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7-1

翌朝、目を覚ますと、隣には橡様の穏やかな寝顔があった。

どうやら少しだけ俺が先に目覚めたらしい。

普段は俺の方が少し遅いくらいなので珍しいことだな、と思いながら静かに布団から抜け出す。

寝台の外で身支度を整えたところで、神使の子たちが駆け込んできた。


「長様、おはようございます!」

「今日はお庭に新しい花が咲いてますよ!」


朝から元気な神使たちの姿に、俺は少しほっとする。

夜はどうしても……あの腕の中にいるので、夢うつつ気分で……彼らと話していると、どうにか現実に戻れる気がする。



「じゃあ、見に行こうか」


俺が笑いながら応じると、神使たちは元気よく跳ねながら庭に向かって駆け出した。

俺もそれに続いて、庭に降りた。

外は晴れ晴れと青空が広がっており、空気が清く花の香りを運んでくる

庭で神使たちと戯れていると、ふと誰かの視線を感じた。

振り返ると、そこには橡様に負けず劣らずの美しい男が立っている。

茶に近い長い髪を美しく束ね、繊細な模様の着物をまとった姿は、どこか優雅で洗練されて──それでいて、その瞳にはどこか冷たい光が宿っていた。


浅葱あさぎ様……」


神使の一人が小さく呟き、俺の後ろに隠れる。普段は元気いっぱいの彼らが急に静かになり、明らかに警戒している様子だ。

どうしてだ……?基本的に神使はなつっこい子が多いのだが……。


「君が橡様の……」


浅葱と呼ばれた男が俺に向けて、ゆっくりと歩み寄ってくる。足取りは花を散らすように軽やかで、気品すら感じさせるものだった。


「……君が、橡様が選んだ神嫁というわけか」


軽く微笑んでいるが、その目には遠慮も容赦もない。俺を値踏みするような視線が、上から下までゆっくりと動いていく。……ちょっと失礼すぎやしないか、この方……。


「初めまして。私は浅葱。……まあ、橡様が選ばれる方にしては……意外だな」

「……初めまして、俺は長です」


ぎこちなく頭を下げると、浅葱はどこか面白がるように口元を緩めた。


「なるほど、確かに人間だな。人間にしては悪くはない、けれど……ふふ、ずいぶんと“素朴”だ」


その声は柔らかいのに、どこか棘を含んでいる。その言葉に、俺の背後で隠れている神使たちの小さな息遣いが聞こえた。耳や尻尾の毛が逆立っている子もいる。


「それにしても、この屋敷は相変わらずだな。どこを歩いても獣の匂いがする」


浅葱の視線が神使たちに向けられる。

神使の一人が震えながら、俺の服の袖をぎゅっと掴むのが分かった。


「神嫁という存在も、屋敷の空気も――こういうものが、橡様にはお似合いだとおっしゃる方がいらっしゃるのだろうけれど……私には理解しかねるね」


言葉遣いは丁寧だが、その内容は一切の容赦がない。

神使たちが押し黙り、俺の後ろに隠れて震えている姿に、胸の奥がちくりと痛む。

少し……俺は苛ついていた。なんだ、こいつ。本当に……。

しかし、俺が何か言うよりも早く、


「浅葱」


静かだが低く力のある声が庭に響く。

その瞬間、浅葱が振り返り、表情にわずかな硬さが現れる。


「橡様」


浅葱は柔らかな笑みを浮かべて頭を下げるが、その声にはわずかな緊張が混じっている。


「あなた様が神嫁を取られたと聞いて……少し挨拶をと思いまして」

「そうか。でも、ここにいる者たちに不快な思いをさせるような挨拶なら、控えてほしいね」


橡様の瞳が鋭く光る。その言葉に、浅葱の表情が一瞬だけ曇った。


「そのようなつもりは……」


浅葱の視線が再び神使たちに向けられる。憎々しさを隠さないものに、俺としても我慢ならなかった。後ろにいる震えている神使を抱き上げてやる。

俺の様子を見つつ、橡様は厳しい声で言った。


「この屋敷にいる全ての者は、僕にとって大切だ。そして長は、僕にとって特別な存在だ。浅葱、これ以上彼らを侮辱するのは許さないよ」


橡様の言葉に、浅葱は少しだけ目を見開いた。しかし、すぐに微笑みを取り繕い、軽く頭を下げた。


「失礼しました。橡様のおっしゃる通りですね。それでは、また改めて伺います」


浅葱は静かに去っていく。その背中には、言葉には出さない苛立ちのようなものが漂っていた。


「驚かせてしまったね、長くん」


その姿が完全に消えてから、橡様が優しい表情で俺に声をかける。


「いえ……でも、この子たちが……」


神使はしっかりと俺にしがみついていた。

あの浅葱と言う人物がよほど恐ろしかったのだろう。

結構、俺としても苛つくんだが?

橡様は一つ息を吐くと、首を振った。


「浅葱の言葉を気にすることはないよ」

「だってさ……大丈夫。もういなくなったよ」


俺ができるだけ優しい声でそう言うと、神使の子が小さく「うん」と頷いた。その様子を見ていた他の神使たちも、恐る恐る俺の周りに集まってきた。


「浅葱様、怖い……」

「長様、ずっとここにいてくれる?」


その言葉に、俺は少し胸が痛んだ。普段は元気に跳ね回っている彼らが、こんなに怯えるなんて。浅葱の言葉が、どれだけ彼らを傷つけたのかが分かる。

いや、あれはないよな。獣の匂い、って。じゃあ来るんじゃねーよ。何様だっつーの。あ、神様ですね。フーン。どの子もお前より可愛いわい。


「もちろん、ずっとここにいるよ。お前たちは俺の大事な仲間……いや、家族……?だから」


そう言いながら、そっと神使たちの頭を撫でると、彼らは少しだけ安心したのか、尻尾をふりふりさせた。抱いていた子を、集まっていた中に戻す。


「……長くん、ありがとう」


橡様が静かに近づき、優しく微笑む。その瞳には、俺への感謝と何か深い想いが込められている。


「長くん。君がここにいることが、どれだけみんなを安心させているか分かるかい?」


橡様がふっと息をつきながら言った。


「君がこの屋敷に来てから、みんなの表情が明るくなった。それは……僕も同じだよ」

「橡様……」


突然の言葉に、俺は思わず彼を見上げた。その瞳は柔らかく微笑んでいるけれど、どこか揺るぎないものが見え隠れする。


「君は僕にとって、何よりも大切な存在だ。それが浅葱にも分かるように言ったつもりだけれど……」


穏やかな声で言いながらも、その瞳には一瞬だけ鋭い光が宿った。


「……浅葱様、どうしてあんな態度なんでしょうか?」


俺がそう尋ねると、橡様は少しだけ考え込むように視線を逸らした。


「そうだね……彼は、僕に執着しているんだと思うよ」


その言葉に、俺は驚いた。橡様のような存在が誰かに執着されるのは分かる。俺はまだ短い時間しかこの方と一緒にいないが、優しい神様だ。

神使に対しても人に対しても。そんな優しい方が、こんな風に告げるとは思っていなかった。


「でも、大丈夫だよ。君さえここにいてくれれば、僕はそれでいい」


橡様の言葉が耳に響くたびに、胸がざわつく。優しい声なのに、どこか逃れられないような重みを感じるのは、俺の気のせいだろうか?嫌じゃないけどさ……。


「そういえば、橡様」

「うん?」

「庭に新しい花が咲いたらしいですよ。見に行きませんか」


俺がそう言うと、静かだった神使達がわっと声を上げて、明るくはしゃぎだす。

橡様の周囲にも集まり、あっち!あっち!と指さして袖を引っ張った。

やっぱ可愛いじゃねーか。目が悪いわ、浅葱様とやらは。性格も悪かったな。はん!

俺は心の中で悪態をつきながら、神使にまじり、行きましょう、と橡様の背中を押した。



その日の夜、寝殿に向かう途中で、ふと背中に冷たい視線を感じた。振り返ると、庭の片隅に黒い影が揺れている。


「……誰だ?誰かいるのか?」


声をかけるが、応答はない。影はゆっくりと揺らめき、次の瞬間には闇に溶けるように消えていた。


……こっわ。なんだったんだ、今の……?


気味が悪いこともあって、急いで寝殿に走る。部屋に入ると、橡様が俺を待っていた。


「どうしたんだい、長くん。顔色が良くないよ」

「いえ、少し庭で……妙なものを見たような気がして」


橡様の表情がわずかに曇る。


「……気にしないでいい。ここは神域だ。外からの侵入は簡単ではないからね」


優しく微笑む橡様に頷いたものの、胸の奥には何か引っかかるものが残っていた。

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