「……くそ……」
深く息を吐き、手で顔を覆う。
(……考えるな……余計なことは……)
――ガチャ。
浴室の扉が開く音に、反射的に身体が強張る。
(……っ……!!)
「お待たせ、れーちゃん」
タオルで髪を拭きながら、濡れた肌にシンプルな部屋着をまとった凛が、俺を見下ろしていた。
(……また、その顔……いつもの、凜……)
何も変わらない。
俺がどれだけ拒絶しようと、絶望しようと、こいつは 何一つ変わらないまま、俺を支配し続ける。
「……っ……」
「どうしたの?」
微笑みながら、凛がベッドの縁に腰を下ろす。
もう、こいつが隣にいることにすら、寒気がする。
俺は柔らかな毛布に包まりながら、凜を見上げていた。
(……聞かないと……)
今のままじゃダメだ。頭の中で、警鐘が鳴る。
こいつが何を考えているのか、はっきりさせないと――
「…………お前……どういうつもりなんだよ……」
堪えきれずに、俺は問い詰めるように声を上げた。
凛は、少しだけ首を傾げる。
「どういうつもりって?」
「こんなことして、俺をどうしたいんだよ……」
「えぇ……?僕言ったよね?」
ふわりと、指先が俺の頬に触れる。
「れーちゃんを、Ωにして、僕の番にするんだよ」
その瞬間、背筋が凍った。
(――!!!!!!)
理解はしていたはずなのに。
分かっていたはずなのに――
こいつは、冗談でもなく、本気でそう言っている。
「……っ……!!!」
身体の奥が、ぞわっと粟立った。
(……こいつ、本気で……!!)
「っ……!!」
息が詰まる。
こいつは、冗談でもなく、狂ってるわけでもなく。
最初から 俺を、Ωにして、番にするつもりで……!!
「……ふざけんな……っ!!!」
声が震える。
「俺が……お前の番になるわけ……っ……ねぇだろ……!!」
「そう?」
凛は、相変わらず穏やかに微笑んでいた。
「だって、れーちゃんの身体……もう、変わり始めてるよ?」
「……っ……!!」
意識した瞬間、じんわりとした 熱 が、また襲ってくる。
(……嘘だろ……)
気のせいだ。気のせいに決まってる。
これは、ただの微熱で――
「れーちゃん、すごく熱いよ」
凛の手が、俺の額に触れる。
「……っ!! 触んな!!」
反射的に振り払う。
「ふふ、怖がらなくていいよ」
「っ……誰が……っ……!!」
「ねえ、れーちゃん」
俺の手首をそっと掴んで、凛が顔を覗き込む。
「1日目、終わっちゃったね」
「……!!」
「あと2日で、全部変わるよ。ああ、でも……熱が出ると、辛いよね」
凜は俺の手を離すと、サイドテーブルの引き出しから何かを取り出す。
そしておもむろに凜が水を煽った次の瞬間──何かが俺の唇に押し当てられる。
(――!!?)
それは凜の唇だった。
驚いた瞬間、水が口の中に流れ込んできた。
それと固形物の、小さな、何か。
(……っ!?)
思わず息を飲んだ瞬間、喉を滑り落ちる感触がする。
俺が凜の胸を思いきり押すと、凜は少し離れた。
「っ……お前……!!!」
「ちゃんと飲めたね」
「っ……何、飲ませ……っ……」
「睡眠薬だよ」
(――!!!!!)
背筋が凍る。
「お前……っ……!!」
「ああ大丈夫、安全なやつだから。病院で処方されるものだよ」
「誰が信じるか!!!」
「ふふ、でももう飲んじゃったね」
「っ……!!!」
固形の薬はすぐに溶けるタイプだったのだろう。
舌の奥に、少しだけ甘みが残る。
(……でも……っ……!!)
「そんなに怒らなくていいのに」
凛が、俺の髪を優しく撫でる。
「あのね?僕はれーちゃんをお嫁さんにしたいんだよ、だからおかしなものは飲ませないよ。だって、れーちゃんの身体がおかしくなったら……」
髪を撫でていた腕が俺の肩を抱き、そして抱きしめた。
「僕との赤ちゃん、産めなくなっちゃうからね」
喉が、ひゅ、と鳴った気がした。
俺は何も言えず、下を向く。
(何を言ってんだよ、こいつ……本当に、おかしい……)
「さあ、れーちゃん……休もう?疲れてるでしょ? ちゃんと眠った方がいいよ」
「……っ……」
息が、ゆっくりと重くなる。
(……ちくしょう……)
疲れと、薬の効果。
どちらのせいか分からないが、まぶたが異様に重い。
いや、もう脳が処理をしきれなくなったのかもしれない。
この異常な事態に。
(……っ……クソ……)
「……服……」
ギリギリの意識で、そう言う。
「寄越せ……」
凛が、俺を抱き込むようにシーツをかける。
「いらないよね?」
「……っ……」
「せっかく温かいんだから、そのままでいいよ」
抗う力が、もう残っていない。
眠気が、全身を支配する。
(……ふざ……けんな……)
言いたかったのに、もう、言葉にならなかった。
「おやすみ、れーちゃん」
囁く声が、耳の奥に残る。
逃げられない。
でも、まだ 「誤魔化せるはず」 と思いたかった。
(……2日目になれば……体調も……戻る……かも……)
そんな 淡い希望 を握りしめながら、俺は、意識を手放した――。