煌星は、まだ腕に残る景翊の温もりを振り払うように、深く息を吐いた。
(……心配してくれてるっぽいけど)
「勝手に動いたら閉じ込める」とか、あれはただの脅しなのか?
それとも、本気で実行するつもりなのか。
(……いや、アイツならやりかねない……とはいえ、放っておける問題じゃないし、もう少しだけ……)
そんなことを考えながら、煌星は再び香りに集中する。
先ほどと同じ場所に立ち、わずかに漂う甘い香りを追った。
(……やっぱり、この先だな……)
煌星は、静かに歩を進める。
すると――
「やれやれ、やっぱり行くのか」
(うわっ!!?)
突然背後から声がして、煌星は飛び上がりそうになった。
驚いて振り返ると、そこには――やはり景翊がいた。
黒い衣をまとい、月光を背に静かに立っている。
(……なんで!?!?!?!?)
「陛下、もうお休みになられては……?」
できるだけ冷静を装い、煌星は扇を開きながら微笑む。
だが、景翊はまったく取り合う気がなさそうだった。
「お前こそ、なぜまだ動いている?」
「そ、それは……」
煌星が口ごもると、景翊はため息混じりに言った。
「どうせお前は止めても動くんだろう?」
(……ぐっ……)
何も言い返せない。
煌星は、結局は勝手に動くつもりだったのだから。
「だったら俺がついていく」
「は!?!?」
煌星は思わず景翊を見上げる。
「いやいやいや、僕一人で大丈夫だって!」
「黙れ」
ばっさりと切り捨てられる。
「何度言えばわかる? お前は"狙われた"側なんだぞ」
「そ、それは皇帝陛下じゃございませんか?私では……」
「煩い。単独行動はもう許さない。どうしても調べたいなら、俺がついていく」
景翊の声には、有無を言わせぬ力があった。
煌星は、じりじりと追い詰められる感覚を覚えた。
(えええぇ……絶対、僕一人でやる方が楽なのに……)
だが、ここで言い争っても無駄だ。
煌星は、仕方なく深いため息をついた。
「……わかったよ。じゃあ、一緒に」
「最初から素直にそう言え」
景翊は、満足げに微笑む。
その余裕たっぷりな笑みに、煌星は内心で歯ぎしりする。
(くっそ……なんか思惑がありそうなんだよなぁ……)
しかし、ここで足止めされるよりはマシだ。
煌星は、改めて香りに集中することにした。
「多分……この先……」
景翊も無言のまま煌星の隣を歩く。
夜の後宮は静寂に包まれ、月明かりが白く輝いていた。
ふたりの足音だけが、回廊に響く。
(……誰かが運んだ場所が、どこかにあるはず)
煌星は、香りの微かな痕跡を辿りながら、さらに奥へと進んだ。
そして――
目の前に現れたのは、酒蔵だった。
煌星と景翊は、静かに立ち止まる。
「……なるほど。正解かもしれんな」
景翊が低く呟く。
煌星は、じっと扉を見つめながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
(この中に……手がかりがあるかもしれない)