いつからだろう? ここまで心が荒んでしまったのは。
私には夢も希望も将来も、未来に期待する事なんて何も無かった。
鬱屈した想いを抱えたまま、私は高校生になっていた。高校生活は退屈で、刺激なんか無く、毎日が淡々としたまま過ぎて行っている。
全ての発端はきっと、私が小学三年生の時、両親が離婚した事だろう。物心付いた頃から私のパパとママは仲が悪く、夫婦関係は完全に冷え切っていた。
パパもママも外で愛人を作る事は無く、表面上は何食わぬ顔をして日常生活を送っていたが、それに反比例するかのように我が家の空気は重く暗く澱んでいった。
家庭環境は最悪なのに、パパとママが中々離婚に踏み切らなかったのは、ひとえに私の存在があるからだ。子は鎹、と言うけれど、毎日お通夜みたいな空気に包まれる家にいなくちゃならないのは、まるで拷問だ。
一度、三人でじっくりと話し合った事があった。
『パパと一緒なら寂しくないぞ?』
『……何があってもママはあなたを守り抜くわ』
――……だから、一緒に暮らすのはどっちが良い?……なんて聞いてくるんでしょ? 両方とも選べる訳が無いよ。今現在の、私のため、とか言って離婚しないなんて選択、迷惑だからやめて欲しい……
子供の健やかな成長ためには両親が健在な方が良い。そんな大義名分を振りかざして婚姻関係を継続するなんて、間違っていると思う。家で顔を合わせても互いにシカトし合う両親を見て、娘の私がダメージを受けないとでも思っているのだろうか? 温かみがあって、笑顔の絶えない家庭に憧れを抱いたのはこの頃だ。……でも。そんな平和な家や家族なんて、私には一生望めないんだろうなあ……との諦めも、頭を過ぎっていた。
――……だったら。
自分の好きな事をして、イヤな事は忘れてしまおう。……うん、分かっている。現実から目を逸らしたところで、何の解決にもならない事くらい。でも、私にはもう、縋れるものが無いんだ。
という訳で、パパとママが離婚する直前、私は二人の毒親を徹底的に利用する事にした。
欲しい物は片っ端から買って貰い、週末にはリクエストを出して外出三昧。夕食は家族で外食をしまくった。
確かに、それで一時的に寂しさは紛らわせる事ができたのだけれど……空虚な心の穴は、埋める事ができなかった。
でも、両親の不仲や、家での居場所の無さは、パパとママがいよいよ離婚の秒読みに入った頃に買って貰ったスマホが解消してくれた。……正確には、スマホで始めたアプリ――Twitterだ。思えば、私は両親からの愛情が不足していて、承認欲求の塊になっていたのかもしれない。Twitterに触れている時の私は、本当に生き生きしているようだった。スマホの画面越しの知らない誰かが、私の言葉に目を通してくれる。リプライやリツイート、いいねで反応してくれる。それは途轍もない快感だった。当時はまだ小学三年生だったから、悪い大人達に騙されないか多少の不安はあったけれど、その恐怖よりも好奇心と承認欲求の方が遥かに上回っていた。
私にスマホを買い与えてくれたのはパパだ。でも、両親が離婚したら、私はママについて行こうと思っていた。何の事は無い。ただの消去法だ。パパは一流企業に勤めるエリートサラリーマン。年収は申し分ないし、この頃のパパはまだ30代半ばと若かったし、出世街道にも乗っていたようだから、将来に関する心配は一切無い――はずだった。ある一つの懸念を除けば。
エリートで、若くてイケメン、将来も安泰……と来れば、このままママとの離婚が成立すれば、後妻の立場を虎視眈々と狙っている女性が沢山現れると思われるんだ。そして気障なパパはモテていた。再婚が早いであろう事は、想像に難くない。しかも後妻を娶るにあたってこんな事を言って来るに決まっているんだ。
『お前ももう小学三年生だ。男のパパだと、女の子の身体の悩みを聞いてあげられないかもしれない。だから……新しいママが必要だと思うんだ。な?』
……私には新しいママなんて要らない。と言うか、パパなんかもっと要らない。本当はママも要らないけれど……小学三年生の未成年が生きて行くには保護者が要る。だから、消去法の結果、私はママを選ぶ。……大丈夫。私にはTwitterのフォロワー達がいる。どんなに辛い事があったとしても、Twitterの皆がいてくれれば、私は何も心配要らない――
こうして—―
小学三年生ながらツイ廃になってしまった私の事など構わず、両親の離婚はあっさりと決まった。
私の希望が通るか微妙だったけれど、親権は無事にママが取った。実は、ママはパパと結婚する前、相当腕の立つ弁護士だったようで、結婚を機に仕事をすっぱりやめて家庭に入ったそうなのだ。
そして離婚が成立した今、ママはもう一度、弁護士としてのお仕事を再開するべく動いていた。何と言うか、手に職を持っているとか、人生に役立つ資格を持っているのは、生きて行く上でとても有利に働く事を、私はこの時に学んだのである。同時に、母子家庭となった私も、学業だけはしっかり修めて、路頭に迷わないように決意した。
だが、しかし。
私の決意はあっさりと崩れてしまう事となる。
決して私の怠慢なんかじゃ無い。それは、高校入学と共に忍び寄って来た、悪夢が原因だった。
暫くママとの二人暮らしをして来たが、私にはパパの不在は全く苦にならなかったし、むしろ『新しいママ』を、『私のために』連れて来ようとしていたパパに強い憤りを感じていたので、例え実父だとしても、彼が視界に入って来ない事で非常にせいせいしていた。
一方のママは『新しいパパ』の話なんておくびにも出さず、私の事をのびのびと育ててくれていた。
でも、ママだって私の味方では無い。何故かと言うと……
「
「……どうも」
――……ちっ。エロオヤジが、鼻の下伸ばしやがって。
ママと私が二人で住んでいるアパートに、男が出入りするようになったのだ。私に愛嬌を振り撒いているが、この男はママの彼氏である。ここ最近、ママはとっかえひっかえ男を漁るようになっていた。
ママは年齢的には40過ぎだが、体型は崩れておらず、若々しさもキープしている。そんなママに魅了される男がいるのも事実だが、密かに娘の私を狙っているロリコンクズがいるのもまた、事実だった。
……実際、私は、ママの別の彼氏に襲われた事がある。
とても……怖かった。そして、痛かった。大事な純潔を奪われた事を、けれどママには言えなかった。怖くて言えなかったし、もし言ってしまって相手に知られたらと思うと、とてもじゃ無いけど黙っているという選択肢しかなかった。
ママの彼氏と言ったって、例え目当ての彼女が妖艶な美魔女だとしても、現役JKの娘を前にしてしまえば、その圧倒的な若さの前に欲望を抑える事などできなくなるのだ。
私は華のJKだし。恋も青春も謳歌したいのに。どうして薄汚いおっさんに汚されなきゃならないの? 辛いよ。哀しいよ。悔しいよ。苦しいよ。
……ママと一緒に暮らす事を望んだのは私だから、本来ならば文句は言えないのかもしれない。でも、本当ならばママとも同居はしたくなかったんだ。両親の離婚は衝撃だったけれど、当時の幼い私はパパかママのどちらかと一緒に暮らさなければ生きていけないと思い込んでいた。
……せっかくTwitterでの繋がりがあったのだから、フォロワーに相談して意見を募る事だってできたのに。その発想が無かったから、児童養護施設で暮らすなどといった選択肢にも気付けなかったんだ。
そんな『事件』があったせいで、私は歪んだ高校生活を送る事となる。退屈な毎日の始まりだ。
大遅刻――というテイで――午前の授業をサボったり、昼休みにふけて午後の授業をサボったり。
サボって何をしているか? というと……
Twitterのウラ垢を使って男と会っていた。
現役JKは相手にとってはリスキーだけれど、私は今日――四月一日が誕生日の18歳。合法JKになったのは今日からだが、昨日まで会っていたオジどもは、全員が唾棄すべきロリコンクズだ。とは言え、今日からOKという単純な話じゃない。それに……オジどもには、私の身体に指一本触れさせていない。パパ活じゃ無いからお金は取って無いし、ホテルに誘導しようとしたら思い切り睨み付けて凄んで見せていた。それでも引かない輩だった場合、躊躇なく大声を上げて逃げ出していた。とても危ない橋を渡っている事は分かっている。でも……このスリルが堪らなかった。
四月一日、エイプリルフール……か。今日が誕生日って、私が生まれた事もウソなのかな。
何だかロリコンクズに制裁を加えるのも虚しくなってきたな。
……Twitterのウラ垢、もうやめようかな?
うん……これで最後にしよう。
最期の正義を振りかざして、誇らしく逝こう。
誕生日は公開設定にしていないから、相手にバレる事は無い。
昨日までは未成年だったからキモオジの粛清も少年法で守られていたけれど、今日からは話が別だし。
散々な人生だったな。……18年間ありがとうございました。
最期に会うオジは……「こーじ」さん、45歳か。最期だから、せめて想い出にしたいな。……キモオジだったらNGだけど、イケオジだったら……肌、許して良いかな?
『ツイートを送信しました』
……これで後戻りはできない。でもまぁ、最期だし、いっか。
結局、私の心は誰にも癒せなかった。ウソでも良いから優しい言葉を掛けて欲しかった。でも、どうでもいい。どうせ私はこのオジと別れた後――
「……あの、
「はい、あなたがこーじさ……って、君は!」
驚いた。こーじさんの年齢詐称に一瞬、怒りも沸きかけたが、そんな感情もすぐに霧散してどうでもよくなってしまう。
いや、問題は年齢じゃ無いんだ。私と待ち合わせをしていた、この、H.N.こーじの正体は――
「やっぱりだ。ウラ垢女子H.N.
「君は……クラスメイトの」
「あぁ、顔だけは覚えていてくれたんだ。嬉しい。僕は
「……ごめん、覚えていない」
ウソだった。田神くんは私がママの彼氏に襲われる前まで、割りと仲良くしていたクラスメイトの男子だ。でも、ママの彼氏の件があってから私は男性恐怖症になってしまい、田神くんとも話すのが怖くなっていた。
それなのにキモオジやらロリコンクズに制裁を加えるのに躊躇は無いのか? と聞かれると、答えはこうだ。
私は未だに実のパパを許せていない。だから世の腐ったオジどもには分からせる必要がある。そうする事で自身の心を保っているのと同時に、私の中の嫌いなパパが暴れないように抑え付けているのだ。
けれど……と、私は考える。仲良くしていた頃の田神くんを思い出せるならば、私はママの彼氏に植え付けられた男性恐怖症を克服できるかもしれない、と。
もしかしたら私の人生に一筋の光が射すかもしれない。そこで私は率直な疑問を彼にぶつけてみた。
「君はどうして、身分を偽ってまで私に会おうと? というか、どうして私のウラ垢知っているの?」
「前に篠田さん、移動教室の時にスマホを置き忘れた事があったでしょう。僕も見つけた最初は誰のか分からなかったから、確認するために失礼を承知で中を見たんだ。ロックは掛かっていなかった。でも……ウラ垢の存在と内容は、ロックを掛けるべきだなと思ったよ。けど、一番衝撃的だったのは、三月某日の日記。何たって、『四月一日に、私の人生に終止符を打ちます』って書いてあったんだ。本当かどうかはともかく、そりゃ止める一択でしょ」
「……そっか。全部知っていた上で、私の自殺を止めようとしてくれたんだ」
「当たり前だよ。僕は篠田さんの事が好きだから」
「!?」
「本当はもっとスマートに告白したかったけど、篠田さん最近真面目に学校来なかったから。今回の計画は賭けだったけど、自殺を止められたから結果オーライさ」
「……ありがとう。私、もう少し頑張ってみる」
「うん! 迷惑じゃ無かったら、僕も支えたいと思っている」
「…………本当にありがとう。今はまだ、動揺が強くて告白のお返事はできないけど、いつか必ず答えるから。待ってて貰えますか?」
「もちろん。焦る必要は無いよ」
私には夢も希望も将来も、未来に期待する事なんて何も無かった。
けれどそれは、私を密かに慕ってくれていた田神幸くんのお陰で大きく変化する。
私はもうウソを吐かない。キモオジやロリコンクズを成敗するために派手なウソを吐き続けたけれど、田神くんは全く違うウソで私を救ってくれたから。身分を偽り、危険すら省みない……
やさしいウソで――
END