煌星は、静かに酒蔵の扉に手をかけた。
木製の扉は重く、ぎぃ――と微かな軋みを立てながら開いていく。
「……思ったより広いな」
蔵の中には、酒樽や酒瓶がずらりと並んでいた。
壁際の棚には、深い奥行きを持つ貯蔵棚が設えられ、規則的に瓶が並べられている。
煌星は、ふわりと満ちる熟成された酒の香りに意識を研ぎ澄ませながら、一歩踏み出した。
(……この中に、"あの香り"が混ざっているはず……)
静かに息を吸い込みながら、慎重に香りを嗅ぎ分ける。
しかし、ここは"酒蔵"だ。当然、強いアルコールの香気が充満している。
無数の酒瓶がそれぞれ独自の芳醇な香りを放ち、"異物"の存在をかき消していた。
(……くそ、やっぱり簡単には見つからないか)
景翊は、そんな煌星の様子を無言で観察していた。
「どうした?見つかりそうか?」
「……うん、少し待って」
煌星は、再び深く息を吸い込み、さらに慎重に香りを探る。
すると――
(……あれ?)
ほんの僅かに、"あの甘さ"が鼻を掠めた。
単なる酒の甘みとは異なる、妙にまろやかで、どこか"薬っぽい"香り。
煌星は、その微細な違いを頼りに、ゆっくりと蔵の奥へと歩を進める。
そして――
「……あった」
煌星の指先が、ひとつの小瓶を掴んだ。
酒瓶に紛れるように棚の奥へと押し込まれていた、白磁の瓶。
景翊も、それを見て僅かに目を細める。
「それが、"あの酒"に使われたものか?」
「……多分」
煌星は、そっと瓶の蓋を開けた。
瞬間――
(っ……やっぱり!)
確信した。
昨夜の酒に混ざっていた、あの不自然な甘さ。
間違いなく、この瓶の中身が関係している。
「どうやら、"本命"を見つけたようだな」
景翊が静かに呟く。
煌星は、瓶を手に取り、改めて周囲を見回した。
「……ここにあるってことは、誰かが持ち込んで使ったってことだよね」
「その可能性が高いな」
景翊は腕を組みながら、貯蔵棚を一瞥する。
「だが、酒蔵に自由に出入りできる者は限られている」
「つまり――その中に、"犯人"がいるってことか……」
煌星は、瓶を握りしめた。
手がかりを掴んだ今、次はこの催淫剤が**"誰の手によって使われたのか"**を突き止める必要がある。
(……絶対に突き止めてやる)
煌星は、決意を固めながら、景翊と共に静かに酒蔵を後にする。
周囲に警戒しながら扉を閉め、月明かりの差す回廊へと足を踏み出した。
煌星は、瓶を見つめながら考える。
(……これが証拠になる……)
酒蔵に自由に出入りできる者は限られている。
つまり、この瓶を使える者を洗い出せば、犯人に近づけるはずだ。
煌星は、深く息を吐きながら、自室へと向かった。
しかし、扉を開けた瞬間――
「さあ、寝るぞ」
(……は?)
背後から、まるで当然のような声音が響いた。
煌星は、反射的に振り返る。
そこには、何の疑問もなさそうに煌星の部屋へと足を踏み入れようとする景翊の姿があった。
「……えっ?」
呆気に取られた煌星は、景翊の行動を理解するのに数秒かかった。
「いや……え、ちょっと待って、なんで!?」
景翊は、ちらりと煌星を見下ろしながら、扉を閉める。
「何が"なんで"だ?」
「いや、なんで普通に僕の部屋に入る流れになってるの⁉」
煌星の抗議もどこ吹く風、景翊はいつも通りの涼しげな表情を崩さない。
「……お前、まだ分かってないのか?」
「何を!?」
「"お前はもう、単独で寝ることは許されない"ということだ」
「はぁぁ!?!?」
景翊は、呆れたように肩をすくめながら、煌星を見据えた。
「昨夜のことを忘れたか? お前は"狙われた"んだぞ」
「だからって、一緒に寝る必要はないだろ!!!」
「ある」
景翊は、きっぱりと断言した。
「お前は"鳳華"だろう?」
その一言に、煌星の全身が一瞬にして強張る。
「……っ」
景翊は、まるで試すように煌星の顎を軽くすくい上げる。
「今のお前は、自分がどれだけ"匂い"を滲ませているかも理解していない」
煌星の心臓が、不穏な高鳴りを刻んだ。
「……っ……そんなわけ……」
「ある」
景翊の声は、まるで絡めとるように低く響いた。
「"番"が傍にいなければ、お前はいつか本当に攫われるぞ」
「だからって景翊は僕の番じゃないだろ!!!」
煌星は、思わず怒鳴った。
景翊は、ふっと笑う。
「"今はまだ"な」
「はぁ!?!?」
「そのうち分かるさ」
景翊は、酒瓶を煌星から取り上げると牀の端へと置いた。
そのまま煌星の肩を押して柔らかい布団の上へと倒し込む。
「大人しくしろ、煌星」
「~~~~っ!!!」