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第8話:絶望する暇もない

 多分……、こんなことを言ったらなんだけど、俺はもう死のうと思っていた。離婚され、娘達も俺の下を去っていった。取り残された家で一人……。食べずに、飲まずにいればいずれ……と思っていた。積極的に死のうと思っていた訳じゃないけど、いずれはそうなっても仕方がないと思っていたのだ。大事な家族を奪われると力がでない。動けなくなっていた。


 ある意味母親は俺を助けてくれたのかな。あんな状態でも俺の命を救ってくれたんだ。俺も母の身の安全と生活を確保することにしようと思った。


 母親に関しては、ゴールは「生活保護を受けて母が生活できるようになる」ことだけど、そこには色々ハードルがある。


 身分証明書作成(区役所)→銀行口座開設(銀行)→年金振込先変更(年金事務所)→生活保護申請(区役所)


 不謹慎だけど、ちょっとドラクエみたいな気になっていた。一つ一つミッションをクリアしていく感じ。


 幸い時間はある。一つ一つこなしていけばいいだけだ。


 〇●〇


 さて、まずは母が住んでいるエリアの区役所に行った。

 よく考えたら、身分証明書って本人以外が作るのって難しい。考えてみたら、簡単につくれたら他人に成りすますのが簡単になってしまう。いくら母親だと言ってもそれは大丈夫なのか!?


 俺は恐る恐る「戸籍課」に行った。整理券をもらって約30分待った。


「あ、善福翔子さんの息子さん!」


 自分の順番の時に窓口の人に言われた。


「はい! 熊五郎です! 焼酎みたいな名前ですが、本名です!」

「保護課の柞原(くばら)から聞いてます。頑張って下さい!」


 応援されてしまった。それにしても、柞原さん連絡してくれていたんだな。すごく助かる。また1時間かけて説明しないといけないのかと思った。


「新しく保険証を作るのってすごく難しいんです。翔子様の場合は既に保険証は発行しているので、再発行しましょう!」

「再発行……」

「はい、本来は紛失とかのときに再発行を行うのですが、今回は事情が事情なので……」


 DVからの避難っていうのは理由としてだいぶ役所で考慮してもらえるみたいだ。助かった。


「ただ、住民票のある住所に送られるので……どうしましょう? 受け取れますか?」


 実家に届いたら、確実に父親が受け取る。そしたら、何の意味もない。


「郵便が届くタイミングで郵便受けに行くのは無理そうです……」

「じゃあ……今日、もう少し時間取れますか?」

「はい」


 時間だけは腐るほどある。


「じゃあ、今日中に再発行して、手渡しできないか上司にかけあってみます」

「はい! よろしくお願いします!」


 そんなことができるんだ。今日身分証明書が手に入るとその後が動きやすい。時間次第では、次の郵便局まで行けるかもしれない。そこで窓口で聞いた話でそれを早々に断念することになる。


「大丈夫でした! 30分程いただければ今日発行します!」

「ありがとうございます!」

「あと……後期高齢者医療保険証はお持ちですか? 同じようにお持ちでなければ再発行した方がいいですよ」


 後期? 高齢者? 医療? 保険証? 今再発行してもらっているのは??


「あの……いまの保険証とその後期高齢者……の保険証とは違うんですか?」

「えっとですね……」


 そこは書類を受け付けるだけの窓口。話し込んでいると窓口の担当者の人も周囲をチラチラ見て落ち着かない様子。ああ、そうか。今の世の中、モタモタしていたら叩かれる世の中なのか。こっちは教えてくれるところがあるのならばそこに行くけど、この窓口はここと両隣の3つしかない。俺がこの窓口を1つ占拠してしまったら、他からクレームが来てしまうかもしれない。


「7番の窓口が担当なので、そちらで聞いてもらえますか?」

「分かりました!」


 窓口の人は面倒くさくて他を案内したんじゃない。説明してくれそうだったけど、明らかに周囲を気にしていた。色々と難しい世の中だ。


 〇●〇


 今度の7番窓口は、「保険年金課」こんなの聞かないと絶対分からない。


 整理券をもらってまた30分ほど待つ。


「すいません、母の分の『後期高齢者保険証』ってのの再発行をお願いしたいんですが……」

「ご本人はご一緒ですか?」

「いえ、本人は病院で手術と入院予定なんです」

「あーーーーーっと、そうですか……」


 おっとりした感じの美人のお姉さんだけど、俺の言ってることに困っている様子。どうしてこう、役所って1つ1つ説明していかないといけないのだろうか。また母の話から始める必要がるのか……。


「そうだ! 年金課の柞原さんの紹介で保険証の再発行をお願いしていて、それが発行される間にこちらに……。申し訳ないですが、柞原さんに確認してもらえないでしょうか」

「そうなんですね。分かりました」


 待つこと10分。


「では、後期高齢者医療保険証の再発行を行いますね」

「よろしくお願いします! 大変申し訳ないですが、今日受け取りってできますか? 父親のDVからの避難中なので、住民票の住所に届くと都合が悪くて……」

「そうですか。では、こちらの封筒にお届け先を記入してください。その住所に届きますので」

「分かりました」


 窓口によって対応が違うのか……。色々難しい。


 こうして1日かけて、「保険証」の再発行を受け取り、「後期高齢者医療保険証」は後日郵送で俺の家に届くことになり、保護課の担当者さんとの話の場が持てたという成果を上げた。


 翌日は銀行に行った。これがまた難しい。幸い「保険証」は再発行してもらった。印鑑は百均で購入済み。それだけあれば口座が作れると思ったのだけれど、「本人の意思確認」というのが必要だった。


「申し訳ありません」


 窓口では若い女性が頭を下げる。


「どうしたら、本人の意思確認が取れますかね?」

「こちらにお越しいただくしか……」


 ここでまた母の入院の話、DVからの避難の話、年金が必要な話をすることになった。つまり、1時間かかった……。


「しょっ、少々お待ちください。上司に話してきます」


 ああ……、その上司さんが来たらまた1時間話す必要があるのか……。世の中、難しいぜ……。


「あの、こちらにお願いします」


 スーツの男性が奥から出てきた。少し年配という感じで、いかにも上司って感じ。


 その上司さんは窓口ではなく、裏の投資などを話すもう少し良いブースのところを指示した。いいだろう。また1時間話すさ!


 ところが、さっきの窓口のお姉さん、俺が話した話を上に上手に伝えてくれたようだ。さすがきれいだと思った!


「事情は承知しましたが、本人確認は必須項目となっているんです……」


 やっぱ、だめかぁ……。


「そこで、息子様の方で病院に行っていただき、私どもから息子様にお電話させていただきます。病院の方にもご挨拶いただき、その後お母様にお電話にて意思確認をさせていただくというのはどうでしょうか?」


 いける! それならできそう……なのか!?


「意思確認ってどんなことになりますか?」

「こちらから、『息子様を代理人として銀行の口座をお作りしようとしていますが、よろしいでしょうか?』とお尋ねします」

「本人が『ハイ』と答えたらいいですか?」

「そうですね。もちろん、お名前や年齢などはお尋ねすると思います」


 それならいける! 名前とかは忘れないもんだ。


「分かりました! それでお願いします! いつ可能ですか? 私ならば今からでも行ってきますけど!」

「……分かりました。では、1時間後ではいかがでしょうか? 一旦、私にお電話いただき、その後、こちらから折り返させていただきます」

「分かりました! よろしくお願いします!」


 多分、銀行としての最大限の譲歩だと感じた。こちらとしても銀行口座は絶対に必要なので、喜んで了承した。そして、長引かせたくないので、今日行くことにした。


 お陰様で、通帳はその日に発行してもらえた。キャッシュカードは後日しか送ることができず、住民票の住所にしか送れないとのことで断念した。通帳だけあれば年金は受け取れる。引き出すときはすごく苦労するだろうけど、それは後に考えたら良いはずだ。


 〇●〇


 同じ方法で今度は年金事務所に行き、年金支払先口座の変更をお願いしてきた。本人でない場合は、委任状が必要と言われた。委任状は非常に難しい。母が字を書きたがらないのだ。困っていると、郵送ならば委任状は必要ないと言われた。そこで、用紙をもらって帰り、記入の上郵送することにしたのだった。


 もちろん、母にはその旨 話してから手続きを行った。母は「よろしくお願いします」と言った。息子だというのに敬語で話されるのは少し寂しい気がした。


 こうして、2週間ほどかけて、「保険証」、「後期高齢者医療保険証」、「銀行口座」、「年金」を手に入れた。


 あちこち行く必要があることで俺は自分の「絶望」について少しの間忘れていたことに気が付いたのだった。


■■■ 善福清美(離婚済、手続きが面倒なので旧姓には戻さなかった)


家が大きい! もはやお屋敷! やっぱり、中卒とは違う! 


私は愛する旦那様とかわいい娘達のために美味しいご飯を作るの!


あれ? その旦那様は最近仕事が遅いけど、大丈夫かな?


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