「貴女は本当に気の利かない子ですこと! 貴女にはわたくしの可愛い息子は勿体無いですわ! あぁ、ご両親はどのような教育をなさったのかしら!?」
高貴なる侯爵家の一室。使用人たちがそばに控える中、そう言った淑女が扇をばさりと広げ、顔の前に持って行くと、虫でも払うかのように、か弱そうな若い女性に扇を向けた。
「も、申し訳ございません……お義母様」
小刻みに震えた女性は、謝罪を述べるが、淑女の気はそれでは治らない。
「やだやだ、まるでわたくしが悪者みたいじゃない? ねぇ?」
そう言って、横にいるメイドたちに声をかける淑女に、大きく頷くメイドたち。姑による、嫁いびりの真っ最中のようだ。
少し前から、部屋の前で聞き耳を立てていた様子の若い男が、そこにズカズカと踏み込み、言った。
「ベルガモット! 母上のおっしゃる通りだ! お前は我がストゥーガノ侯爵家に相応しくない! もっと、母上に気に入られるように努力しろ!」
「も、申し訳……ございません」
今にも倒れそうな顔色でそう言ったベルガモットの姿に満足したのか、それだけ言って、若い男は立ち去った。
「ねぇ、ベルガモット」
「なんでしょう、お義母様」
若い男の後ろ姿を見送った二人は、顔を見合わせ言った。
「あの子、なかなかの演技だったけど、わたくしたちの劇に出る予定なのかしら?」
「“あのマリアンヌ様が悪役を! 本物の嫁と演じる! マリアンヌ武勇伝その一〜虐げられた姫君~”のことですか?」
こてりと小首を傾げたベルガモットに、マリアンヌが照れたように笑う。
「やだ、やめてちょうだい。タイトルも大袈裟なのよ。恥ずかしいわ」
「お義母様の功績は、戯曲・書物・吟遊詩人のバラッド……ありとあらゆる形で残すべきですのに! 悪役ならやる、だなんて! でも、マリアンヌ様が悪役の演技をされるパターンも、とても痺れてしまいますわ!」
ベルガモットが両手に力を入れて、熱弁する。ふん、と鼻から息が出そうなほどだ。化粧で悪くしていたはずの顔色が、一気に赤く染まる。
「……ベルガモット、もしかして今回の劇、貴女が裏で糸を引いている……?」
マリアンヌがそう言いながらベルガモットの方をゆっくりと見ると、それに逆らうようにベルガモットは視線をゆっくりとずらす。
「な、何のことだかわかりませんわ!」
「やっぱり! おかしいと思ったのよ! 話がサクサクと決まっていくんですもの!」
「“マリアンヌ様を称える会”の全員の賛成で実現しました。わたくしだけの力ではありませんわ?」
頬に手を当て首を傾げたベルガモットに、マリアンヌはため息を吐いた。
「はぁ……それよりも、あの子のあれなんなのかしら?」
「お義母様。あれがアルホトゥス様の素ですわ」
「あらやだ。わたくし、教育間違えちゃったかしら?」
そう言ってマリアンヌは頬に手を当てため息を吐いた。
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「我が家の嫁として、もっと励みなさいと言っているでしょう!」
「申し訳ございません、お義母様!」
稽古で流れる汗を拭きながら、侯爵家の花咲き乱れる庭園の東屋で、マリアンヌとベルガモットが劇の練習をしていると、阿呆……アルホトゥスが現れた。
「母上の言う通りだ! そもそも、素晴らしい母上をここまで怒らせるなんて、ベルガモットは我が家の嫁にやはり相応しくない! 母上、最高の嫁を見つけてきました。ベルガモットには、離縁を言い渡して屋敷から追い出しましょう!」
神殿に提出する離縁申告書らしき書類を手元にしっかりと準備して、鼻を鳴らしながらベルガモットに突きつけるアルホトゥス。思わず、「なにやっているんだ、この阿呆は」と言いたげな空気になる中、胸を張ったアルホトゥスが続ける。
「ベルガモットには、母上への敬意が足りないんですよ。母上のファンクラブ? それがあるんですってね。その会長を務めているメローナ。彼女こそ、我が家の嫁に相応しい。めでたいことに、お腹に俺の子を宿しているんです。母上はいつも俺の幸せを願ってくれてましたから、賛成ですよね?」
嬉しそうにそう言って、マリアンヌへと向き直ったアルホトゥス。それを見たマリアンヌが、眉間を中指で叩きながら言った。マリアンヌへの敬意が足りないと言われたベルガモットは、小刻みに震えている。
「何を言っているのかしら、この子は。もしかして、わたくしのお腹の中に色々忘れてきたのかしら? ……はぁ、妹はあんなに優秀ですのに」
「お義母様、もしかしたら、アルホトゥス様が置き忘れた知能は全て、イルマティーナ様に受け継がれたのではないでしょうか?」
「あり得るわ! さすがベルガモットね!」
マリアンヌとベルガモットがきゃっきゃと盛り上がるのを見て、アルホトゥスが顔を真っ赤にして怒った。
「母上! 冗談でもよしてください! ベルガモット、お前は調子に乗るな!」
それを見て冷え切った表情を浮かべたマリアンヌが、劇のために手に持っていた扇を閉じてアルホトゥスに向け言った。
「冗談じゃないわ。調子に乗るな、は、貴方に使うべき言葉ね、アルホトゥス。はぁ、どこで教育を間違ったら、こんな阿呆息子が出来上がったのかしら?」
「お義母様! お義母様の素晴らしい教育に間違いはありませんわ! イルマティーナ様はあんなにも素晴らしい才女に育ったではありませんか! アルホトゥス様の生まれながらが阿呆だっただけですわ!」
「まぁ!」
頬を染めるマリアンヌと、いつもなら一歩後ろを歩くような女性であるベルガモットの熱弁を目にし、アルホトゥスは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、思い出したかのように怒った。
「調子に乗るな! ベルガモット!」
「……アルホトゥス様。言わせていただきますが、あんな俄かファンの女よりもマリアンヌ様を尊敬していないなんて暴言、わたくし、許せませんわ!」
キッとアルホトゥスを睨みつけ、そう言い放つベルガモットに、アルホトゥスは叫んだ。
「そこなのか!??」
「まぁ、ベルガモット。嬉しいわ! わたくしも、あんな、自称わたくしのファンと言いながら、わたくしの主義主張に反することばかりする小娘よりも、貴女からの愛の方をひしひしと感じてますわ!」
「お義母様!」
手を取り合って感動する二人に、アルホトゥスは吠えた。
「俺を放置するな!」
「そもそも、男漁りに弱いものいじめ、過剰な権力主義の汚職まみれの実家の思考をそのまま受け継いだ小娘……わたくしのファンと名乗られることも迷惑ですのに」
二人は手を取り合ったまま、困った表情で語り続けた。
「え……なんだそれ、嘘つくな!」
怒った様子のアルホトゥスを無視して、ベルガモットは続ける。
「わかりますわ! “マリアンヌ様を称える会”の会長にでもしておかないと、マリアンヌ様にどんな迷惑がかかるか想像もつかなかったから、名ばかり会長の座を差し上げたのに……。あの傍若無人で、すぐ癇癪を起こして暴れる、低位貴族らしからぬ横暴さ。本当に面倒ですわ」
「元低位貴族を代表して謝罪したいくらいだわ?」
「そんなそんな! お義母様は史上最強の貴族淑女ですわ!」
「もう! ベルガモットったら」
笑い合う二人に、アルホトゥスは言う。
「俺の話、聞いているのか?」
「そもそも、ずっとアルホトゥスとの婚約を打診してきていたけれど、断ってきたのよ? あの子、わたくしという社交界で有名な義母が欲しいだけですもの。息子の幸せを願って断るのは当然でしょう?」
「なんて素晴らしいお義母様! 母親の鑑ですわ!」
褒め称えるベルガモットに照れた様子のマリアンヌが続ける。
「それに、元子爵令嬢のわたくしがストゥーガノ侯爵家に嫁入りしたから、あの親子は我が家を舐めているのよ」
そうため息を吐くマリアンヌに続いて、ベルガモットもため息を吐いた。
「お義母様は完璧淑女でいらっしゃる前に、そもそもが元々隣国王女を曽祖母に持つ血筋で、単なる子爵令嬢が侯爵家に入ったのとは話が違いますのに」
二人でやれやれ、とした後、洗濯のついでに噂話をする平民の奥様たちのようにひそひそと話し始めた。
「ちょっと奥様。ところで、そのお腹にいる子供って、本当に阿呆息子との子なのかしら?」
マリアンヌに乗ったベルガモットもなりきる。
「聞いてくださいます? 奥様! 先日、偶然、本当に偶然お聞きしたのですけど、ちょうど計算するとベガティヌルト男爵と密会してた時期と合うみたいですわ」
ひそひそ話に釣られて聞き耳を立てていたアルホトゥスが叫ぶ。
「あ、あんな親父と!?」
「昔から根っからの男好きなのよね、あの子。だから、婚約打診を早々に断ってあげたのに」
「お義母様からの優しさを全て無に帰すなんて……」
「「駄目息子」夫」
声を揃えて、はぁーとため息を吐く二人。その横で、ぷるぷると震えていたアルホトゥスは、メローナを問い詰めるために出ていった。
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「おい、ベルガモット。仕方がないから、お前を嫁のままにしておいてやる」
マリアンヌとのティータイムを楽しむベルガモットの元に、アルホトゥスがやってきた。頬には平手打ちでもされたかのような赤い手跡が残っている。
「あら、アルホトゥス様」
ベルガモットがティーカップを置いて視線を向けると、その横から顔を出したマリアンヌが言う。
「お母様がいると言うのに、挨拶ひとつないのかしら?」
「は、母上!? こちらにいらしたのですか!? って、父上まで!?」
マリアンヌの横に隠れるように座り、のっそりと大きな身体でお茶を楽しむストゥーガノ侯爵。アルホトゥスに視線を向けると、小さくため息を吐いた。そんな様子に気が付かないアルホトゥスは、みるみる表情を明るくして、ベルガモットを指差し言った。
「父上と母上がいらっしゃるなんてちょうどいい。お二人からも言ってやってください! このまま、ストゥーガノ侯爵家の嫁のままでいさせてやるから、よく励むようにと!!」
「そうね。仕方ないから、ストゥーガノ家の嫁のままでいてもいいわよ?」
ティーカップを手にもったまま、マリアンヌはベルガモットにそう言う。
「うむ」
続いて、ストゥーガノ侯爵も小さく頷いた。
「恩に着ろよ!」
嬉しそうに吠えるアルホトゥス。ベルガモットは困ったように笑った。
「まぁ、あなたはもう、我が家の息子である必要はないけれどね?」
冷たい視線でアルホトゥスに向き直ったマリアンヌ。その口から飛び出した冷酷な言葉に目を丸くしたアルホトゥスが叫ぶ。
「は!?」
ティーカップをそっと置き、優しい声色でマリアンヌは語り出した。
「少し阿呆なところはあるけれど……我が家の跡取りとして、今までとても大切に育ててきました。でも、このままあなたが跡を継ぐと、ストゥーガノ家は確実に終わってしまいます。そこで、ちょうどいいことにベルガモットにはかわいいアルビスがいるから、あなたは断種して自由に過ごさせてあげようかと夫婦で話していたのよ」
「何言ってるんですか、母上!」
焦った様子のアルホトゥスに、マリアンヌが語って聞かせた。
「アルビスはまだ五歳だけど、貴方と違ってとても優秀だわ。それに、成人するまでのあと十年とその後の後見のための数年くらいはダーリンも現役で侯爵でいられるでしょう?」
「うむ」
マリアンヌを愛おしげに見つめて、頷いたストゥーガノ侯爵に、予想外なところから待ったがかかった。
「お義母様、お義父様、お待ちください!!」
焦った様子のベルガモットを見て、ほっと息を吐いたアルホトゥスは嬉しそうに続けた。
「ベルガモット……お前、そんなにも俺のことを愛してくれていたんだな?」
その声を無視したベルガモットは、マリアンヌとストゥーガノ侯爵に語りかける。
「わたくし、あと2人子供が欲しいのです! アルホトゥス様のことは、しばらく地下牢に投獄し、子種となる魔液だけを取ってからにしてください!」
「え?」
驚いた様子のアルホトゥスを尻目に、マリアンヌは心配そうにベルガモットに問いかけた。
「まぁ、孫が増えるのは嬉しいことだけど、こんなクズ息子との子供なんてほしいの? 家のことを心配してくれているのなら、養子でもいいのよ?」
「いえ! 素敵なお義母様とお義父様の血筋ですから」
そういう行為は無理ですけど、と言い捨てるベルガモットにマリアンヌはどこからか取り出したハンカチを目元に当てる。
「なんていい子なの!!」
そんな女二人に何も言えない様子のストゥーガノ侯爵を見て、アルホトゥスは懇願した。
「父上! なんとか言ってやってくださいよ!!」
そんなアルホトゥスに向かって、小さく口を開いたストゥーガノ侯爵が言い放った。
「お前はクズだ。我が侯爵家の発展の妨げにしかならぬ。……しかし、ベルガモットのおかげでまだ利用価値があってよかったな」
その言葉を最後に、アルホトゥスは連れて行かれたのだった。