マリウスさんの言葉を頭の中で反芻する。
──もう二度とお屋敷に帰ることが出来ないの?
頭の中がぐるぐるして、気持ちが悪い。
気がついたら私の目からは涙が零れ落ちていた。
「ミ、ミア!」
いきなり泣き出した私にハルがオロオロとしている姿が視界に入る。
「まずは泣き止んでくれるかな? それから一旦ここから離れよう」
マリウスさんが胸元からハンカチを取り出すと、そっと目元を拭ってくれた。
さりげなく優しい所作と綺麗な顔が近くにあって少しドキッとする。
「……っ! マリウス! またお前は……!」
何やら悔しそうに歯軋りするハルが可笑しくて、思わずクスッと笑ってしまう。そのおかげか涙はいつの間にか止まっていた。
「……器が小さいねぇ」
「……! てめぇ……!」
「まあまあ、ほらチャンスをあげるから。早く行こう?」
またコソコソと二人で話しているけど、何を言っているのか良く聞こえない。
何を話しているのかな、と近づいてみたら、ハルがパッと顔をこちらに向けて、腕を伸ばしたと思ったら、私の手をぎゅっと握る。
あまりに自然なその動きに、手を繋がれたんだとすぐには気づかなかった。
「え、えっと、ハル……?」
「とりあえずそのお店に行ってみようよ」
「……え、でも……。今から行ったって……」
「ごめんねミアさん。もう少しだけハルに付き合ってくれないかな? 悪いようにはしないから。ね?」
「……はい」
二人にそう言われると、きっと断るのは無理だろうなと思った私は大人しくついて行くことにした。
──ハルが握ってくれている手から伝わる体温が温かい。
私の手はもう貴族令嬢の様に綺麗じゃ無くて恥ずかしかったけど、ハルと手を離すのは嫌だった。
そんな私達をマリウスさんが後ろからニヤニヤと笑みを浮かべながら眺めていたけれど。
ハルの手に気を取られているうちに、目的のお店の前に辿り着いていた。
「わあ……!」
お店はガラス張りのとても綺麗な三階建ての建物で、お店全体がキラキラ輝いて見えた。
さっきは看板がチラッと見えただけだったから、実際のお店がこんなに素敵だったなんて……びっくり。
「ほら、中に入ろう」
自分から入るには躊躇ってしまいそうなお店だったけど、ハルが手を引いてくれたので自然と中に入る事が出来た。
「……すごい」
外から見ても素敵だったけど、中に入ってもすごかった。
エントランスは吹き抜けで開放感があり、所々に花や緑が飾ってある。
女性向きのお店かと思ったら、紳士用や子供用の物まであって、並んでいる商品はどれもとても素敵だった。
私がキラキラした目で商品を見ていると、ハルが色々と説明してくれた。
「これは今帝国で人気のブランドなんだ。デザイナーも天才って言われてるけど、ちょっと変わった奴なんだ」
「これを作った工房は昔から独自の技術を受け継いでいて、その技法は門外不出なんだよ」
「この布に使われている染料は特殊でね。中々この色を出すのが難しいらしいよ」
ハルはとても詳しくて、他にも色んな事を、私にもわかりやすく教えてくれた。
──ハルってもしかすると帝国から来た商人の息子なのかな?
「ねぇ、ミア。この中でどれか欲しいものはある?」
ハルに聞かれて考えた。
欲しいもの……どれもとても素敵だけど……。
「ううん、欲しいものは無い、かな」
「……そう」
ハルが残念そうな顔をする。
本当はどれも素敵だから、欲しいものはいっぱいあるけれど……。
「ごめんね。どれも素敵過ぎて選べないの。それに見ているだけで十分満足よ」
もしどれか一つでも買って帰ったら、絶対お義母様とグレンダに取り上げられちゃう。
「でも、ハルの説明はすごくわかりやすかったよ! お店丸ごと欲しくなっちゃった」
「本当!? ミアが欲しいなら俺の私財──「はいはい! ストーップ! ハル、ちょっと落ち着こっか」
ハルが何かを言いかけていたけれど、マリウスさんが強引に遮った。
そう言えばマリウスさん、しばらく姿が見えなかったような……。
「二人とも、ちょっとこっちに来てもらって良いかな? 会わせたい人がいるんだ」
マリウスさんが手招きしながらお店の奥へと向かうので、慌てて付いて行く。
ふと目に入った「買取カウンター」と言う看板を見て、売るだけじゃなくて買い取りもしてくれるんだと知った。ここでネックレス買い取ってもらえるかな?
溢れるほどいたお客さんたちが奥へ行くほど減って行き、置いている商品も見るからに高価なものになって行く。
私たちは思い思いに商品を選んでいる貴族や執事らしい人たちの間を通り抜けて、さらに奥へと導かれる。
「この部屋だよ」
マリウスさんが重厚な扉を開けると、高級そうなテーブルとソファーが置いてある部屋に通される。どうやら商談用の部屋らしい。
「ここに座って待っていようか」
勝手に入って大丈夫なのかと思ったけれど、マリウスさんの行動があまりに自然だったので、言われるがまま部屋に入り、ハルと一緒にソファーに腰掛ける。
でもマリウスさんは座らずに、ハルの後ろに立ったままの様だ。
ソファーは座ると身体が沈む様な、でもとても座り心地が良い物だった。屋敷のソファーよりよっぽど良い品だと言うことが私でもわかる。
このお店に入ってからずっとここまで、周りの何もかもが高級品だったので、壊したり汚したらどうしようと気になってしまい、何だかそわそわしてしまう。
高そうな調度品が並ぶ室内を見渡していたら扉がノックされた。
「失礼します」
入って来たのはお茶を持った使用人らしい女の人で、流れる様な所作で紅茶を入れて行く。
部屋中に紅茶の良い香りが広がり、とても高級な茶葉なのがわかる。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
使用人さんから紅茶を受け取り、お礼を言う。
恐る恐る飲んでみると、爽やかな風味が鼻を抜けていき、気分が落ち着いて行く。
──すごく美味しい!
茶葉も良いけど、淹れる人の腕もすごく良いんだ。私も将来こんなに上手く淹れることが出来るかな……。
紅茶を飲んでいると、また扉がノックされる。次に入って来た人は物腰は柔らかそうな感じだけど、目がちょっと怖そうな年配の男性だった。
「お待たせして申し訳有りません。私、この店舗を営むランベルト商会の会頭でハンス・ランベルトと申します」
「は、初めまして! ミアと申します!」
「ははは、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、可愛いお嬢さん」
笑うと優しそうな雰囲気になるハンスさん。やり手の商売人って感じ。
「私はいつも帝国の本店に身を置いて居ましてね、会談が行われると聞いて最近王国に来たのですよ。この機会に王国で商売を広げようと思いましてね」
「そうなのですね。先ほど店内を見せていただきましたけど、どれも素敵なものばかりで感動しました」
思ったまま正直に感想を言うと、ハンスさんが目を細めて私を見る。
「それは嬉しいですね。このお店は私の息子が企画して出したお店なんです。褒めてもらえて息子も喜ぶでしょう」
ハンスさんと話していると、マリウスさんが声をかけて来た。
「……会頭、そろそろお話をお伺いしたいのですがよろしいでしょうか」
「ああ、そうでしたな。これは失礼しました。可愛いお嬢さんとお話し出来たもんだからつい」
はははと笑うハンスさんにマリウスさんが少し呆れた様に話を切り出す。私より年上らしいとはいえ畏まった口調が凄く大人っぽいんだけど……マリウスさんって一体何歳なんだろう。
「実は、こちらのミアさんがこのお店で取り扱っている商品の購入を希望されているのですが、予約限定商品だった様で。先程お店の方に確認をしていただいたのですが、既に売切れていて入手が困難らしいのですよ」
「ああ、『ミル・フルール』の事ですね? お陰様で予約が殺到したので予約すら出来ないお客様がたくさんいらっしゃった様で……」
「そうらしいですね。それで会頭にお願いなのですが、こちらのミアさんにその商品を一つ融通していただけませんか?」
「……! え!?」
マリウスさんのお願いに私の方が驚いて思わず声を出してしまった。話の流れでハンスさんにはわかっていた様だけど……。
「……貴方が私にその様な願いをされるとは……こちらのミアさんと仰るお嬢さんとはどの様なご関係で……?」
ハンスさんが鋭い目をしてチラリと私に視線を投げる。
「ミアさんは私の主の命の恩人です」
「……! 何と!」
「……え!」
マリウスさんの言葉に、今度はハンスさんも驚いていた。ハンスさんは目を開いて固まっている。
……驚いた内容は私と違う様だけど。
ハンスさんはしばらくハルの顔をじっと見ると、何かに気付いたのか、ハッとした表情をした。
私の方はマリウスさんの主がハルと言う事にびっくりだ。対等では無いにしろ主従関係があったなんて……。
ちらりとハルを見ると、特に動じた様子もなく、悠々とお茶を飲んでいた。大物?