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暴走と拉致

「な、何だ!?」


 偵察から戻ってきたヤタは、上空から屋敷の一部の部屋からの突然の爆発と爆風に煽られていた。自身も吹き飛ばされないよう身構える事に精一杯なほどの風に煽られ、雷に打たれたようにビリビリと肌に伝わる強い力に意図せず冷汗が流れて、呆然としてしまう。

 その目下では、使用人たちだけでなく屋敷に出入りするマオや、他のあやかし達が混乱しながら建物の中から大事な書類などを抱えてわらわらと出て来る姿が見えた。


「皆さん落ち着いて行動してください! とにかく外へ!」


 混乱を出来る限り抑えるために、マオ自身も努めて冷静さを保つように心がけ、他のあやかし達を外へと誘導している。

 ヤタはそんなマオの傍に降り立ち、何が起きているのか確認しようとした。


「マオ! 大丈夫か?!」

「八咫烏! 凄い音と同時に屋敷が大きく揺れたけど、一体何が起きたの?」

「すまん。俺も分からない。ただ、麟の屋敷の一部が爆発して……」

「爆発……っ!? 麒麟様は? 麒麟様は無事なの?! もしや麒麟様に何かあったんじゃ……」


 冷静さを保とうと頑張っていたマオは麟の名前が出た途端、青ざめていた顔を更に青くして狼狽え始める。ヤタはマオの肩に手を置き、落ち着かせるよう声をかける。


「落ち着け! 麟は大丈夫だ。ただ……」

「ただ?」

「いや……」


 ヤタは爆発した部屋がひなの部屋である事を思い出す。何かあったのだとしたらひなの方だ。

 彼女の存在についておそらく麟から話が行っているだろうが、今は必要以上に話すことを躊躇う。


「とにかく今は皆を安全な場所へ。この場は頼んだぞ、マオ」

「八咫烏!」


 この場はマオに任せ、ヤタは急いでひなの部屋の方へ駆け出す。


 ……こんなに強い異能に晒されたのは久し振りだ。


 長く生きてきたヤタの脳裏に昔の記憶が蘇る。それは、まだ幼い麟と出会った頃。

 当時は自分の力を自在に操る事が難しかった麟も、暴走をし荒れ狂った事があった。それまで自分以上の力を持ったあやかしを知らなかったヤタは、初めて自分よりも強い力を持つ麟を認め、彼に傅くことを誓ったのだ。


 今目の前にいるひなの異能の力も麟の持つ力の強さがとても似ている。だが、明らかに違うのはその性質だった。麟が守護なら、ひなは非常に強い攻撃的な荒々しさを持っている。あんなに大人しく愛嬌溢れた少女の体の中に、これほどまで凶暴な一面があるとは……。


「ひな……っ!」


 ヤタがひなの元に駆け付けるのと同時に、屋敷の奥から慌ただしく麟もシナと共に駆け付けて来る。先に部屋の中を覗き込んだヤタだが、部屋の中にひなの姿はどこにもなかった。


「麟! ひなが……っ!」


 誰もいない部屋の空気に、パリパリと電流が走る。

 部屋の中と部屋の前にある縁側は真っ黒く焦げ付き、障子は完全に吹き飛んでいた。その焦げ付きの中心部には、ひなが居たのであろう痕跡だけが残っている。


「一体何が……」

「私にも分からない。シナの報告によれば大丈夫だからと言って横になったと言うが……」


 麟の表情はとても険しい。

 あの時感じたあの異様な気配。アレが一人になったひなに悪さをしたと考えるのが自然だ。それでも麟がいていつもよりもテリトリーの守備は厳しい状況にある中で、そんな悪さが出来るのだとすれば……。


「夢……」

「麟?」

「ひなの夢に影響を与えたのかもしれない。もしくは、ひな自身に乗り移ったか……」

「乗り移る? どうやって乗り移るんだよ。だってひなは……」


 そこまで言いかけてヤタは言葉を飲み込んだ。

 ひなは生身の人間。ここ幽世は霊魂が多く留まる場所。実体ある人間のひなを器として乗り移れる可能性は大いに考えられる。同時にあやかし達は眠っても見ることのない夢を、ひなは見ることが出来る。乗っ取られたのでないとしたら、その夢に感化することは難しい事ではない。可能性としては一番濃厚な線だとも言えた。


「?」


 麟はその場所にキラリと光る物を見つけ部屋の中に入って近づくと、そこにはひなの髪ゴムが落ちていた。確かこれは、ひなが初めて現世で会った女性から貰ったものでとても大切にしていたもの……。


 麟はその髪ゴムを拾い上げ、ぎゅっと握り締める。

 大事にしているはずのお守りのゴムを落として、こんなにも一瞬のうちに見えなくなるなんて……。一体どこへ消えてしまったのか。きっと今頃は寂しい思いをしているに違いない。

 そう思うとぎゅっと胸が掴まれるような気持になる。



――麟さんっ!



 ふと、どこからかひなの声が聞こえ麟は弾かれるように顔を上げた。そして慌ただしく軒先に出てみるが、ひなの姿はやはり何処にもない。


「ひな!」

「!」



――嫌だ……行きたくないよ……!



 その声を聞いたヤタは人の姿のまま勢いよく翼を広げると、急ぎ地面を蹴って空に舞い上がる。すると遥か遠方、現世に続く扉に向かって物凄い勢いでひなが連れ去られていく姿が見えた。


「麟! いたぞ! 現世の扉に向かってる!」


 そう言うが早いか、ヤタはひなの元へ凄まじい速さで飛んで追いかける。

 麟もまた人の姿から神獣の姿に変わると、すぐに空を蹴ってひなの元へ全速力で走り出した。


 このままひなを現世に放り出すことは出来ない。

 力が解放されて不安定な状態のまま現世に行けば、事件などと言う生ぬるい案件だけでは済まない。もっと大きな、まさに「災い」の元凶になってしまう。更に最悪の場合は悪鬼にさえなり兼ねない。


 あんなにも愛嬌に溢れ、心優しいひなをそんな目には絶対に遭わせてはならないと、麟の気持ちは焦っていた。


 何としてでもひなを連れ戻す。彼女の心が完全に壊れてしまう前に……!


 麒麟の姿に戻った麟の眼光はとても鋭く、更に走るスピードを早めた。





「くそっ……! 何て早さだっ!」


 麟の先を飛んでいたヤタは、自分の持てる限りのスピードでひなを追いかけるが、なかなか追いつかない。自分の体の大きさを利用して大きく手を前に伸ばしながら叫ぶ。


「ひなっ!!」

「ヤタさんっ!!」


 大粒の涙を流しながら、片腕を掴まれているひなは空いている方の手を伸ばす。だが、差し伸べられたヤタの手には届かない。ひなの零れる涙は小さな水の塊となってヤタの頬をも濡らしていく。


 得体の知れない何かに引っ張られる恐怖だけでなく、彼女自身が拒んでいる現世に向かって成す術なく放り出される恐怖を思うとヤタも心苦しくなる。

 麟の為にも何とか彼女を取り戻さなければ。


「くそっ……!!」


 届きそうで届かない。縮まりそうで縮まらない距離感がとても歯痒い。

 ひなのすぐ後ろには現世の扉がある。そしてすでに片腕がその扉の向こう側に呑まれていた。


「嫌だ、行きたくない……! ……アタシハ、コンナ所デ……!」

「っ!?」


 彼女のその言葉に違和感を覚えたヤタは眉を潜め、瞬間的に怯んでしまった。その間にもひなの体は半分以上扉に呑まれていく。


「ヤタさん! 麟さん!」


 涙に濡れた瞳をぎゅっと閉じ、長く黒い髪がたなびく。伸ばされた手はそのままに、扉に飲み込まれていく内に幼かったひなの体が急速に大きく成長した。


『ひなっ!』


 速度の弱まってしまったヤタの横を、射貫くような速さで麟が走り抜ける。

 扉からはもはやひなの手首より先しか見えていない。麟が手を伸ばしひなのその手を取ろうとしたが、指先を掠めるだけで掴むことは叶わなかった。

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