不安定な状況が続く現世では、まことしやかに囁かれ続けてきた天災が一度に起きたのだと人々は感じていた。何も一度に起こることは無いのにと囁く言葉も少なくない。
『一番大きな天災が起きてもう二年。いや、これは本当に天災なのかね……。だってあまりに不自然な事ばかりじゃないか。一角のビルだけが何の前触れもなく刃物で真っ二つに切られたようになって崩落したり……。あと、何だっけ? 今巷を騒がしているシンクホール? っていうの? それが、道とかに突然いくつも開いたり……』
『もう生まれ育ったあの場所には帰れないのかなと思うと、凄く……辛いです』
『復興の見込みは立たないし、見込みが立ってもすぐに別の天災がまるで分かっていたかのように起きて、結局なし崩しになって……。日本にはもう住めないかもしれない』
テレビから流れて来る数々の不安そうな人の声が聞こえて来る。世界各国からの救援物資や救助隊の派遣によって助かった人々は皆一様にそう口をそろえていた。自分たちの生まれ育った故郷や家に戻れない、もしくは無くなってしまった者たちは各所に数えきれないほどの人数になってしまっていた。
不安定な大陸に不安定な心情を持ったまま生活を余儀なくされる人たちがいる中で、それでも全員が元気になって欲しいと頑張る者たちも少なくない。
テレビやラジオは極力前向きな番組を前面に押し出すように心がけているばかりだ。
そんなテレビ局の一室で自分の出番を待つ間静かにスマホでニュースを見ている少女がいた。
どこも同じようなニュースばかり取り上げられ、つまらなくなったのかスマホの画面を操作し、やがて好き勝手に騒ぎ立てるSNSで少女の指がぴたりと止まる。
“私、見た! 何か起きる度に黒い蛇のようなものをまとった女の人がいたんだよ。17、8くらいの女の子。あの子が見えたら絶対何かが起きるよ”
ある少女のこの言葉はSNSを通して世界中に瞬く間に広がり、物凄い数のいいねとスレッドへの反応がついている。トレンドには「人の姿をした死神」と言うものまで上がってきていた。
「死神……ね」
無機質な呟きが赤い唇から零れる。
それは毛先だけを鮮やかな赤色に染めた長い黒髪を肩に流し、ハーフアップにして髪ゴムで止めたひなだった。
すっかり様変わりしてしまったひなは、今温かい部屋の中でやや派手な衣服を身に纏い当てがわれた部屋の中いた。生活には不自由しているような雰囲気は見せず、むしろ贅沢ができるほど充実しているようにさえ見える。
ひなはじっとスマホを見つめていたが、ポンとテーブルの上にスマホを置いてため息を吐く。
「ふふ……バッカみたい。ま、別にいいけど」
くすくすと笑うひなの部屋のドアがノックされ、声がかけられた。
「カレンさん、そろそろ出番です」
「はぁ~い」
カレンと呼ばれたひなは、この日テレビの特番に呼ばれていた。
二年前に起きた大天災で山雪崩れに呑まれて、奇跡的に生還を果たした孤独な少女という名目からテレビ番組に出演するようになり、見た目が良いことと愛されキャラである事から多くの人に気に入られ、その後とんとん拍子であちこちからテレビ出演のオファーが来ていたのだ。
高いヒールブーツの靴音を高らかに鳴らしながらテレビ局を我が物顔で歩くひな。そのひなを数年に渡り未だに利用しているのは香蓮だった。
(あたしには遠く及ばないけど、まぁそれなりに見た目は悪くない子だから有難いわ。あたしはトップスターになる為にいるんだもの。あの日以来全然出て来やしないけど、あたしがやりたいことさせてくれてるし、十分に役立ってくれて助かるわ)
香蓮は一人したり顔でほくそ笑む。
もてはやされ、あちらこちらからちやほやされるこの状況が彼女には堪らなく快感だった。これをもう一度感じることが出来てこの上ない幸せを噛み締めている。
「この状況を手放すわけないでしょ。悪いけど、アンタの体はこのままあたしがもらってあげるからね」
香蓮は鼻で笑いながらそう傲慢に言い放つ。
不思議と、香蓮はひなが持て余す力の制御を難なくこなしてしまうほどの器用さを持っていた。気持ち一つで簡単に壊すことも残すことも今の彼女には容易な事だ。つまり、今は現世は彼女の手中にあると言っても過言ではない。が、その事に気付いている人間は誰もいなかった。
嫌になったり、面倒になれば無くしてしまえばいい。
そんな自己中心的で端的な考えを持つ娘一人に運命を握られた世界は、非常に危うい状況に立たされていた。
****
暗闇の、水底深く身を縮こませたまま膝を抱えて蹲るひながいる。
自分の体なのに自分の意志では動かせない。自分の中にいる香蓮の力は圧倒的に強く抗う事が出来ずにこうして意識の奥底に押し込められてしまっていた。
――寒い……。
目を開いても暗い闇しか見えない。
このままずっとここに閉じ込められたままになってしまうんだろうか? 自分の中なのに身動きもできない、たっぷりと満足に息を吸う事も出来ない。以前のようにのびのびと手足を伸ばして動き回りたいのに、それすら出来ず息苦しさを感じていた。
ひな自身もこの状況を何とかしようと足掻いてみたことはあった。それでも幼いひなの力では到底香蓮の力には及ばす、奥底に追いやられるしかなかったのだ。
体は大きくなっても、心はまだ幼い。強い圧力をかけられれば怯むし、口や気持ちで相手に勝つ術をひなは知らない。そして抗う事に躊躇いを覚えたのにはもう一つ理由があった。ひなはこの闇に閉じ込められてから、香蓮の記憶の断片を垣間見ている。
彼女は親からの過大すぎるほどの期待を押し付けられ、それに応えようと必死になって来ていた。親友と呼べるような友人は一人もいないが、学校ではいつもリーダー的な存在で身近な女の子たちを従えて来た。
人並みに悩み事も持っていた。人生初めての恋。彼との恋は成就してお互い仲良くやってきたこともある。彼の事を香蓮は心の底から信じて来たのに、彼はそうではなかったと分かった時の絶望。そこからくる親には内緒の男遊びはエスカレートしていた。
常に完璧でいなければならないことの重圧。常に一番でいなければ気が済まない気負い。一切の妥協を自分で出来ないように仕向ける苦しさ……。
二年もの間、ひなは自分とは正反対な生き方をしてきた香蓮に同じ物を持っていることを感じていた。それは彼女もまた、愛情に飢えて天涯孤独だと言う事。
香蓮も一人で苦しんで来た。彼女が今のように強がるのは本当は自分が弱い事を認めたくないのと同時に精一杯の虚勢であると分かったからだ。
――香蓮は私とは違うけど、彼女もずっと独りぼっちだった。寂しくて、悲しくて、本当の愛情が欲しくて、でも、お父さんやお母さんからも貰えなくて……。
ひなは眉間に深いしわを寄せて自分の膝を抱え込み、再び目を閉じる。
――でも、私の体、香蓮にあげるわけじゃない。私はまだ未熟で、香蓮に出来ることが私には出来ないだけ。今私が表に出たら、きっと持て余している力がもっと暴走して、私のせいでもっと酷い世の中になっちゃう。そんなの、怖くて出来ないよ……。
どうしたらいいのか分からずただじっとしているしかない自分が歯痒かった。
――麟さん……。麟さんだったら、どうするかな。
緩く伏せた瞼には諦めと寂しさが滲んでいた。
強制的に切り離されてから心に残るのは麟のこと。幽世にいたのはほんとに僅かだったが幸せだった暮らし。ヤタとももっと仲良くなれそうだと思っていた矢先だったのに、時間ばかりが経ってしまっていた。今はもう少しだけ二人の顔を忘れかけてしまっている。
時間が経ちすぎて、もう二人は自分の事を忘れてしまっているかもしれない。いつまでも夢幻だった麟に縋っているのは間違っているかもしれない。それでもそれを手放してしまったら、今度は跡形もなく自分は消滅してしまうような気がして仕方が無かった。
――一人にしないって、約束してくれたのに。
帰りたいと願い続けている半面で、香蓮に影響されはじめている自分を自覚している。麟を信じたいが本当に信じていいか分からなくなってき始めていた。