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第6話 私が殺した

 国境地域の荒野を抜け、ようやく地面に鮮やかな緑が揺れる草原地帯に2人の馬が入った時は、夕暮れが迫っていた。ドーズは馬を止めると、並んで馬を進めていたザキナに声を掛けた。


「今日はここで野営としよう」


 2人は馬を降りた。ドーズが手早く、近くに生えていた手ごろな低木に2頭の馬を繋ぐ。そして荷物から毛布を出し地面に敷く。次にカンテラを出すと、火打ち石を使い中に火を灯した。


 そのドーズの手早い一連の動きをザキナは見惚れるように眺めていたが、やがて、毛布の上に腰を下ろすと、しばしの間、暮れゆく夕陽にその緑色の瞳を投げていた。


 やがて、ザキナはおもむろに、懐からドーズより貰った紙と銀筆を取り出すと、なにやらまた、絵らしきものを一心不乱に描きだした。そのザキナの手は、ドーズが干し肉とパン、乾燥した果物を毛布の上に並べ、ささやかな夕餉の支度を終えても、止まることなく動き続けていた。


「今度は何を描いているんだ?」

「夕陽が地平に落ちるところ……それと、宵の星」


 ドーズがザキナの手元に視線を投げてみれば、たしかにそれらしいものの絵が描かれている。生き生きとした鮮やかな夕暮れの草原の風景であった。絵心のないドーズにも、ザキナの絵の腕が卓越しているものであることに、改めて舌を巻かざるを得なかった。


「……おい、夕食の準備ができたぞ」


 ドーズが声を掛けて、やっと、ザキナの手は止まった。ふたりは星の煌めきはじめた空の下、ドーズが用意した食物に向かいあう。


「美味しい……」


 干し肉に手を伸ばしたザキナがそう呟く。


「こんな、美味しいもの、暫く食べたこと無かった……気がする」


 続き果物とパンを頬張り、またザキナは囁くように言った。ドーズは眉をしかめた。


「お前は、あの廃坑のなかでどう暮らしていたんだ? 食べるものはどうしていたんだ」


 考えてみれば、出会った時の、ザキナは手足を鎖で拘束されていた。あれでは、外に出て食べ物を探しようもない。そうとすれば、誰か、ザキナの世話をしていた者がいたことは明白であった。


「お前を世話していた者は、どうした」


 ドーズは干し肉を噛み砕きながら、出来るだけさりげなくザキナに問うた。ザキナは食事の手を止めて、ドーズの顔を見つめなおした。その緑色の瞳のなかにはカンテラの光が、静かに揺れている。ザキナはそのままの姿勢で暫くドーズと向かい合っていたが、やがて、観念したかのように、俯くと、ぼそりと呟いた。


「私が、殺したの」


 ドーズはそのザキナの答えに一瞬、息が止まりそうになったが、なるべく慌てずに、口の中の干し肉をゆっくり飲み込んで、鋭くザキナに問いを投げた。


「お前が……? なぜ、どうやって?」


 ザキナは暫く沈黙を貫いた。栗色の長い髪がしなだれ落ちた細い肩が、細かく震えている。カンテラの心許ない明かりの中でもはっきり見て取れるほど、ザキナはドーズの問いに、そして自分の答えに動揺していた。


「いまは、答えたくないか」


 沈黙を破り、口を開いたのはドーズの方からだった。草原の生ぬるい夜風が、まとわりつくように2人を包む。促されるように、ザキナが頷く。

 ドーズはそれを見ながらゆっくりと腰から短剣を抜き、静かにその刃をザキナの首に置き、尋ねる。ザキナは首に突きつけられた冷たい刃の感触に、びくりと今度は大きく肩を震わせる。


「これだけは確かめておく。お前は、隣国ハエラの者ではないな……?」

「それは……ないです」

「なら、良い」


 ドーズはザキナの首から短剣を離し、腰の鞘に戻した。カンテラの光がゆらゆらと夜風にそよぎ、2人を照らす。


「……斬られるかと……」


 やがてザキナが呟いた。


「俺が確かめておけばいいのは、それだけだ。お前の正体を探るのは、お前を村に届けたあと、そこの世話役どもの仕事だ」


 ドーズはやや早口でザキナに向かって、噛み締めるような口調で己の立場を告げる。だが、その台詞は、ザキナへというよりは、自分に言い含める響きがあることを、ドーズ自身、自覚していた。

 夜風に舞う栗色の髪、緑色の瞳。この少女からは、姿からだけでなく、その佇まいから、視線から、遠い日に見たような既視感を覚える……。いや、錯覚ではない。たしかに似ているのだ、あの女に。

 だから。

 ……これ以上、俺は、この少女に関わってはいけない、で、ないと……俺はまた……。

 ドーズの胸中に、自らの声が木霊する。その自身を戒める声に従うように、ドーズはザキナになおも言った。


「お前の正体について、俺はこれ以上興味を持たぬ。……さ、食べる物を食べたら、寝る準備をしろ。草原の夜は意外と冷えるから、気をつけるんだな」

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