大人しくしろと言われても、この状態で大人しく出来るはずもない。
自分を守ってくれるにしたって、せめて距離は置いてほしい。
煌星は、慌てて身を起こして景翊から離れた。
「いやいやいや!僕は今すぐ寝る気は――!」
言いかけた瞬間――
「いいから来い」
低く、鋭い声が響く。
煌星が反論する間もなく、素早く起き上がった景翊の腕がぐいっと煌星の腰を引き寄せた。
(ちょっ、近……!!)
「このじゃじゃ馬め……俺から、絶対に離れるなよ」
「え?」
その瞬間、
――ヒュッッ!!!
「!!?」
鋭い風切り音が響いた。
景翊が即座に煌星を抱え込み、体をひねった次の瞬間――
煌星のすぐ背後を、細長い刃が猛スピードで駆け抜けた。
(え……今、なに……!!?)
煌星は、景翊の腕の中で固まる。
薄闇の中、何かが壁に突き刺さる鈍い音が響いた。
恐る恐る振り返ると、寝殿の扉の柱に、小さな刃が深々と突き刺さっていた。
(……暗器!?)
「っち……」
景翊が低く舌打ちする。
彼は煌星を庇うように背後へ回しながら、鋭い目で周囲を見渡した。
「……やっぱり来たか」
("やっぱり"って、え、何事⁈ なんでそんな冷静なの⁈⁈⁈)
煌星は、鼓動が早くなるのを感じながら、必死で冷静を装った。
そのとき、
「……くっ」
暗闇の中で、小さな気配が動いた。
(誰かいる!!)
煌星は反射的に景翊の衣の袖を掴む。
「いる……!まだ近くに!」
「……気づいてるなら話が早い」
景翊は、煌星を背に庇いながら、鋭く周囲を睨んだ。
「出てこい。――逃げられると思うなよ」
沈黙。
だが――
「……クッ」
衣擦れの音。
ほんの一瞬、夜風が流れる。
それと同時に、影が煌星の背後へと跳んだ。
「!!!?」
細身の影が、闇の中から煌星に向かって突っ込んでくる。
その手には、細長い短剣のようなものが握られていた。
(――僕を狙ってる!?)
「煌星!!」
景翊が一気に動く。
煌星の腕を強く引っ張り、襲撃者の刃を躱させる。
短剣が煌星の肩をかすめ、衣が僅かに裂けた。
「――甘い」
景翊は、もう一方の手で襲撃者の手首を掴み、あっという間に地面へと組み伏せる。
「っ……!!」
襲撃者は一瞬もがいたが、景翊の膝で肩を押さえ込まれると、完全に動きを封じられた。
(す、すご……!!)
煌星は、息を詰めながら、景翊と襲撃者を見つめる。
「……なぜ、お前は皇帝を狙う」
景翊が低く問いかけたが、しかし――
「……フッ」
襲撃者は、わずかに唇を歪めた。
次の瞬間、
「!!?」
ぐっと顎を引き、口の中に隠していた何かを噛み砕く音がした。
(まさか……!!)
「自害!!?」
煌星が叫ぶのと同時に、襲撃者はびくりと身体を震わせ、そのままぐったりと力を失った。
「……っ」
景翊は襲撃者の顎を開こうとしたが、すでに遅い。
口の中には、砕けた黒い丸薬の残骸が残っていた。
「毒……」
景翊の声が、低く響く。
(こいつ……捕まることすら計算してたのか……!?)
煌星は、息を呑みながら襲撃者の顔を見つめる。
しかし――そこでふと、ある"違和感"に気づいた。
(……この匂い……)
男の身体から微かに漂う、特有の香り。
それは、煌星にとって記憶のどこかに刻まれているものだった。
この襲撃者に直接会ったことはない。
けれども、この香りだけは、煌星の記憶のどこかに刻まれている気がする。
(……思い出せ……!!)
煌星は、思考の中で必死に、その香りを追った。
「煌星」
景翊の手が、そっと煌星の肩に触れる。
「今日はもういい。休め」
「……っ」
まだ思考を巡らせていた煌星だったが、景翊の真剣な眼差しを受け、ようやく息を吐くように頷いた。
「……わかった」
景翊は襲撃者の死体を処理するよう侍従に命じると、そのまま煌星の手を引き、客間の方へと歩き出した。
「……ちょっと待って、僕の部屋はあっちで……」
「今夜はここで休め」
「え?」
煌星が戸惑うと、景翊は肩越しにふっと笑う。
「目の前で人が死んだ場所で、眠れるのか?」
「……」
言われてみれば、その場に戻るのはさすがに気が引ける。
(こういうとこは、妙に気が利くんだよな……)
そんなことを考えながら客間の扉をくぐった。
「さあ、寝るぞ」
「……え?」
流れるように、景翊は煌星を牀へと寝かせた後に自分も隣へと入ってくるではないか。
煌星はぎょっとしながら、自分を抱く景翊の手を軽く叩いた。
「ちょ⁈なんで⁈」
「戦った後は体力を回復するものだろう」
「違う、そうじゃない!!!」
煌星は全力でツッコんだが――景翊は涼しい顔のまま。
「お前は今、命をも狙われている。俺も狙われている。つまり……」
「つまり……?」
「同じ場所にいた方が安全だろう?俺が守ってやれる。命も貞操もな」
「ええええ、そんな話になるの⁈」
「いいから、もう黙って寝ろ。そうでないと――その囀る唇、塞ぐぞ」
「なっ……!」
煌星はもう、意味が分からず叫んだが、景翊はお構いなしに肩を抱いたまま、あっさりと目を閉じる。
その余裕たっぷりな態度に、煌星は言い返すこともできず、奥歯を噛んだ。
(この偽皇帝、押しが強すぎるんですけど⁈⁈⁈)
心の中でだけ、そう叫んだのだった。