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第4話 反撃の第一歩

 レオンによる地獄の訓練が始まってから、数週間が経過した。

 カインの日々は、文字通り血反吐を吐くような苦行の連続だった。


 夜明けと共に叩き起こされ、限界を超える走り込み。

 身体の悲鳴を無視した筋力鍛錬。

 関節が軋む柔軟運動。

 そして、レオンが叩き込む独特の呼吸法と、剣術以前の基礎となる体捌き。


『遅い! 動きが鈍いぞ、三流!』

『呼吸が乱れている! そんなことでは実戦では一秒も持たん!』

『立て! そこで寝るな! まだ限界ではない!』


 容赦ない罵倒と叱咤が、常にカインの頭の中に響き渡る。

 何度も気を失いかけ、全身は常に筋肉痛と打撲の痛みに苛まれた。

 しかし、不思議なことに、以前のような虚弱さは鳴りを潜め、倒れても立ち上がる根性が僅かながら芽生え始めていた。


 身体にも、僅かながら変化が現れていた。

 病的に細かった手足には、うっすらと筋肉の筋が見え始め、走り込みを終えても、以前より息切れが早く収まるようになっていた。

 何より、伏し目がちだった瞳には、時折鋭い光が宿る瞬間があった。


『……フン、予想よりは多少マシか。この小僧、ただの落ちこぼれではないな』


 レオンは内心、カインの異常なまでの吸収力に気づき始めていた。

 一度口頭で説明しただけの複雑な呼吸法や、手本として見せただけの体捌きを、カインは驚くべき正確さで記憶し、再現しようとする。

 それは、単なる努力だけでは説明のつかない才能の片鱗だった。


 その日も、カインは屋敷の訓練場で木剣を振るっていた。

 レオンに教わった基礎の型――それは既存のどの流派とも異なる、徹底的に無駄を削ぎ落とした動きだった。

 汗が地面に滴り落ち、呼吸は荒い。


「……相変わらず、無様な動きだな」


 不意に、背後から冷ややかな声がした。

 振り返ると、次兄のゲルハルトが柱に寄りかかり、腕を組んでカインを見下ろしていた。

 その目は、カインの変化を探るように細められている。


「ゲルハルト兄上……」

「森で一体どんな奇跡があったのか知らんが……付け焼き刃で鍛錬ごっこか? その貧弱な体で剣を振るうなど、見ていて滑稽だぞ」


 ゲルハルトは隠す気もなく嘲笑を浮かべる。

 数週間前、カインが生還してからというもの、彼はカインの動向を注意深く観察していた。

 その急激な変化が、彼には不可解でならなかったのだ。


「……っ!」


 カインは侮辱的な言葉に顔を赤らめ、木剣を握る手に力がこもる。

 何か言い返そうとした、その時。


『落ち着け、小僧。挑発に乗るな』


 レオンの冷静な声が頭の中に響く。


『相手の動きをよく見ろ。奴の立ち姿は傲慢そのものだ。重心が高い上に、剣を構える際の右足の踏み込みが常に甘い。体重が乗り切っておらず、不安定だ』

「……?」


 カインにはまだ、レオンが指摘する動きの甘さなど見抜けなかった。

 しかし、その声には妙な説得力があった。


 ゲルハルトは、カインの反応を楽しんでいるかのように、腰に差していた木剣を抜き、カインの足元に放り投げた。


「まあいい。どれほどマシになったのか、この私が直々に試してやろう。構えろ、出来損ない」


 それは拒否権のない命令だった。

 カインは唾を飲み込み、投げられた木剣を拾い上げ、震える手で構える。

 ゲルハルトの格上としての余裕と、隠しきれない侮蔑が、ひしひしと伝わってきた。


「行くぞ」


 ゲルハルトが油断しきった様子で、ゆったりと踏み込んでくる。

 アルドレア家伝統の「王道剣術」の型に則った、鋭い突き。

 常識的に考えれば、今のカインが防げるはずもない一撃だ。


 だが、カインの耳にはレオンの声だけが届いていた。


『来るぞ。……やはり右足の踏み込みが甘い! 上体だけで突っ込んでくる!』


 ゲルハルトの剣先が迫る。

 カインの体は恐怖で竦みそうになる。


『小僧! 今だ! 奴の軸足――右足に衝撃を与え、体勢を崩せ! 動きは教えた通りだ!』


 レオンの叱咤が響いた瞬間、カインの体は意思とは関係なく、反射的に動いていた。

 教え込まれた体捌きで、最小限の動きで突きをかわす。

 同時に、踏み込んできたゲルハルトの右足――その不安定な軸足の僅かな隙間を狙い、自身の木剣の柄で、下から打ち上げるように鋭い衝撃を与えた。


「なっ……!?」


 完璧なタイミングだった。

 軸足への予期せぬ衝撃に、ゲルハルトの体勢が大きく崩れる。

 彼の突きは虚空を切り、バランスを失って、無様に尻餅をついた。

 手から滑り落ちた木剣が、乾いた音を立てて地面を転がる。


 訓練場に、一瞬の静寂が訪れた。


 ゲルハルトは、何が起こったのか理解できないという表情で、尻餅をついたままカインを見上げていた。

 その顔は驚愕と、それ以上に屈辱で歪んでいる。


 カイン自身も、目の前の光景が信じられず、木剣を握りしめたまま呆然と立ち尽くしていた。


(僕が……ゲルハルト兄上を……?)


 自分の体が、レオンの言葉通りに、勝手に動いたような感覚。

 だが、確かに感じた手応え。

 それは、カインにとって初めての、明確な「反撃」だった。


 転がった木剣の音が、やけに大きく訓練場に響いていた。

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