「糸より村」では3組の新しい村民を受け入れることにした。それは村長である、久根崎貴之(60)の独断と偏見で決められる。1人目はピンクの髪でロングヘアのYoutuber、岡里セシル(推定20)……通称「せしるん」であった。
彼女は登録者数30万人という中堅Youtuberで、人気があるのは間違いなかった。それだけではなく、彼女はこの村の住人からしたら「若い」「女」という人気が出る要素を2つも押さえていた。そのため、村中から年齢関係なく彼女の家に押しかけていた。
その用事は、「挨拶」に始まり、「プレゼント」、「村を案内してあげる」、「求婚」などなど好意によるものだったが、毎日100人以上が訪問するため「せしるん」はかなり焦っていた。住むところを決めたということは、同時に「家バレ」したも同然。これから郵送や宅配便でもプレゼントが届くようになることをようやく彼女も気付いたようだった。
「あれ? 私、Youtuberとして詰んでない!?」
数日間でようやくその事実に気付き始めたのだった。
〇●〇 善福熊五郎の場合
俺は簡単な荷物だけを持って糸より村に引っ越した。とにかく庭の草ボウボウを何とかしたかった。あれはセイタカアワダチソウだろうな。でも2メートル近く育っているのは初めて見た。
俺は、村長さんのところに行って草刈機を借りることにした。
「草刈機? ちょうど燃料が切れとってね……。それでよかったら貸しちゃあよ?」
草刈機はちょうど庭先に置いてあった。2メートルくらいのバーの先端に丸鋸が付いていて、反対側にハンドルが付いているタイプ。エンジン式で先端の丸鋸刃が回転して草を刈るタイプだ。
燃料切れか……。たしか、国道沿いまで行けばホームセンターがあったな……。
「元々燃料代はお支払いしようと思ってました。ちょうどいいので貸していただけますか?」
「うーん……よかけど……大事な草刈機やけん、壊されたらねぇ……。先に燃料買って持って来てみんね」
「……? 分かりました」
謎のミッションをいただいてしまった。草刈機の燃料を買ってくる……?
俺は自分の軽自動車を走らせてホームセンターに向かった。
〇●〇
「あんたも人が悪かねー」
村長、久根崎貴之(くねざきたかゆき)60歳に話しかけるその人は、村長婦人、十糸子(としこ)58歳だった。
「なんがや?」
「あんな都会の豚が草刈機の燃料とか知らんくさー。やかんか何かを持ってスタンドに行って『これにガソリンば入れてください』とか言って困らせるとよ!」
「かもなぁ。そしたらすぐに都会に帰らっしゃーやろ」
村長の奥さん「十糸子」は、約40年前に近くの都市から嫁入りしてきた。そして、その時からコンビニもスーパーもないこの村を見て絶望した。
比較的良い家の出身だった十糸子は家事も畑仕事もろくに知らずに久根崎家に嫁入りした。当時は先代が村長になっていたので、長男の久根崎貴之は有望出世株だったと言える。しかし、それだけに周囲から無知と経験がないことをバカにされ、裏でいじめられた。
草刈りもできないのかと鎌だけ渡されて広大な広さの畑の雑草を刈らされていた。それを泣きながら行い覚えたことだったので、十糸子は後進に親切に教えてあげることができないねじ曲がった性格の年寄りに仕上がってしまっていた。
「豚がどんな燃料ば買って来るか楽しみかねー」
〇●〇
1時間後、俺、善福熊五郎はホームセンターから帰還した。再び村長の家に戻ってきた。先に草刈機を貸してくれたら、燃料を買って来てもその後すぐに草刈りを始められただろう。
しかし、わざわざ燃料を買って来いと言われたのだ。「あんまり安いのを使うな」ってことだろうか。
「お待たせしましたー。買ってきましたー」
俺は元気よく戻ってきた。すると、玄関先には村長とその奥さんと思われる方も待っておられた。
「あ、初めまして。善福熊五郎です。焼酎みたいな名前ですが、本名です」
「あー、あんたね。ワタしゃ村長の奥さんたい。ほら、燃料ば見せてみんね」
俺はいわれるがまま、燃料の缶を見せた。
「量はこれくらいで足りると思ったんですけど……」
「あんた、何でこれば買ってきたと?」
村長の奥さんは俺の持ってきた燃料を指さして訊いた。
「あぁ、見せていただいた草刈機が2サイクルのエンジンみたいだったんで、混合燃料を買ってきました」
奥さんがたじろいでいるようだった。これで良かったのか?
「じゃあ、何で25対1の燃料にしたとね?」
混合燃料は一般的にガソリン50に対してオイル1の「50:1」とオイルが2倍の「25:1」の2種類がある。
「拝見したところ、年季が入った草刈機みたいだったので、草刈機を傷めないよう『25:1』にしました」
「ぐぬぬぬぬ……」
「あれ? まずかったですか?」
俺は慌てて訊いてみた。
「それでよかたい! 何で都会の人間が混合燃料のことばそげなくわしいとね!」
「あ、ホームセンター大好きで……」
俺の趣味はホームセンター巡り。ホームセンター大好きなのだ。
「あ、じゃあ。草刈機お借りするので先に燃料を入れて、庭の残りの草を刈らせてもらいますね」
「ちょ、そげんこつせんでよか」
「でも、燃料切れたんですよね? そんなにたくさんないからすぐに終わりますから」
燃料を入れ、刃の固定が緩んでないか確認。飛散防止カバーの固定も確認。プライマリーポンプを押して、チューブの気泡がなくなるまで燃料を送る。チョークをONにして、スイッチON、そしてスターターのワイヤーを引くと一発でエンジンがかかった。
この草刈機、見た目は古いけれど、大事に使われていたようだ。人柄がこういうところに出るんだよな。使い込まれた道具はこういうところが面白い。
さて、チョークを戻して作業開始、と。
「右側から左側に向けて、と。草を刈る幅は1.5メートルほど……」
無意識につぶやいてたか?
俺は、村長さんの庭に残っていた草を刈って、ビニールに詰め込み車に載せた。草刈り自体は1時間もしたら終わった。草刈機作業が20分程、草を集める作業が40分程。草刈機は、草を刈る作業よりも刈った草を集めるのが大変なのだ。
「じゃあ、借りて行きますねー!」
「待ちんしゃい!」
村長の奥さんに呼び止められた。
「草刈りばしてもらったんやけん、お茶くらい飲んで行きなっしゃい」
「あ、ども……」
せっかくなので、縁側に座らせてもらって、麦茶をいただいてから自分の家に向かった。
□□□ 母の近況
俺の新居が見つかった。福岡市から遠く離れた村。しかし、一応県内だ。母親はとりあえず手術を受けて、入院した。たまにお見舞いに行くことになった。多くの病院はウイルス性の病気の感染を恐れてお見舞いできないところが多いのだが、あの病院は全室個室なので、比較的自由に面会できた。
父親も毎日洗濯物を受け取りに来た。毎日DVしていた相手を毎日見舞いに来るなんて異常な行動は俺からしたら理解できなかった。一応、夫婦なので面会は禁止しなかったのだが、病室に来た父は、「腹式呼吸で早く病気が治る」などといって、母の下腹部を押したりしたらしい。看護師に止められ病室を追い出されたと病院から電話がかかってきた。
病院は「面会をやめさせたい」と言ってきたが、「5分だけで良いのでお願いします。次なにかしたら面会をやめさせます」と約束をしてお願いすると、5分間だけの面会が許可された。その代わり、病室内か、すぐ外で医師か看護師が待機して、変な行動をしたらすぐに追い出すように監視を付けるとのこと。
俺としては、ありがたいばっかりなのでお礼を言った。ちなみに、面会時間5分までは父親のみ。俺が行った時は1時間でも2時間でも問題なかったので、母に昼ご飯を食べさせたりして会話の時間を作った。