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なり代わり貴妃は皇弟の溺愛から逃げられません
なり代わり貴妃は皇弟の溺愛から逃げられません
めがねあざらし
BL歴史創作BL
2025年03月31日
公開日
2.8万字
連載中
貴妃・蘇璃月が後宮から忽然と姿を消した。
家門の名誉を守るため、璃月の双子の弟・煌星は、彼女の身代わりとして後宮へ送り込まれる。
しかし、偽りの貴妃として過ごすにはあまりにも危険が多すぎた。
調香師としての鋭い嗅覚を武器に、後宮に渦巻く陰謀を暴き、皇帝・景耀を狙う者を探り出せ――。
だが、皇帝の影に潜む男・景翊の真意は未だ知れず。
煌星は龍の寝所で生き延びることができるのか、それとも――!?

一、蘇貴妃

龍紗りゅうさの帳が静かに揺れる。

沈香木の幽玄な香りが、室内に静かに満ちていた。

天井の高い御座所には、漆黒の柱に金泥細工が施され、龍の彫刻が威厳を放っている。

煌びやかでありながら、どこか冷え冷えとした空気。

煌星こうせいは、漆塗りの床に膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。

玉座の横には、象牙の彫刻が施された硯台と筆が並び、静寂の中、琥珀色の瞳が煌星を射抜く。


――燎華りょうか帝国 皇帝、 龍景耀りゅう・けいよう


その視線は、まるで興味深い玩具を見つけたかのように、どこか楽しげだった。


(……なぜだろう。何か、おかしい気がする……)


気のせいではない。

ここにいるのは、自分だけではない。

背後には、侍女の柳蘭りゅうらん柳香りゅうこうが控えている。

緊張に喉が渇いた。


「貴妃様、お言葉を」


柳蘭の小さく低い声が響く。

落ち着いた声音ではあるが、その眼差しには「早く」と圧が込められていた。


「が、頑張ってくださいぃぃ……!」


柳香は、今にも泣きそうな顔をしている。

煌星は密かに息を吸い込み、心を落ち着かせるように瞼を閉じた。

璃月りげつなら、きっとこう言う――ゆっくりと目を開き、口を開く。


「……陛下、ご無沙汰しております。しばらく里へ戻っておりましたが、本日より再びお仕えいたします」


瞬間、空気が張り詰めた。

柳蘭の顔が微かに引きつる。柳香は「ひええ!」と声にならない悲鳴を飲み込んだ。


「……ほう?」


景耀の唇がわずかに釣り上がる。

それは、興味深いものを見つけたときの笑みだった。

ぞくりと背筋に冷たいものが走る。


(……バレて……? いや、まさか……)


景耀は静かに立ち上がった。

長い袖を引きずりながら、ゆったりと歩を進める。

煌星のすぐ目の前で立ち止まり、琥珀色の瞳がじっと覗き込んできた。

喉が詰まる。

逃げ出したいのに、体が動かない。


「……里帰りは、どうだった?」


低く、囁くような声。

瞬間、指先がひやりと冷えた。

何を答えればいい?

ろくに準備もしていないこの茶番を、どう切り抜ければ――

必死に心を落ち着け、煌星は無理やり口角を上げる。


「……陛下の御前で話すことではございませんが、何事もなく過ごしておりました」


景耀の笑みが、さらに深まった。


「そうか……ならば良い。下がっていいぞ」


その声音には、どこか含みがあった。

煌星は、静かに頭を垂れ、足早にこの場を去ろうとした――。


――カチリ。


乾いた音が響いた。

視線の先、景耀の指先には「蘇貴妃そ・きひ」と刻まれた金牌。

それが、ゆっくりと白磁はくじの盆へと置かれる。

息を呑んだのは、煌星だけではなかった。

柳蘭と柳香も、静かに震えている。


(……嘘だろう……⁈)


静寂の中、涼やかな声音が響く。


「蘇貴妃よ、準備を整えておくがいい」


景耀の眼差しは、まるで獲物を追う猛禽のようだった。

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