「久しぶりに、弟と話をしました」
煌星がそう口にすると、景耀の琥珀色の瞳がわずかに細められる。
「……弟?」
(よし、食いついた)
煌星は落ち着いた声を作り、静かに微笑んだ。
「ええ。彼は、相変わらず調香の仕事に夢中で……」
景耀は卓の上に指を置き、軽く音を鳴らした。
「ほう……それで?」
「最近は、珍しい香料を使った新しい調合を試しているそうです」
煌星は慎重に言葉を選びながら話を続ける。
「城下の薬舗や香料商を巡り、珍しい材料を探しているとか。特に、南の交易路から入ってくる香木に興味を持っているようで」
景耀は、静かに杯を傾ける。
「そなたの弟は、城下に住んでいるのか?」
(よし、来た……!)
「ええ、城下で店を持っております。その裏で暮らしておりまして……弟なりに、忙しくしているようです」
「貴族の令息にしては珍しいな」
「そうですね……父は、それも経験だと申して」
「ふむ……どんな香を作る?」
「桧と龍脳を調合したり、新しい方法で麝香を抽出したり……。特に、香を用いた治療にも関心があるようで、市医と共同で研究をしているそうです」
「市医と?」
「ええ。香りには、人を癒す力がありますから」
景耀はしばし沈黙し、ゆっくりと杯を置いた。
「……なるほど」
それ以上は、特に問い詰めてこない。
煌星が話したことは、嘘ではなかった。
もともと香りに敏感だった彼は、調香師という職を選び、日々研究を続けている。
(大丈夫そう、かな……?てか、こんだけ話してるけど、声……突っ込まれないな)
だが、安堵したのも束の間――
「そなたは、弟とは仲が良いのだな」
(…………うん???)
煌星は、一瞬固まる。
「……え?」
「そなたは、こうして里帰りのたびに、いつも弟の話をする」
(そ、そうなのか……!?)
知るはずもない。
だが、璃月として過ごす以上、「そういうこと」にしなければならない。
「……ええ、そうですね」
煌星は穏やかな笑みを作る。
「大切な家族ですから」
景耀は、その言葉に薄く微笑んだ。
(……とりあえず、ここは乗り切った……か!?)
「……そなたの弟、興味深いな」
景耀は杯を軽く傾けながら、静かに言った。
「一度、会ってみたいものだな」
「……それは、きっと弟も光栄に思うことでしょう」
(目の前にいますよぉ……はははは……)
景耀は、ちらりと煌星を見たが、それ以上何も言わなかった。
そして、ふっと息を吐き、肩を抱く。
「……もう遅い。休むとしよう」
「……え?」
思わず聞き返した。
(休む? いやいやいや、ちょっと待て……そういう「休む」じゃないよな!? まさか、まさか――)
景耀は、特に気にする様子もなく、ゆったりと牀へと煌星を押し倒した。
「……ちょっ、陛下!?」
頭が真っ白になる。
思わず出かけた声を噛み殺し、必死に唇を引き結んだ。
今の煌星は 璃月 であり、貴妃。
閨を共にするのは当たり前。
動揺すれば、それこそ不自然だ。
だが、何もせず従うのも、それはそれで危険すぎる。
煌星は、内心で絶叫しながら、なんとか冷静を装った。
脳内では、どうする⁈の大渋滞だ。
景耀は、瞬いた煌星のそんな頬を指先で撫でた。
「何をそんなに驚いている?」
「いえ、その……」
言葉を濁す。
そのとき――ふと。
ふと、重大な違うあることに気づいてしまった。
(あ……!項……そのまま……!)
煌星は鳳華である。
龍血と鳳華は、番になれば、必ず「証」が残る。
龍血は、本能的に番の鳳華の項に噛み痕を刻む。
鳳華の体は、番の噛み痕を持つことで安定し、噛まれたただ一人の龍血の気配に落ち着きを覚える。
逆に、噛み跡のない鳳華は、花のように甘い香りで多数の龍血を引き寄せてしまう。
(しまった……! 何で、忘れてた……!)
璃月と景耀が本当に 「番」 なら、璃月の首筋には景耀が残した噛み跡があるはず。
だが。
(僕の首には、ない……!)
決定的に、まずい。
もしも景耀が確かめようとしたら?
そう考えると煌星の心臓が爆発しそうなほど、焦る。
景耀の視線が、ゆっくりと首元へと落ちた。
(噛み痕も貞操もなんもかんもがやばい……全然、大丈夫じゃないんですけど、父上……‼)
脳内警報が全力で鳴る。
煌星は咄嗟にすっと手を伸ばし、景耀の肩に触れた。
景耀が目を細める。
「……どうした?」
「あ……陛下に触れたくて……」
景耀の唇が、わずかに弧を描く。
「……そうか」
(いやいやいや、助長するようにしてどうすんだよ、僕さぁ!)
だが、その直後――景耀の指が伸びる。
「――!?」
次の瞬間、景耀の唇が、そっと煌星の首筋に触れた。
(ちょっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!)
「……そなたの肌を味わうのは、久しぶりだ」
(やっっっっっっっっっっっっっっべえええええええ!!!!)
景耀の息が、首筋に落ちる。
(ぎゃあああああああああ!!!!)
もう、駄目だ。
次の瞬間、景耀の指が首元を探る仕草を見せ――
煌星は、すべてを振り切るように 自ら身を寄せた。
「……陛下」
甘く囁きながら、そっと景耀の胸に手を滑らせる。
「今宵は……ゆっくり、お休みになられては……?」
(止めてるんだか誘ってるんだか、もう自分でもわからん……)
心の中は半ば放心状態だったが、顔だけは微笑を浮かべることに必死だ。
景耀は、目を細める。
「……そうだな」
ようやく、その身体が退いた――が。
煌星の腰に、すっと腕が回される。
「そなたも、休め」
「……はい」
(……なんとか、なんとか……!!)
煌星は、そっと胸を撫で下ろした。
しかし、今日が始まりであって終わりではない。
今夜はなんとか眠る方向に出来た明日もそうとは限らない。
目の前の男が来なければそれでいいのだが。
(……あと何回、こんな危機を乗り越えればいいんだ……!?)
煌星は静かに目を閉じたものの、明日が来るのがすでに怖かった。