俺達の朝は「不動明王様」にお参りするところから始まる。
家の外装をガルバリウム鋼板で固め、内装は田舎とは思えないほどの最新の材料を使ったものだ。キッチンも通販で買ったシステムキッチンを設置している。工事を業者に頼んだら120万円くらいしそうなやつも自分たちでやったら20万円くらいで何とかなることもある。
そのキッチンの上の方にはちょっとした祭壇を作って不動明王様が見守ってくれている。不動明王様は調べたら火の神様だった。偶然だけど、それならキッチンにちょうどいい。ご利益として、厄除け、煩悩退散、学業成就、立身出世、商売繁盛、健康祈願、修行者守護などなど……。
「お父さん、今更だけど……この不動明王様って参り方ってあるの?」
お姉ちゃんが訊いてきた。そう言われれば考えたこともなかったな。
「とにかく、一生懸命お参りしたらいいんだよ」
「特に考えてなかったんやね」
智恵理がダイレクトに芯を突いてきた。その通りさ。
(ピリリリリリリ)また電話だ。もう電話が鳴ると反射的に悪いことの前触れって感じてる。
それでも出るから俺はきっと律儀なのだろう。
「はい」
『もしもし、狭間と申します。先日伺った……』
「あ、はい。もちろん覚えてます」
狭間さんからだ。あの「朝市」って野菜直売所の……偉い人。
『その後、どうなってますか? よかったら近々お伺いしたいのですが……』
「はい! もちろん! お願いします!」
『いつにしますか? できれば早い方がいいと思いまして……。どうでしょう、今日でも……』
「はい! もちろん! お願いします!」
俺的にはお願いしている方だから、相手の都合に100パーセント合わせたい。こちらが狭間さんの方に行くつもりだったけど、2時間もしたら向こうからこっちに来てくれたんだ。しかも、美人オーナーの高鳥さんもあの秘書さんも。今回は秘書さんも家の中に招くことができた。
そして、うちで近況についてすごく話を聞いてくれた。こんなに親切な人はいないぞ。どう考えても狭間さん達が儲かる気がしない。彼がこんなに親身になってくれる理由がまるで分らない。
それでも、こちらとしては藁をも掴む思い。俺は話した。全部話した。離婚のこと、元嫁がストーカーみたいになったこと、お金が無くてこの村に移住したこと、母が痴呆になったこと、老々介護の末父親がDVをはじめたこと……。母の生活を守るために施設を見つけて、経済的に独立できるように役所周りをしたこと。関係ないことまで全部。
〇●〇
「それは大変でしたね……。頑張りましたね」
……俺は頑張れていたのか!? これまで一人で頑張ってきた。娘達のこと、母のこと。守らないといけないと考えていた。でも、力不足で何一つ解決できないでいた。狭間さんにそう言われたら、気持ちが高ぶって目から汁が……。
高鳥さんも目頭を押さえている。きっと俺の話を聞いて同情してくれたんだろう。
「狭間さん、まず我々でできることの提案を……」
秘書の東ヶ崎さんが狭間さんの耳にこっそり話していた。この人達は単に同情してくれるだけの人達じゃない。何かできることをしてくれようとしている人達だと感じた。一方的にお願いだけの関係ではよくない……それは分かっているけど、現状では頼りたくなるのが人間というもの。
「なるほど……。割と厄介ですね……」
狭間さんはテーブルの席について顎を触りながら考えてくれている。
お姉ちゃんがまたとっておきの羊羹を出そうとしていたので、そこまでは許した。大切なお客様だ。お茶菓子くらいは出さないと。そのあと、智恵理がピンク頭のYouTuber岡里セシルからもらった、ちょっといい果物も出そうとしていたので首根っこ摘まんで止めた。そのリンゴはどこぞのデパートで買った箱に入ったやつだから……。
「お父さん! 前回はお姉ちゃんがお菓子を出したでしょ!? 今回は私でしょ!?」
「ま、まあ……。お姉ちゃんはお姉ちゃんだから……」
「姉至上主義は良くないと思うの。妹にだって価値はあると思うの! むしろ妹の方か価値が高い世界だって……」
お姉ちゃんも智恵理もこの三人が来るとバグってしまう。相性がよくないのだろうか。
「狭間さん、うちには法務部門もありますよ? その霞取さんって方に弁護士経由で内容証明でも送ったら大人しく話を受け入れてくれるのでは……?」
「さやかさん、これが福岡市内ならそれもアリでしょう。でも、ここは小さな村です。ケンカ腰になってしまったら善福さん一家がこの村に本当の意味で入っていけません」
「なるほど」
あ、狭間さんって俺の2歩、3歩先を考えてくれている。相当頭いいな、この人!?
「そうだなぁ……この場合のキーパーソンは……」
「村長さんですね!」
「さすが、さやかさん」
二人の掛け合いが面白い。そして、サクサクと話が進んでいく。もうひとつ面白いのは美人秘書の……東ヶ崎さんは一言も口を挟まない。さっきのアドバイス以外一言も。この人はあくまで秘書という立場なのだろう。
「でも、霞取さんが賃料を上げさせずに、農家さん達が道の駅に野菜を出品し続ける……そんな都合のいい方法なんてあるんでしょうか。しかも、霞取さんが気を悪くしないなんて……」
「完全に思い通りってわけじゃないけど……少なくともこっちが有利にしないとな」
狭間さんは「ちょっと失礼」と言って智恵理が持ってきた箱入りのリンゴを目の前に手繰り寄せた。やっぱり、今日は羊羹よりリンゴの方がよかっただろうか……。
「この箱が道の駅、リンゴが農産物とします。そして、これらは霞取さんのものです。俺達は喉から出てがるほどこれが欲しいですよね?」
「そうですね。……あ、そうか。だから、私達は霞取さんの言うことを聞かないといけないんですね」
そうか、道の駅も農作物を作っている畑も霞取さんの土地なんだ……。
「霞取さんが羨む様なものをこちらが持っていれば、初めて交渉ができる……と」
「善福さん、その通りです!」
狭間さんに褒められた。嬉しい。でも、お姉ちゃんと智恵理が面白くない顔をしている。いや、俺いいこと言ったよね!?
「あ、でも、この村に価値の高いものなんて……」
「あ!」
俺が考えようと思ったら、高鳥さんが何かに気付いたらしい。
「私達の今の仕事はコンサルタント。それは物の価値を高めるのが仕事でした!」
なぜだろう。高鳥さんがものすごく嬉しそうだ。
「善福さん、物の価値を高める一番簡単な方法がなにかご存知ですか?」
高鳥さんが気持ちいいほどのドヤ顔だけど、かわいいので嫌味に感じない。それにしても、「ものの価値を高める方法」というのはなんだろう……。
「良い材料を使う……とかですか?」
「もっと簡単なことです」
高鳥さんの笑顔……これはあまり近くで何回も見たらダメだ。とにかく……何かがやられてしまう。何も考えられなくなってしまうし……。
「懐かしいですね。このやり取り」
「はい」
狭間さんと高鳥さんの世界が……。いや、めちゃくちゃ難しいぞ!? 価値を高める方法……。野菜の? それとも道の駅の……?
「あ、ごめんなさい。もったいぶるつもりじゃないんです。物の価値を高める方法は……」
高鳥さんはウインクで人差し指を立ててレクチャーするみたいに教えてくれた。
「名前を付けること……ですか!?」
意外過ぎる答えに俺は驚いた。
「そうなんです。例えば、『リンゴ』と『美味しいリンゴ』ではどちらを選びますか?」
「『美味しいリンゴ』……ですね」
なるほど、でもそれが今回のことにどう生きるのか……?
「では、早速村長さんのところに行きましょうか」
狭間さんは何やら自信あり気だった。