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七、貴妃の夜と、皇帝の真意

煌星は、鏡台の前で静かに櫛を通しながら、深く息を吐いた。


(……やはり今夜も、来るよなぁ……)


仮初とはいえ皇帝の寵愛を受ける立場となった以上、夜を共にすることは避けられない。

昼間の妃たちとのやり取りだけでも、十分に神経をすり減らしたというのに――。

今夜はどう切り抜けるべきか。


「貴妃様」


柳蘭が、静かに部屋へ入ってくる。


「陛下がこちらへ向かわれております」


(だよなぁ……そう足しげく通わんでも……いや、璃月が愛されてるのはいいことなんだけど、今は僕なんだよなぁ……)


逃げられるものなら、どこへでも駆け出したかった。

けれど、そんなことは不可能だ。

煌星は、すっと立ち上がり、扉の前へと歩み寄る。

考えたところで、避けようのないこと。

今はただ、璃月としての役目を果たすのみ。

静かな足音が近づく。

扉が開かれた。

景耀が、ゆったりとした動作で部屋へと入ってくる。

煌星は、優雅に膝を折り、慎ましく頭を下げた。


「お迎え申し上げます、陛下」


景耀の視線が煌星を捉える。


「顔を上げよ」


言われるままに顔を上げると、景耀はわずかに微笑んでいた。


「貴妃が上手く立ち振る舞っていると聞いた」

「陛下にご心配をおかけしないよう、務めております」


景耀はゆっくりと近づき、煌星の前で立ち止まる。

空気がわずかに重くなる。


「そなたは、後宮の女たちをどう思う?」


(……唐突な問いすぎる、どうもこうもまだ1日目ですけど……)


煌星は表情を崩さぬよう、穏やかに返す。


「皆様、陛下をお慕いしておられかと」

「それは当然のことだ」

「それゆえに、私がどのように振る舞うか、注意を払わねばなりません」

「ふむ……」


景耀は、しばし沈黙する。

煌星は、その隙に彼の表情を探る。


(何を考えてる……?)


景耀の視線には、何かを測るような色があった。

煌星は、慎重に息を整える。


「では、張嬪については?」


(……ピンポイントで名前出してくる!?)


煌星は、わずかに視線を伏せ、自然な口調を作る。


「感情豊かで、可愛らしい方ですわ」

「ほう」

「ゆえに、陛下のお心を強くお求めになるのも、ごく自然のことかと」

「……」


景耀は、しばらく煌星を見つめた後、唇の端をかすかに歪めた。


「そなたは、張嬪を疎ましく思うか?」


(またその質問!?)


「いいえ? 色々な方がおそばにいる方が、陛下の御心を癒すこともできましょう」


景耀は微かに目を細め、低く笑う。


「そなたは、優しいな」


(いや、別に優しさとかじゃなくて!この場をどうにかしのぎたいだけです!!!)


景耀は軽く手を差し伸べる。


「こちらへ」


煌星は、内心で警戒しながらも、ゆっくりと彼の前へ進む。

その瞬間、かすかに甘い香りが鼻をかすめた。


(……この人の、匂い……?)


香木のような、けれどそれだけではない。

どこか、龍血の気配を強く感じる――本能が、訴えていた。


(……凄く良い……)


鳳華の体は、龍血に惹かれる性質を持つ。

それは「番」としての本能。

だが、煌星の番は景耀ではない。むしろそうであると困る。

歴史的にも、兄妹・姉妹で一人の皇帝に嫁いだことがないわけではない。

しかし、煌星としては御免なのだ。姉の番と懇ろになるなど。


――では、なぜ?


(いや、気のせいか……な……)


景耀は、そんな煌星の微かな戸惑いを見透かしたように、ゆっくりと口を開く。


「そなたは、よくやった」

「恐悦至極にございます」

「――では、そなたに"真実"を見せよう」


(……?)


煌星は、一瞬きょとんとする。

景耀は、ゆっくりと微笑んだ。

その瞳には、何か確信めいた光が宿っている。


「ついてこい」


景耀は、迷いなく寝殿の扉を抜け、静かな廊下を進んでいった。

煌星も、無言のままその背中を追う。


(……どこへ行くつもりだ?)


後宮の奥へと続く廊下は、人の気配がほとんどない。

煌星は、ただならぬ気配を感じながらも、口を開くことができなかった。

やがて、景耀が足を止める。

彼の前には、ひっそりとした小さな扉があった。


「入れ」


低い声が響く。

景耀は扉に手をかけると、迷いなく押し開いた。

煌星は、一瞬だけ躊躇する。

だが、景耀の背が室内へと消えていくのを見て、覚悟を決めた。

息を整えながら、一歩足を踏み入れる。

そして、視線を向けた先で――


「……っ」


煌星の呼吸が止まった。

薄明かりに照らされた室内。

そこに、ひとりの人物が静かに座っていた。

揺れる灯火が、その姿を浮かび上がらせる。

凛とした佇まい。

しなやかな黒髪。

見覚えのある気高さを湛えた面差し。


「――璃月……?」


自分と瓜二つの、唯一無二の姉。

間違いなく、本物の蘇璃月がそこにいた。


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