目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第62話:修羅場

 修羅場……日常ではたまに使われるけれど、その意味を調べることは少ない。元々の意味は、インド神話、仏教関係の伝承からで、阿修羅と帝釈天との争いが行われたとされる場所を指す。


 そこから転じて、事件現場や、死刑場、戦場など血が流れる様な場所のことを言う。日本では主に痴情のもつれによる争いのことを言うな。


 この日、俺がこの単語を思い出したのは、これから霞取さんの家に乗り込む予定だからだ。


 村長さん、俺、そして、なぜかお姉ちゃん、智恵理、せしるんの5人で行く。誰かが足りないと思ったら、村長さんの奥さんは今回同行しないらしい。


 ここまでに確認しておきたいこととして、道の駅「いとより」はあの日、閑古鳥だった。直売所「糸より村コンニャク」のグランドオープンの日……もっと言うと、プレオープンで週末2日間だけの営業を数回やった時も。ほとんど人は来なかったらしい。駅長さんからの情報なので間違いない。


 言ってみれば完全に勝負は付いているのだ。勝負だと考えれば、だけど。


 俺達はあの巨大な霞取さんの家の門をくぐり、重厚で荘厳なあのお宅にお邪魔した。この時点で俺はもうハンカチでは汗を拭いきれない状態になっていた。


「はい、お父さん。タオルも持って来てたから」

「ありがとう、お姉ちゃん」


 俺はお姉ちゃんから汗拭き用のタオルを受け取った。娘の方が冷静だなんて、俺は親としてはまだまだだ。俺は一層気を引き締めた。


 廊下の奥からはあの少し良い仕立ての着物を着た老人がゆっくりと歩いてきた。頭は禿げ上がっていて、何度見ても「ぬらりひょん」だ。ぬらりひょん……もとい、霞取さんは落ち着いていて、俺達を客間に通してくれた。


「そげん大勢で押し寄せて、今日は何の様ね!?」


 先に口を開いたのは霞取さんだった。どんな言葉でも、会議などの際に先に口を開いた人にイニシアティブがある。営業のときに教えられたことだった。目的はハッキリしているのだから、俺が先に今日の訪問の目的を言うべきだった。


 ただ、俺たち側のトップは村長さんだ。俺はあまり出しゃばるべきではないと思っていたらこんなことに……。当の村長さんは冷静なもんだ。さすが村長をしているだけはある、といったところだろうか。もしかしたら、過去にも村でこのようなトラブルはあったのかもしれない。俺は無言を貫いた。当然、娘達、せしるんもそれに倣った。


「まあ、そう言うな。一緒に茶でも飲もうと思って来たんじゃ」


 畳の広い客間に大きなローテーブルが1つだけあった。身近手の上座に霞取さんが正座で座っていて、村長は長手方向の端、霞取さん側に胡坐をかいて座っている。


 俺達はローテーブル長手に並んで座っているのだけど、村長さんとはテーブルを挟んで反対側に案内された。広い部屋だし、広いテーブルなんだけど、雰囲気で言ったら村長さんと霞取さんとの話……という感じ。俺達は傍観者……みたいな雰囲気だ。


「茶なんざもう誰も淹れんわ」


 霞取さんが憎まれ口のように言った。


「茶くらい持って来てやったわ」


 村長さんの合図でお姉ちゃんがペットボトルのお茶を出した。純日本家屋の和風の部屋にペットボトルはアンバランスに映った。


「カミさん……残念やったな」


 ペットボトルのキャップを開け、村長さんが一口飲んでから言った。


 そう言えば、前回来た時も霞取さん1人だった。この広い家に1人で住んでいるってことだろうか。そして、奥さんは亡くなった……? 傍観者と化している俺からは口が出せない。


「……」


 霞取さんは視線は手元に落として返答をしなかった。


「聞いたよ、霞取さん。道の駅、儲かっとらんそうやな」

「(ちっ)」


 村長さんズバズバ言った! 霞取さん舌打ちだよ!


「……」

「……」


 ここからしばらく二人とも何も言葉を発していない。霞取さんは目の前のペットボトルはそのままに正座をして前を向いている。


 村長さんは胡坐のまま背中を伸ばし、後ろに両手を突いて外の景色でも見ているようだ。


 俺とお姉ちゃん、智恵理、せしるんは正座をしたままテーブルの木目を見ていた。なんだこの空間。なんだこの時間。


「善福さん……」

「「「はい!」」」


 村長さんの呼びかけに俺とお姉ちゃんと智恵理が返事をした。


「……」

「「「……」」」


 ダメだったか!? 全然状況が分からない時間が続いて辛い。


「熊五郎さん」

「はい」


 どうやら、村長は俺を呼びたかったらしい。呼ばれたことでまるでその場に召喚されたみたいだ。俺達はその場にいたのだけど、傍観者といった感じだった。そこにある置物とさして変わらない状況だった。


 だけど、今呼ばれたことで「3人目」の当事者としてそこに現れたようになった。


「霞取さんは、賃料を上げたりしてないんじゃよ」

「え?」


 そもそも霞取さんが道の駅とか、畑の賃料を10倍にするって言ったところから今回のトラブルが始まったはずだ。


「腐っても土地持ち。今まで生きてこれたのだから、賃料収入で貧乏することも、死ぬことはないじゃろう」


 それはそうだ。


「法律とか難しいことはわしらには分からんけど、賃料10倍なんて到底不可能だって分かってる。じゃが、糸より村は田舎じゃから、霞取さんくらいの権力者が言ったことは大概実現される。無理が通って道理が引っ込むもんじゃ」

「……」


 すげえ。帝国の王って感じか。いっぺんなってみたい。


「熊五郎さん、このペットボトルの茶をどう思う?」

「どうって……。うまいです」


 村長さんが苦笑いした。答えを間違えたらしい。


「霞取さんは、変化が恐ろしかったんじゃ。そして、その変化の中心の熊五郎さん、あんたが恐ろしかったんじゃ」

「え!?」

「そんなわけ……!」


 霞取さんは村長さんに言い返そうとしたけど、途中で止めた。


「茶は急須から出て、蓋椀に注がれるもの。当然、茶托もある……それが、わしらの知っとる茶じゃ」


 ガイワン? チャタク? なに? お茶の話? ペットボトルのお茶がマズかったって話? 


「わしはまだ若いから、ペットボトルの茶を飲める」


 そう言って、村長さんは再びお茶を飲んだ。


「ささ、娘達も飲んで!」


 村長さんがそう言うと、恐る恐るお姉ちゃんたちがペットボトルのお茶を開け始めた。ずっと借りてきた猫みたいに静かに大人しくしていたし、緊張もしていたからお茶は美味しいだろう。


「ほら、あんたも!」


 村長さんは俺にも勧める。意味が分からない。分からないけど、俺がお茶を飲まないと、娘達は飲みにくいだろう。


 俺はキャップを開けると一気に500ミリリットルの半分ほどを一息で飲み干した。


「ふー……」

「はっはっはっ。いい飲みっぷりじゃ」


 俺も緊張してたから茶がうまい。


「あの……お台所お借りできたらお茶を淹れて来ましょうか?」


 お姉ちゃんも状況が分からないみたいで、とりあえず霞取さんの分のお茶を準備しようとしていた。


「……そうじゃな」


 そこで霞取さんが一言言った。


 それを聞いて、お姉ちゃんが立ち上がろうとしたのを霞取さんは無言で右手を出すことで制止した。


「霞取さん、この村は変わらんと生きていけんところまできとる。変わらんためには変わらんといかんのじゃ」


 変わらないために変わる……? 矛盾しているようなことを村長さんが霞取さんに言った。


「わしはまだ還暦過ぎたばっかりじゃから、ペットボトルの茶も飲める。霞取さんも飲んでみたらどうじゃ? ほら、フタを開けてやろう」


 村長さんは霞取さんの分のお茶のふたを開けた。


「変わらんために変わる……」


 霞取さんは手元のペットボトルを見つめながらつぶやいた。


「どんだけ周囲から隔離しても世の中は変わっていく。それに適応できんかったら、わしもあんたも、そしてこの村も生きてはいけんのじゃ」

「じゃあ、わしらはどうしたらいいんじゃ!? わしはまだ生きちょる! これまでしよったことを変えたりできんわ!」


 村長さんは静かな口調で答えた。


「そんなのは今の世の中だけじゃなく、昔から対策方法は決まっとる」

「それは……!?」


 俺も興味がわいた。時代に取り残されて行く年寄りに俺も将来的になっていくだろう。そんなとき、俺はどうしたらいいんだ!?


「次の世代に……若者に委ねることじゃ。頼りなかろうが、不安じゃろうが、わしらはずっと生きてはいけん。うまくいかんこともあるじゃろ。失敗もあるじゃろう……。でも、それはわしらも変わらん。昔に他人に言えない失敗くらい山ほどあるじゃろう?」

「……」


 霞取さんは黙った。ペットボトルに手をかけた。でも、そこまで。


「そんな見込みのある若者なんざおるんか?」


 村長さんに訊いた。この村にそんな未来を預けることができるような人材……村長さんのところの息子さんは役所勤めって聞いたし、あのお孫さんの三人か、そのうちの一人か……?


 その答えは最も予想外の答えだった。


「善福熊五郎じゃ」

「は!?」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?