり、元よりそれに反対的だった翠蓮の両親が亡くなったのはその村が原因しているのでは無いか。総隊長はそう考えたが、京月はそれを否定した。
「あの子は両親を目の前で魔物に殺され、それで隊を目指したのでは無かったのですか?」
だが、総隊長は首を横に振った。
「あの子の記憶は何者かにより書き換えられている。これはエセルヴァイトから聞いたことだからほぼ間違いないよ。」
「三番隊隊長が?」
「うん、翠蓮は気付いていないけれど、すれ違った時におかしな力を感じたと。それで僕は翠蓮の書類選考で得た情報で村へと行ったんだ」
そして、続いたあまねの言葉を京月は思い返す。
『無かったんだ、村なんて。そもそも、翠蓮の出身だという村の名前すら存在していなかった。ただ、そこには魔物の残穢だけが残って村自体が消えたようだった』
そこで誰も翠蓮が嘘をついているとは考えないのは、翠蓮の真っ直ぐな瞳を知っているからだろう。京月は真っ暗な空間の中で、総隊長の言葉を辿る。
「……氷上、お前は一体どんな過去に怯えているんだ?」
まるで真っ暗なその空間自体が、翠蓮の中に隠された過去のように思えて、真っ直ぐな翠蓮が一体何を見て、どんな場所でどんな生き方をしていたのかを考えると嫌な考えしか浮かばずその顔を顰めた。
「へへ、」
笑い声がどこからか聞こえて、京月はすぐにそれが翠蓮の声だと気付いて声がした方へと歩き出す。
「氷上?」
海の音がする。小さな姿の翠蓮が、砂浜を歩いていた。横には、両親だろうか……男女がいて、三人で仲良く歩いている。
「海の記憶?」
翠蓮は海へ行ったことがないと言っていた。もしそれが本当だとするなら、それは総隊長の言っていることがやはり正しいんじゃないのかと京月は頭を悩ませた。だが、もう一度翠蓮へと視線を送れば既に両親の姿は無く、戸惑う翠蓮がいた。
「おかーさん、どこー??おとうさーん、どこーー?」
泣き出しそうになる翠蓮の後ろで、幻覚が荒れ始めて海の中へと見えない力で翠蓮が引きずり込まれていく。
「氷上!!」
渦を巻き始めた海の中に飲み込まれそうになった翠蓮はずっと母と父を呼んで泣いている。そんな翠蓮へ向かって、京月が声を荒らげる。
「ッ翠蓮!!!!」
呑まれそうになる翠蓮の元へ飛び込みその体を抱き上げると、京月は炎の魔力を幻覚空間の最大限まで膨れあがらせた。海は消滅し、空間そのものが京月の炎で破壊される。
「おっと、これはお早いお帰りで。楽しんで貰えました〜?」
部屋の中央に椅子と机を用意して寛いでいたジェイドがお茶を飲みながらそう声を掛ける。幻覚の世界から現実へと戻り、その声で翠蓮が目を覚ましたのか、京月に抱えられていることに驚きを露わにしていた。
「えっ!?なに、なにが起きてたんですか!?」
「幻覚魔法に飲まれた、何も覚えてないのか?」
京月の言葉に翠蓮が苦笑いする。
「お恥ずかしながら全くですね」
だが、京月はそれで良いと感じていた。もしもあの暗い空間の"闇"が翠蓮の感じた恐怖を現していたのなら、あまりにも悲惨すぎるほどの過去を抱えているはず。人には思い出したくない過去だってある。それは京月が幻覚で見たあの日のように。
「そうか、もう動けるか?」
京月にそう言われて翠蓮は刀を構える。
「はい!」
ジェイドは飲んでいたティーカップをカチャリと机に置くと、椅子から立ち上がって笑みを浮かべた。
「ふふ、仲間であれば頼もしい方々ですねぇ。まぁ、そんなことはさておき……」
ジェイドはそう言うと胡散臭い笑みを浮かべたまますたこらさっさの勢いで京月達の前から逃げ出した。
「えぇ!?」
翠蓮がびっくりしたと同時に京月はジェイドを追いかけて走り出す。翠蓮も慌ててそれに付いていき、なんとか城の最奥へとジェイドを追い詰める。
「なぜ逃げる」
京月の問いにジェイドが答える。
「え?だって普通なら出てこれなくなる過去に飲み込ませたのに数分で燃やしてでてくるとか訳わかんないじゃないですか。それに私京月さんと本当は戦いたくないんですよ〜。総司さんに殺されたくありませんし!」
ジェイドから出た総司という名前に京月が目を見開く。
「総司、だと?」
それに気付いたのかジェイドが言葉を続けた。
「ああ、京月総司さん。あなたのお兄様で間違いありませんよ。ってあれ、もしかして兄の名前忘れたんですか〜?」
「えっ、京月隊長のお兄さん??」
翠蓮が驚きの声を上げる横で京月は眉を寄せる。
「お前は何を知っている」
「え〜、話したら殺さないでいてくれるんですか〜??」
京月の鋭い視線がジェイドに向けられ、その圧にジェイドだけでなく翠蓮までもがびくりと体を震わせた。
「分かりました分かりました、お教えしましょう。それに、魔天に関しての情報はそのうち嫌になるほど手に入るでしょうし。今回も魔天からの指示が無ければ私達も出向かなかった訳ですから」
はぁ〜と軽いため息をつくジェイド。
「魔天?」
京月は初めて聞く名前を辿る。
「えぇ。最近こちら側で随分暴れ回っている組織のことですよ。魔天と呼ばれるその組織がまぁ横暴で。関係ない私達にまで指示を出すんですよ、やれやれです」
「それにどうしてお前達が従う?……あぁ、最近突然消えた百以上の派生組織、その魔天が原因か」
「さすが、理解が早くて助かります。ですが魔天はただの派生組織じゃありませんよ。雑魚兵なんておらず、戦闘員それぞれが強すぎて各組織から扱えきれず追放されたような奴らで、更にそれらをまとめる幹部たち」
知らぬところで何やら大きな悪が動いている事実と、その組織の大きさに翠蓮は冷や汗を流す。しかし同時に京月はジェイドがこうして情報を流す意図が分からず、その胡散臭さから信用もできずにいた。だけれど、一度兄の名を聞いてしまった以上、引き返すことができなかった。
「幹部の名は」
「幹部と言っても、それぞれが協力関係にあるだけで仲間というよりビジネスパートナーと言った所のようですよ。私にもまだ名前が分かっているのは二人だけですが。そう、その一人が京月総司、あなたのお兄様ですよ」
「俺に兄などいない、最初からな。もう一人の名前はなんだ」
「はぁ〜、京月さんってば私が命からがら手に入れた情報をそんなズケズケと。悲しいですねぇ。……魔物は彼女を白月六華と呼んでいるそうです。噂によると、人間らしくも魔物らしくも無い彼女を"神"として崇めているのだとか」
京月が何か口を開こうとしたところで、大きく城が揺れ始める。ウロボロスの勢力から魔力が小さくなっていくのを感じ取ったジェイドはそこで見切りをつけた。
「今度は本当の過去が見れるといいですねぇ、お嬢さん。それじゃまたどこかでお会いしましょう〜!」
最後の最後まで胡散臭い笑みを浮かべたジェイドは、揺れにより生じた空間の穴から外へ飛び降り、作り出した幻覚のホウキに乗って空高くへと消えていった。