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十五、夜の調査には危険が潜んでいる

煌星は、夜の回廊を静かに歩いていた。

灯籠の淡い光が揺れ、長い廊下に影を落とす。


(……微かだけど、まだ残ってる)


昨夜の宴で飲んだ、あの"甘い香り"。

それを記憶の中で辿りながら、煌星は鼻をひくつかせる。

魏嬪や柳蘭の調査が進められているが、自分自身の"感覚"を信じたかった。

何より、香りは煌星の専門分野だ。

他の誰よりも正確に、ほんの僅かな違いを嗅ぎ分けられる。


(酒の運ばれた経路を考えると、この辺りが怪しい)


宴席へと運ぶ際、通るはずの廊下。

その壁際で、煌星はふと"違和感"を覚えた。


(ほんの僅かにだけど……このあたり、香る)


そっと袖で風を煽ると、空気の流れに乗り、昨夜の名残が鼻をかすめる。


(……ここを通ったな)


その時だった。


「――随分と遅い散歩だな」


(っ!!?)


不意に背後から響いた低い声に、煌星は一瞬で硬直した。

驚いて振り向くと、そこには"皇帝"――いや、景翊がいた。

闇に紛れるような黒い衣をまとい、静かに立っている。


琥珀の瞳が、じっと煌星を射抜く。


「こんな時間に、ひとりで何をしている?」


(……こっちのセリフなんだが!?!?!?)


煌星は、鼓動が跳ねるのを感じながら、必死で冷静を装う。


「少し、気分転換をしたくて」

「気分転換、ねぇ?」


景翊は、ゆっくりと歩み寄る。


「気分転換にしては……ずいぶん熱心に"何か"を嗅いでいたようだが?」


(見られてた!!??)


煌星は、内心で絶叫しながらも、扇をしなやかに開く。


「陛下こそ、こんな時間にどちらへ?」

「そなたほどではないが、少し夜風を浴びたくなってな」


すぐ目の前まで近づくと、景翊は煌星の顔を覗き込んだ。

夜の闇に溶ける琥珀色の瞳が、煌星を真っ直ぐに射抜く。


(ちょっ……近い……!!)


「――それとも、そなたは"何か"を探していたのか?」


その問いに、煌星の心臓が跳ねる。


(……勘が良すぎる!!)


景翊は、まるで煌星の行動の意味をすべて見抜いているようだった。


「何も探しておりませんわ。ただ――」


言い訳を紡ぎかけた、その瞬間だった。


「……ふむ」


腕を掴まれ、ぐっと引き寄せられる。

呆気なく煌星は壁際へと追いやられた。


「っ……!?」


驚いて顔を上げると、目の前には景翊がいた。

琥珀の瞳が、月明かりに鈍く光る。


「お前……わかっているのか?」


低く、押し殺した声。

苛立ちと、どこか抑え込んだ感情が滲んでいる。


(怒って……?なんで……)


煌星は冷や汗をかきながら、なんとか平静を装おうとする。


「……別に、怪しいことをしようとしてたわけじゃ――」

「黙れ」


鋭い一言が、煌星の言葉を遮る。

いつもの軽薄な雰囲気は消え、景翊の顔にははっきりとした怒りが滲んでいた。


「昨夜の毒見がどうなったか聞いたな?」

「……っ」

「一人で出て、お前も殺されたいのか?」


囁くような声が、耳元に落ちる。

息がかかるほど近い距離。

景翊の手はしっかりと煌星の腕を押さえ込んでいて、簡単には逃げられそうにない。


「……そんなつもりじゃない」

「そんなつもりじゃない、だと?」


景翊の眉が僅かに動く。


「解決を頼んだのはこちらだが、だからと言って無理をしろとは言っていない」

「……でも、じっとしていられないんだよ……!早くしないと……!」


煌星は、睨み返すように言い返した。

自分が何もしなければ、このまま犯人は逃げ続ける。

景翊や璃月を狙う者を野放しにしたままではいられない。


「焦るのは分かるが、お前一人でどうにかできる問題じゃない」


景翊は、深くため息を吐く。

そして、ゆっくりと目を伏せた。


「お前がどれだけ無防備か、自覚しろ」


言いながら、景翊の手が煌星の顎を軽くすくい上げる。


「……あ、ちょ…………!」


「危険をわかっていないお前が悪い」


景翊は、僅かに目を細める。


「次に勝手に動いたら……俺が部屋に閉じ込めてやるからな」

「……は?」


景翊の言葉に、煌星は思わず瞬きをする。

だが、景翊はそれ以上何も言わず、静かに手を離した。


「もう部屋に戻れ」


そう告げると、煌星を残し、景翊は背を向けて歩き去った。

煌星は、しばらくその場に立ち尽くしたまま、呆然と彼の背中を見送った。


(……なんなんだよ……あいつ……)


胸の奥が、妙にざわつく。

熱を持ったような感覚が、まだ肌に残っていた。


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