「善福熊五郎じゃ。わしは、こいつを次の村長に推すぞ」
「は!?」
聞き違いじゃなければ、村の未来を担う人の話だったと思うんだけど……。
村長さんは続けた。
「こいつは頭はよくないかもしらん。それでも周りには人が集まる。人の上に立つもんっていうのはそういうもんじゃないんかの?」
娘達もおろおろしている。俺もどっと汗が噴き出している。お姉ちゃんがタオルを持ってきてくれて正解だった。
「俺は中卒ですし……」
「村長なんて学歴でやっとらん。それを言ったら、わしだって高卒じゃ。大して変わらん。それよりも、どれだけ村の未来のことを考えとるかじゃろ」
村長さんの昔だから、高校までしかいってなくてもそんなに珍しくなかったかも……。そうなのか!?
「お前さんは村人よりも村のことを考えとる。それ以上の人材はおらん」
え? え? 俺、今、すごくすごい場面にいるくない!? あれ? 俺今変なこと言ってる!?
霞取さんは何も言わない。村長さんは腕組みをして少し難しい顔をした。
「ただ、村長は1人もんより、夫婦の方がいいな」
「……いや、俺なんて逆に離婚したばっかりですよ!?」
ようやく断る手がかりが見えてきた。俺は離婚された男。だから、そんな夫婦で取り組んだ方がいい仕事とかできる訳がない。
「あ、あの……、それ立候補しても……いいでしょうか?」
「はぁ!?」
ここで、せしるんが小さく手を上げて発言した。
「いやいやいや。ちょっと今の話聞いてた!?」
「はい、お父さんが新しい村長さんになって……それには、奥さんが必要って……」
やっぱりそうだよね!? 段々理解が追いつかないから、俺だけ違う風に解釈してるのかと思っちゃったよ!
最近、せしるんはうちに入り浸って、3人目の娘みたいになってきてた。でも、ここで何を言い始めた!?
「きみははまだ年齢はそこそこでしょ? 俺、42歳だからね!?」
「若いとダメですか!? あ、そうだ。私、童顔なんです! さんじゅう……ごさい……くらいです」
絶対嘘だろ! そんなお肌ビチビチで髪の毛がピンクの色の35歳がいるわけがない。
お姉ちゃんも智恵理も呆然としてる。そりゃそうだ。
「お父さんと一緒だと、私生きていける気がします。これまで、何して良いか分からなかったんですけど、一緒に考えてもらったら生きて行けそうです」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
横からせしるんがにじり寄って来た。
「本当は、私もお父さんの娘になりたいです。でも、そんなの無理だって諦めてました。養子縁組とかも調べました」
俺の顔を横から覗き込むように続けるせしるん。いや、必死さよ! どこまで本気なんだよ!?
「今のお話を聞いた瞬間、目から鱗が落ちました! そうだ! 奥さんだ! 奥さんなら私でもなれるって!」
両腕を広げ、すごくいいこと思いついたって表情だ。いや、完全に間違えてるから!
娘達と仲良くなりたいからって、その父親と結婚するなんて聞いたことがない。
「はっはっはっはっ、なんだか面白そうな話になっとるな。わしはあんたが熊五郎さんと結婚するなら応援するぞ。余計に村のために頑張ってくれそうじゃしな」
俺は思い出した。ここが霞取さんの家で、今は客間で土地問題について話しに来たことを。
「霞取さん、久々に飲むか。うちのの煮物は絶品やけん。うちに来なっさい」
「お前は昔からすぐ女房の自慢ばっかりだったじゃないか」
村長さんと霞取さんは昔は一緒に酒を飲むような仲だったのか!?
「あんたんとこも自慢のカミさんだったじゃろ。比較的早くに亡くされたのは残念やったけどな」
「……初代(はつよ)はいい女やった。料理も上手いし、茶も上手に淹れよった」
霞取さんはお茶のペットボトルをガツッと持った。そして、ぐっと一口飲んだ。
「霞取さんのカミさんのお茶には敵わんじゃろうけど、まあまあじゃろ?」
「……」
霞取さんは何も言わない。
「これが『次の世代の味』じゃ。霞取さん一人でもいつでも飲める」
「……ふん。こんな冷たい茶なんて認められん。茶ってもんは、夏でも熱いもんじゃ」
あー、確かに。急須で淹れたお茶って熱いもんだ。冷たいのは麦茶かな……?
「これからうちに来なっさい。うちのが熱い茶を淹れてくれるけん。そして、一緒に酒ば飲もうや」
「ふんっ、お前んとこの安酒なんか飲むか」
霞取さんはプイと横を向いてしまった。……交渉は決裂……なのか?
「とっときの特別純米大吟醸がある……その酒に合う料理にしてくれ」
村長さんも俺達もパッと明るい顔になった。
村長さんと霞取さんの間にこれまでどんなことがあったのか、どんな関係なのかは俺達には知ることもできない。それは、話を聞いたとしても全てではないだろう。
そして、今、和解の入口が見えてきたところか……。このまま、村長さんが霞取さんの機嫌をうまく取ってくれることを祈るのみ。
ようやく俺達はこの緊張状態から開放されそうだと思った。
後で聞いた話では、霞取さんは各農家さんの畑の賃料や道の駅の賃料を上げたりしないと約束してくれたのだそう。
村を変な方向に導こうとする俺を排除する目的だったのだとか……。
そんなことをしているとは、俺も全然考えてなかったし! 人は変わり続けないと生きていけない。それが嫌なら洞穴の中で生き、動物を狩って生きるしかない。
そんな生活は大変なので、農耕を始め、定住できる家を建て始めたんだ。村が変わっていく方向は間違ってるかもしれない。でも、間違いだと分かるまではやってみないと、正解か不正解かは誰にも分からないのだ。
ちなみに、霞取さんとの話は終わって、村長さんと霞取さんは村長さんのうちに行くらしかったので、俺達は家に帰ろうと考えていた。
ところが、一緒に村長さんの家の夕食に呼ばれてしまうのだった。このタイミングで断れる人がいたら、ぜひ断り方を教えてくれ。