「あの少女……、ザキナはどこへ行った」
その尋問官の声に重なり、しゅっ、と鞭の音が仄暗い小屋のなかに響く。鞭は、手足を鎖に縛られたドーズの胸に、肩に、顔に跳ね、その身体に幾つ目か分からぬ傷を付けた。そのたびにドーズは苦しい息の下から呻き声を漏らす。
「ぐぁっ……」
「話さないか、ドーズ大尉。吐くまでこの責め苦は限りなく続くぞ」
「……知らぬ……」
「懲りない男だな、大尉、お前は」
再び二度、三度と鞭が唸る。服が裂け、先日負った火傷の跡が露わになるが、それでも尋問官は容赦しない。永遠に続くかと思われる拷問の中で、ドーズは切れた唇から血を滴らせながら、もう何度目かも分からぬ言葉を力無く発した。
「……知らぬのだ、本当に……ザキナの行方なら……俺が知りたいくらいだ」
「戯言を! まだ鞭打たれたいのか。何のためにお前を陣地まで連れ戻したと思っている!」
尋問官はぐっ、とドーズの顎を掴むと、傷だらけのその顔を、鋭い眼光で睨み付けた。
「……知らぬものは、知らぬ……」
ドーズは絞り出すような小さな声で、唸った。
……実際、ドーズが駐屯地跡で目覚めたときには、ザキナの姿は消え失せていたのだから、そう答えるしかドーズには選択肢はない。
だが、そうであっても、鞭は再度ドーズの身体に振り下ろされ、責め苦は続く。その拷問は、ザキナ殺害の命に抵抗し、彼女を庇って陣地から逃亡した罪への見せしめも含んでいたからに、他ならない。
やがて、ドーズの頭ががくり、と下を向いた。全身を這い上がる苦痛にドーズは、遂にその意識を手放した。
……ザキナ、元気か。お前が何者であっても、俺はお前に無事で居て欲しい……。
遠ざかる思考の中で、ドーズは静かに呟いた。
次にドーズが目を覚ましたときには、目の前に尋問官はいなかった。代わりに目に映ったのは、旧友、アルムの姿である。アルムがドーズの瞳を見やるその表情は苦々しいものであった。
「ドーズ……やはり、お前は優しい。そして大馬鹿者だ」
「……やかましい……」
ドーズは身動きのとれぬ身を捩りながら呟いた。アルムは僅かに苦笑する。
「やかましいとは酷いな。俺は、お前が国境に去ってからも、ずっとお前の身を案じてたというのに……」
ドーズは沈黙した。ふと、数年前の、王都での風景が心に蘇る。未来に希望しかなかった、あの頃。そうだ、あの頃にはいつも傍にアルムが居て、そしてビエナが居て……。
すると、アルムも同じことを思い出していたのか、ぼそり、と言葉を零した。
「あの日々が続けば良かったのに、と俺はお前のことを考える度に、幾度思ったことか。お前は優秀な武官だった。あのまま、俺と共に、王都で軍人として高みを目指していたら、こんなことにはならなかっただろうに……」
アルムは、遠い日を思い出しながら言った。
「ビエナさえ、居なければ、お前の道は狂うことはなかったんだ。彼女が逮捕されたとき、俺の制止を振り切って憲兵の詰め所を襲い、彼女を助け出そうとさえ試みねば……本当にお前は大馬鹿者だよ」
ドーズの目が光る。彼は手足の鎖を軋ませながら、言い放った。
「彼女が俺の全てだったんだ。俺に後悔は無い」
「お前はそれで良かったかも知れぬ。だがな、釈放され、降格されたのち、お前が俺に何にも言わず、元上官だったマトウの誘いを受けて国境に姿を消したときの俺の喪失感は、計り知れぬものだったんだぞ。分かるか」
そのアルムの言葉を受けて、ドーズは黒くぬかるんだ床に目を落として呟いた。
「……それはお前に、すまなかったと思っている」
「それで、今回のこのザマか。進歩がないな」
そしてアルムはひとつ咳をして、改めて表情を引き締めドーズに向き合った。
「お前が逃がしたザキナの本当の正体について、王都から通達があった。極秘ではあるが……お前にも教えておこう」
ドーズはザキナの名を耳にして、はっ、と顔を上げる。
アルムが重々しく告げた内容は、ドーズの思考の範疇を遙かに超えるものだった。
「ザキナは、人であって人では無い。神話の時代のち、人間界に下った“創星の神”の末裔だ」
ドーズは息をのんだ。心臓の鼓動が早まるのを感じる。その耳に、続けてアルムの声が大きく響く。
「……つまり彼女は、神だ。ドーズ、お前もあの“創星の記”の一文は知っているだろう」
薄暗い陽の差す小屋の中で、アルムはそう言うと、この大陸に住むものなら誰もが暗記している、神話の一節を朗々と唱えてみせた。
「創星の神は
混沌とし
すべてが無であった
宙に降り立つとともに
その聖なる絵筆を世に振るい
世界に光を与えた
世界に緑を与えた
世界に水を与えた
世界に炎を与えた
世界に闇を与えた
だが
ただひとつだけ
永久永劫に自らのものとし
世界には与えなかったものがあった」
暫しの沈黙のあと、ドーズが呻いた。
「ああ……知っているが、その“創星の神”の末裔がザキナだというのか……?」
「そうだ、つまり世界に光や緑、水に闇、そして炎を与える力、それが彼女が持っていた“画力”だったわけだ」
あれは……彼女の画力は、神の力だったのか……。
ドーズは今更のように合点した。人ならざる異能の持ち主だったとは、思っていたが、まさか、ザキナの正体が神の末裔であったとは。
ドーズは、苦しい息の下から、アルムに問いを重ねていく。
「それ故、ザキナを危険な力を持った存在として、国は抹殺しようとしている訳か?」
「いや……彼女が危険な理由は、もっと深刻なものだ。その情報は、ザキナと戦って死んだ姉のドネーシャが、ハエラ国を通して、我が国にもたらしたのものだ」
そして、アルムはドーズに声を潜めて囁いた。
「ザキナは、その画力を持って、この世を“無”に還そうと、画策している」