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六、妃達との対面

後宮の小広間に、張り詰めた空気が満ちていた。

煌星は、目の前に並ぶ妃たちを前に、ひしひしと感じる――この場が、戦場だということを。


(うわぁぁぁ……めちゃくちゃ見られてる……)


魏嬪、張嬪、柳美人、韓才人、沈才人――。

彼女たちは格式に従い、整然と座している。

優雅な衣をまといながらも、その視線の奥には、それぞれの思惑が滲んでいた。


「蘇貴妃様にご挨拶申し上げます」


魏嬪の一言で、全員が立ち、一斉に頭を下げる。


「ええ……皆様も、お元気そうで何よりです」


(今のはなかなか!良い返しだったはず……!偉いぞ、僕よ!)


心の中で自画自賛しながら、彼女たちが静かに腰を下ろすのを見守る。

茶が配られ、穏やかに見える時間が流れる。

だが、次の瞬間。


「皆、貴妃様のお帰りをお待ちしておりました」


張嬪が、扇を開きながら微笑む。

だが、その目は決して笑ってはいない。


(そういう言い方じゃないのが怖いぃ……綺麗な人なのになぁ)


「それは……嬉しいことです。いかがお過ごしでしたか?」


麗しく、柔らかく、けれど余計なことは言わない――。

柳蘭に叩き込まれた「貴妃としての受け答え」を忠実に再現する。

しかし、張嬪はさらに唇の端を持ち上げた。


「何も変わりなく。それにしても……陛下は、貴妃様をたいそうお愛しになられていますのね」


(お、おおう…………)


「何しろ、私たちはいまだに陛下のお召しを受けておりませんもの。貴妃様のご寵愛が眩しいばかり……」


(え、えぇ……璃月だけってそりゃ……)


警戒しながらも、慎重に言葉を選ぶ。

場の空気は、確実に探るようなものに変わってきている。


「陛下は、お忙しく政をなさっておりますもの。きっとお暇がないだけですよ。まだ即位なさって日も浅くありますし……」


穏やかに、そしてやんわりと話を逸らす。

だが――


「まあ、それほどまでに陛下のお心を独り占めなさっているということですね?」


(待って待って待って待って!!!!)


張嬪の言葉に、沈才人が小さく微笑んだ。


「張嬪様、そのように言っては、貴妃様が困ってしまわれますよ」


(助け舟!?いや違う!!!これはフォローに見せかけて、僕が困ってる前提のやつ!!!!)


「張嬪様、ご不満が?」


魏嬪が、静かに扇を閉じる。

張嬪の焦りをたしなめるような声音。


「不満……というよりも、皇后がいらっしゃらない今、後宮の均衡が取れなくなるのでは、と思いまして」


(……別問題が勃発した……正しいかもだけどさ)


煌星は扇で口元を隠して息を吐く。

確かに、「蘇貴妃だけが寵愛を受ける」状態が続けば、後宮の力関係は崩れる。

魏嬪は、それを懸念しているのだろう。


(なるほど……慎重派だから、感情的に動くわけじゃなくて、合理的に考えてるんだ……)


魏侍中の娘。冷静で、理知的――。

ただ、そういう人間が何かを企んでいるとしたら、逆に恐ろしい。


「陛下には、陛下のお考えがございます」

「それは、もちろんです」


魏嬪は、微笑を崩さずに頷く。


「ですが、後宮にいる身としては、陛下のお心がどのように向けられるのか、少し気になるもので……」


(つまり、陛下はこのままずっと蘇貴妃だけを寵愛するつもりなのか?って探りを入れてるんだな……?)


困った。

ここで余計なことを言えば、ますます勘ぐられる。


「陛下のお心を推し量るなんて……そうでしょう?魏嬪」

「ごもっともですわ」


魏嬪は微笑みを崩さず、張嬪は扇をバチンと閉じた。


「まあ……貴妃様ばかりお召しになって、陛下もお飽きになりませんこと?」


(おっふ……)


「それほどまでに、陛下は貴妃様に夢中なのかしら?」


(どう答えろってんだよ……)


煌星は、笑顔を絶やさぬまま、魏嬪の動きを注意深く観察する。

彼女は静かに杯を持ち上げ、薄く微笑んだ。


「……しかし、貴妃様が特別な存在であることは、誰の目にも明らかです」


(……ん?)


魏嬪の言葉に、何か意図を感じる。

ただの挑発ではない。


「――もしや、陛下は、貴妃様を皇后にお迎えになるおつもりなのでは?」


(は???????????)


一瞬、広間の空気が張り詰めた。


「皇后……?」


柳美人が驚いたように呟く。

韓才人と沈才人も、微かに顔を見合わせる。

張嬪は目を見開き――


「そんな話、聞いたこともありませんわ!」


(僕もないから安心していいよ……璃月は知らんけど!)


魏嬪は、張嬪の苛立ちを見越していたかのように、静かに続ける。


「いえ、正式なお話ではなくとも……これほどまでに陛下に寵愛されているのなら、いずれそうなるのでは?」


(いやいやいやいやいや……!待って待って待って)


どうする!?

煌星が言葉を選んでいると、張嬪が再び強い口調で言った。


「けれど……なぜこの後宮には、未だに正室がおられないのかしら?」


全員の視線が煌星に集まる。


(ひえぇぇぇ……)


魏嬪は杯を置き、静かに囁いた。


「もしかすると……すでに陛下の中では、皇后の座は決まっているのかもしれませんわね」


(そういうのは皇帝に聞いてくれよぉ……)


煌星は、じっとりと汗ばむ掌を扇で隠しながら、静かに息を吐いた。

魏嬪の一言に、張嬪の表情がさらに険しくなる。

沈才人はそっと目を伏せ、柳美人は思案するように視線を落とす。

韓才人は無表情のまま、ただ煌星をじっと見つめていた。


(ちょっと待て……この場の空気、凄くまずいような……)


煌星は冷静を装いながらも、背筋を冷たいものが這い上がるのを感じていた。

このままでは、完全に「蘇貴妃が皇后になる話」が既成事実にされかねない。

魏嬪の「貴妃様は皇后になるのでは?」という言葉が、張嬪の苛立ちを一気に煽ったのは明らかだった。

しかし、魏嬪はどこまでも冷静だ。


(この人、もしかしてわざと張嬪を煽った……?)


煌星は視線を巡らせながら、慎重に言葉を選ぶ。


「……陛下のお考えを、私が勝手に憶測で申し上げることはできません」


(これで終わってくれ……)


だが、張嬪は納得しない。


「まあ、ご謙遜を。陛下が貴妃様をどれほど愛しておられるかは、誰の目にも明らかですもの!」

「陛下が皇后を迎えないのは、貴妃様がいらっしゃるからでは?」


(ひぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)


柳美人と沈才人が微かに目を見合わせる。

韓才人は、ただじっと煌星を見ている。


(こ、これはマズい……!)


煌星は、苦し紛れに微笑んだ。


「皇后の座がどうなるかは、陛下のみぞ知ること……私共が口を挟むことではございません」


慎重に、慎重に――。

「私の知ることではないからお前らもガタガタいうな」と言いたいところを暗にぼかす。

だが――


「では、貴妃様ご自身は、皇后になりたいとお思いなのですか?」


(んっふ……)


魏嬪が、核心を突くように微笑む。


(こいつ……完全に確信犯だな)


煌星は、一瞬だけ沈黙する。

「なりたい」と言えば、張嬪たちが黙っていない。

「なりたくない」と言えば、今度は「皇帝に捨てられるのでは?」と勘繰られる。

――どっちも地雷!!!!!


煌星は、ゆっくりと口を開いた。


「……妃とは、陛下に仕えるもの。自ら望むものではありません。そうでなくて?」


魏嬪の瞳が微かに細められ、唇がかすかに弧を描く。


「なるほど……陛下がお望みならば、ということですね?」


(…………ホントに逃がす気ないねぇ……)


煌星は、内心で涙目になりながら、なんとか笑顔を保つ。


「陛下のお心が決まるまで、私どもは静かにお待ちするだけでしょう?私たちがとやかく囀ることではございませんよ」


そう言って、あえて話を終わらせる空気を作る。

魏嬪は微かに目を伏せた。

そして――


「……ええ、確かに。その時が来るのを、私たちも楽しみにしております」


(終わったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!)


その言葉で、この話題は一旦幕を下ろした。

しかし、煌星の手のひらには、じっとりと汗が滲んでいた。


(毎日が針の筵すぎる……寵愛が深すぎるのも考え物だな……)


再び扇で口元を隠しつつ、煌星は大きなため息を吐いた。

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