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十一、夜宴に潜む罠

煌星は、盃を持つ景翊の手元にふと視線を落とした。

景翊が盃を軽く回した瞬間――違和感が走る。


(……ん?何か……違う?)


煌星の盃には汾酒が注がれている。

景翊のものも同じはずだ。


だが――


(妙に甘い……?)


汾酒特有のすっきりした香りの中に、不自然な甘さが混ざっている。

それは決して、元々の酒の風味ではない。


(……これ、何か混ぜられてる)


煌星の直感が、危険を訴えていた。

だが、景翊は何も気づかぬまま盃を口へと運ぼうとしている。


(待って、それ飲んじゃダメ……!!)


声を上げるわけにはいかない。

不審な動きをすれば、毒を仕込んだ者に気づかれる。

ましてや、景翊は今、"皇帝"として振る舞っているのだ。

迂闊な行動は、疑念を生む。


(どうする……⁈)


煌星は、一瞬の迷いもなく動いた。


「陛下――」


艶やかに微笑み、扇を優雅に閉じる。

そして、景翊の袖をわずかに引き寄せ、甘く囁いた。


「陛下のお酒を……私に頂けませんか?」


盃を持つ景翊の手が、ぴたりと止まる。

広間の視線が、一斉に煌星へと注がれた。


張嬪が驚いたように目を瞬かせ、魏嬪は静かに目を伏せている。


「……貴妃が?」


景翊が、意外そうに煌星を見た。

煌星は、貴妃らしくしなやかに微笑む。


「ええ……陛下が召されるものを、一度味わってみたいのです」


景翊は、わずかに瞳を細めた。

何かを考えている――疑念か、それとも興味か。


やがて、景翊は薄く笑みを浮かべ、盃を差し出す。


「よかろう」


煌星は、静かに盃を受け取る。

唇を寄せ、僅かに傾けた。


――そして、舌先に違和感を覚える。


(……っ⁈)


かすかに広がる苦味。

それでいて妙に甘ったるい後味。


(これ、やっぱりただの酒じゃない……!)


景翊がこのまま飲んでいたら、確実に異変をきたしていた。

一体何が仕込まれているのかは分からないが、少なくとも"普通の酒"ではない。

しかし――

今さら吐き出すこともできない。


(……何とかしないと)


煌星は、盃を下ろし、涼やかに微笑んだ。


「……とても美味しゅうございます」


(いや、全然美味しくねぇよ!!!!おっふ……毒見役何してんの!?買収されてんの!?)


全身が緊張する中で、景翊がじっと煌星を見つめる。


(……バレてる?)


そう思った瞬間――


「陛下」


魏嬪が、盃を見つめながら優雅に口を開いた。


「私が用意したものも、ぜひ味わっていただきたく思います」


煌星は、心の中で「魏嬪サイコウ!!!」と叫んだ。


魏嬪は、何事もないように微笑みながら、侍女・林杏りんきょうを呼ぶ。


「林杏、陛下にこちらを。貴妃様も、どうぞ」

「……かしこまりました」


林杏が静かに頷き、煌星が飲んだ盃を下げる。

景翊は、しばし沈黙した後――微かに笑った。


「……なるほどな」


(あ~これ、絶対何か気づいてるな……)


煌星は、内心で冷や汗をかく。

魏嬪は、静かに扇を動かしながら、何事もなかったように微笑んでいた。


(……彼女も、何かを察しているな)


その後も、煌星は違和感を抱えながら周囲を注意深く観察した。

怪しい動きはなく、宴はどうにか幕を下ろす。


(……毒を仕込んだのは、妃じゃない?運んだ侍女……毒見役……?)


煌星は、広間を後にしながら、ふっと息を吐いた。


(とにかく、景翊に飲ませなかった……まあ、成功……でいいのかな……僕が飲んだけど~~~~!)


魏嬪が、さりげなく近づく。


「貴妃様、お身体は大丈夫ですか?」


煌星は、僅かに眉を寄せた。


(……やっぱり、魏嬪も気づいてるな)


「あら、何かあったかしら?」


あえて惚けてみせる。

魏嬪は、微かに笑みを深めた。


「……いえ。少し、お顔の色が赤いように見えましたので」


煌星は、静かに頷く。


「あら……魏嬪には気付かれてしまったかしら?頂いたお酒、とても美味しかったものだから」


魏嬪は、何事もなかったかのように優雅に扇を閉じる。


「後ほど、酔い覚めのお薬をお持ちしましょう」


(……やっぱり、何か入ってたな)


煌星は、静かに礼を取った。

魏嬪は微笑を崩さぬまま、優雅に扇を閉じる。


「では、今宵はゆるりとお休みくださいませ」


「ええ、ありがとう」


煌星は、ゆっくりと歩を進め、夜宴の広間を後にした。

ふっと息を吐く。ようやく終わった。


(……長い夜だった……)


けれど、胸の奥に残るのは安堵ではない。

景翊に毒を飲ませずに済んだという達成感と共に、自分が口にしてしまったそれへの不安。


(……まあ、少量だったし、死ぬほどのものじゃない……はず)


それでも警戒は怠れない……そう思った矢先。

煌星は、寝殿へと戻る途中で、自分の身体に異変を感じ始めた。


(……ん?)


足元が妙にふわつく。

酔いとは違う、内側からじわじわと熱が広がる感覚。

肌が過敏になり、呼吸も浅くなっている。


(やば……これ……)


宴で口にした酒。

魏嬪が機転を利かせてくれたおかげで全量を飲むことは避けられたが、それでも"効いて"いる。


(……催淫系の何か、か……?)


煌星は、そっと袖を握る。

このままではまずい。早く寝殿に戻り、一人にならなければ――。

けれど、扉を開けた瞬間、その希望はあっさりと潰えた。


「……ん?」


そこに、すでに"陛下"――景翊がいた。

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