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4 1日目ーそして羞恥は続く

沈黙が、痛いほど重かった。

凛は何も言わず、ただそこにいる。

俺は便座を見つめたまま、呼吸だけが異様にうるさく感じた。


(……無理……こんなん、無理に決まってんだろ……)


頭では分かっているのに、体が拒絶する。

普段なら何気なく済ませることなのに、

「見られている」 ただそれだけで、こんなにも意識してしまう。

じわりと背中に汗が滲む。

今すぐここから逃げ出したいのに、足枷がそれを許さない。


「……出ない?」


不意に、凛の声が落ちる。


「っ……!」


その一言だけで、心臓が跳ねる。

顔を上げるのも嫌で、俺はただ唇を噛みしめた。


「大丈夫。ゆっくりでいいよ」

「……っ」


その言葉が、逆にプレッシャーになる。

待たれている、見られている、監視されている。

それが分かるほど、余計に体が強張っていく。


「れーちゃん?」


優しく促す声。

それすら、もう耐えられなかった。


「……もう、いい……」


かすれた声で、それだけを言った。

もう、何も考えたくなかった。

服をなおす。ベルトはもうしなかった。

凛はしばらく俺を見つめたあと、微笑んだ。


「……そっか」


それだけ言って、俺の腕をそっと引いた。


「じゃあ、戻ろっか」


俺はただ、されるがままにベッドへと引き戻されるしかなかった。


「……ちくしょう……」


俺は歯を食いしばりながら、足枷のせいで歩幅の狭いまま、部屋へと戻された。

何も言わずに、ただ凛に手を引かれるまま。


「お疲れさま」


凛が穏やかに微笑みながら、俺をベッドへと押し戻す。


「頑張ったね」


優しい声が降る。


「頑張ったんじゃねぇ……」


皮肉を込めたつもりなのに、力のない声しか出なかった。


「ううん、ちゃんと偉かったよ」


そう言いながら、凛は俺の髪をゆっくりと撫でる。


「っ……触んな……!」

「ふふ、ごめんね」


微笑むくせに、まるで悪びれてない。

なのに、俺はもう 怒る気力すら湧かなくなっていた 。


(……なんだよ、これ……)


悔しいのに、怖いのに、何もできない。

さっきまで「絶対に逃げてやる」と思っていたのに、今はただ、シーツの感触を確かめることしかできなかった。

少しずつ、体力が落ちていく感覚。筋肉が抜けるような脱力感。


「疲れたよね。れーちゃん、休んでいいよ」


凛は優しく俺をベッドへ横たえ、毛布をかける。


「少し寝たら、楽になるよ」


(楽になんて、なるわけねぇだろ……)


目を閉じようとした瞬間、じわりと違和感が広がった。


(……あ……そうだ……)


まだ、トイレに行ってない。

尿意はある。けど――


(……いや、まだ……我慢できる……)


わざわざ、またあの地獄を味わいたくない。


『ここでできないなら、尿瓶?』


あの時の凛の言葉が脳裏にこびりつく。


(……絶対に、あんなの使わねぇ……)


でも、意識すればするほど、気になる。

けど、体はもう疲れ切っていた。


(……考えるのも、めんどくさ……)


我慢できないほどじゃない。なら、寝てしまえ――。



「れーちゃん、こっち!」


澄んだ声が響く。

俺は、幼い頃の自分の姿をしていた。

膝まである草むらをかき分けながら、無邪気に走る。

その先にいるのは、凛。

小さな手を振りながら、俺を待っていた。


「ほら、早く!」

「わかってるよ!」


息を切らしながら、俺は凛のもとへ駆け寄る。

そこは、昔よく遊んだうちの庭だった。

木陰に隠れたり、鬼ごっこをしたり――ただ、それだけのことで笑い合えた。


「ねえ、れーちゃんの夢ってなに?」


凛がふと、問いかける。


「夢?」


俺は考えた。


「んー……強いαになって、すげぇかっこいい俳優とか?」


子供の頃は、単純に憧れていた。

俺の家族は芸能関係者ばかりだったし、自然とそういう未来を思い描いていた。


「ふーん……」


凛は小さく笑う。


「でも、どこに行っても、れーちゃんはれーちゃんだよね」

「……?」

「僕も、一緒にいるから」


凛がそう言った瞬間、風が吹いた。

なぜか、少しだけ 胸の奥がざわめく。


(……なんだ?)


子供の頃の俺は、その違和感に気づけなかった。

でも、今なら分かる。

この言葉の 本当の意味 を。


「れーちゃん、ずっと一緒だよ」


風の音がやけに大きくなる。

世界がぼやけていく。


(……あれ……?)


視界が、滲む。

――そして、夢が終わる。


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