微かな意識の奥、淡く滲む朝の気配。
(……生きてる……いや、そりゃそうか)
煌星はゆっくりと瞬きをしながら、牀に横たわる自分を確認した。
無事に夜をやり過ごしたことに、密かに安堵する。
そして、隣を見た瞬間――心臓が跳ね上がった。
すぐそばで、景耀が静かに眠っている。
(……お、起こさずに、このままそっと抜け出せば……)
慎重に身体をずらそうとした、その瞬間。
がしっ――。
(……えっ)
景耀の腕が、煌星の腰を引き寄せた。
(いやいやいやいやいやいや!!!!)
「……もう少し、このままで良いだろう?」
低く掠れた声が、耳元をくすぐる。
(起きてた~~~~!ひぇぇ……寝起きの皇帝様、色気やばすぎんか……!?)
艶やかな黒髪に、切れ長の琥珀色の瞳。
端正な顔立ちは、どんな者も魅了するだろう。
だが、問題はそこではない。
(逃げられない……!!!)
腰を掴む手を無碍に振りほどくことなんて出来やしない。
煌星は、必死に冷静を装う。
「……陛下、お務めがおありでは?」
「……まだよい」
寝ぼけたような声音だが、腕の力はしっかりしている。
まるで、逃がす気などないかのように。
(だめだこれ、完全にロックされてる……)
絶望しかけたそのとき――
「貴妃様、お目覚めでしょうか」
部屋の外から、柳蘭の慎重な声が響いた。
(あ、あ、あ、あー!ナイスすぎる!!絶妙なタイミング!ありがとう!)
「……お支度の時間でございます」
景耀が、ゆっくりと瞼を開ける。
琥珀色の瞳が煌星を映し、ほんのわずかに細められた。
「……そなたは、このまま私と寝ていたい、などとは思わぬのか?」
(いやぁ……ご遠慮したいですね……)
思わず声に出そうになったが、そこは押さえて煌星は、微笑みを作った。
「この身は、陛下に捧げられたものです。ですが――」
軽く袖を滑らせる。
「朝日を浴びる陛下の御尊顔を拝するのも、貴妃の務めかと」
景耀は、一瞬だけ沈黙し、やがて短く笑う。
「……そうか」
ようやく、腰に回されていた腕が解かれて、自由になった。
(助かった……)
煌星は、なんとか体を起こし、そっと牀を下りる。
扉が開かれると、柳蘭と柳香が静かに入り、手際よく衣を整え始めた。
「貴妃様、お身体は大丈夫ですか?」
(大丈夫じゃないけど、大丈夫と言うしかない!!!)
「ええ、大丈夫よ。陛下のお支度を手伝うわ」
煌星は、なんとか取り繕い、微笑んだ。
皇帝の朝の支度を手伝うのも、妻の役目。
(……今日もまた、逃げられない一日が始まる……)
煌星は、そっと溜息を吐きながら、景耀へと向き直った。
景耀は支度を終えると、煌星と軽めの朝食を摂り、政務のために正殿へと向かった。
煌星は、皇帝の背を見送りながら、ようやく息をつく。
牀の上では張り詰めていた神経が、一気に弛緩し、どっと疲れが押し寄せた。
寝起きだというのに、すでに一日分の気力を消耗した気分だった。
ぐったりと椅子に座り込む。
(はぁぁぁぁぁ……心臓に悪すぎる……)
夜の間に何度も心臓が止まりかけたが、とにかく乗り切った。
だが、今後も景耀と寝所を共にする機会が増えることを考えると、気が重い。
「お疲れ様でございました、貴妃様」
柳蘭が静かにお茶を差し出した。
茉莉花の香りがふんわりと立ち上り、緊張した神経を和らげる。
「いい香りだね……」
「ええ。昔からお好きでしたよね」
柳蘭は微笑みつつ、首を傾げた。
「貴妃様、今朝はご機嫌がよろしいようで?」
「え……全然……?」
煌星は作り笑いを浮かべ、静かに茶を口に含む。
柳蘭と柳香は姉妹で、もともと蘇家に仕える黎家の娘たち。
璃月が後宮に入る際、柳蘭が付き従い、柳香はそのまま煌星の元に残った。
後宮の作法を熟知する柳蘭の存在がなければ、今頃とっくにボロが出ていたことだろう。
そんな柳蘭が、ふと真剣な表情になり、口を開いた。
「貴妃様、早速ではございますが、次の予定がございます」
「えええ……今度は何……」
茶を飲んでいる煌星に向かい、柳蘭が淡々と告げる。
「本日は、妃たちが貴妃様へご挨拶に参ります」
「えっ!?向こうが来るの!?僕が行くんじゃなくて!?」
「私、ですよ」
「ア、ハイ……」
柳蘭は淡々と頷き、続ける。
「貴妃様は、今の皇帝陛下のもとで最も位が高いお方。ですので、皆さまが来られるのです」
一難去ってはまた一難。
煌星は、ぐったりと頭を抱えた。
(……後宮の妃たちと対面……絶対に波乱しかない……!!!)