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第十六話  やっぱりお姉ちゃんには敵わないな

 ”ねえ、旅行の買物なんだけど、二万円まで OKなんだよね?”

 ”少しぐらいオーバーしても平気かな?”

 ”駄目、駄目。先生、私達のカードに振込まれたポイント、チェックするって言ってたから”

 ”えー!”  

 明日に修学旅行を控えた中学校の教室内はいつもより騒がしい。四、五人ずつが、集まり、大声ではしゃいでいる。学校行事ではあったが、誰と何処に行って何をするかは、各々の判断に任されており、学校に予定の認可さえおりれば、キャッシュカードの残高の許す限り、友達同士で好きな所に行く事が出来た。

『‥‥‥』

 那々美は一人、ぽつんと席に座り、まだ白紙のままの予定表を見つめる。ケースからシャープペンを出してはいたが、腕はぴくりとも動かなかった。

『‥‥‥』

 ため息をついて、ペンを置いた。

 これと言って特に行きたい所はなかった。それより、クラスメイト達のはしゃぐ姿を遠目に見ている自分が惨めに思えてならなかった。

『また‥‥‥一人なんだな‥‥‥』

 思い返せば、いつも一人だった。小学校の時の遠足、給食、家に帰る時‥‥‥。

 ”‥‥‥ねえ、白倉さんも誘おうか?”

『!』

 名前を呼ばれてピクと体を震わせる。

 ”‥‥‥でも‥‥‥ねえ‥‥‥”

 ”白倉さんのお父さんって、あの白倉グルー プの代表なんでしょ”

 ”そうだよ、私達みたいなのと一緒にいたっ て‥‥‥”

『‥‥‥』

 聞くとはなしに聞いてしまったその話に、那々美は特に落胆する様な事は無かった。小さい時からずっと敬遠され続けており、またか‥‥‥というのが、素直な感想であった。

 ”でも‥‥‥いつも一人でいるし‥‥‥”

『‥‥‥‥』

 が、クラスメイトのその言葉に、顔を上げた。

『ねえ、白倉さん、ちょっといい?』

 彼女は那々美の机の脇まで走って寄ってきた。

『‥‥‥なに?』

『修学旅行なんだけど、私達と一緒に香港に 行かない?』

『‥‥‥一緒に?』

 誘われたのは初めての事である。里架子は戸惑いを隠せず、言葉を詰まらせる。

『一人より、皆でまわった方が絶対、楽しい よ。ね、そうしようよ』

 彼女は笑って手を差し出した。

 本心を言えば、誘いに乗りたかった。一緒に旅行するその日程を想像するだけで、その楽しさに頭がぼーっとしそうであった。

『私は‥‥‥』

 が、それでも彼女の手を握り返す事は出来なかった。彼女の友達は、那々美に聞こえない様に、ぼそぼそと何かを言い合っている。歓迎されている様には思えなかった。ここで首を縦に振って他の子に嫌な顔をされたら‥‥‥その恐れが、那々美に否定的な決断をくださせた。

『ごめんなさい‥‥‥私‥‥‥』

 =それじゃ、何も変わらないだろ?=

『え?』

 何処からか声が聞こえる。机を挟んで立っている彼女から色が消え、白黒になって動きを止めた。

 =ほんの少しの勇気でいいんだ=

『‥‥お兄ちゃん‥‥‥』

 =‥‥‥=

 映画の一時停止の様に、全てのものが不自然に動きを止めた中に、遥の姿をしたエーテル体が、宙に浮かんで笑みを浮かべていた。

『‥‥どうして‥』

 亡霊の類は、真夏の陽炎の様なもので、ただそう見えるだけで本人そのものではない‥‥‥那々美はその事を知っていた。が、目の前の遥は、意志を持っている様にしか見えなかった。

 =一歩だけ、前に踏み出してごらん=

『‥うん‥‥』 

 那々美が首肯くと、遥は笑った。刻の止まってしまったクラスメイトの腕に、震えながら手を伸ばしていく。そしてややぎこちなく、握った。

「!」

 冷たく、硬い‥‥‥それは確かな質感を持っていた。と、同時に、知らずに瞑っていた目を開けた。

「‥‥‥!」

 ガラガラと音をたてて足場が崩れ落ちていく。吹き飛ばされた先はビルの壁面の様だった。夢の中で伸ばしていた手は、衝撃に剥出しになった鉄骨を掴み、体を支えていた。少し離れた所に、里架子がマントの端を引っ掛けてぶらさがっていた。気を失っているらしく、命綱になっているマントがビリビリと破ける音が響いても、ぴくとも動かなかった。

「り、里架子っ!」

 鉄骨につかまったまま、那々美は叫んだ。

「我は確率を極め‥‥‥」

 ”そうはいかない!”

「‥‥‥」

 力の図形を思い浮かべ様としたが、途中で集中が断たれる。下から和也が黒い風の球に乗って昇ってきた。

 同じ高さまできた所で、間髪を入れずに、黒い竜巻を吹き上げる。

「‥‥風の盾!」

 咄嗟に思考する。間に現われた風が、渦巻きを弾き返していく。

「我は‥」

 一つの渦が風の壁を越えて迫ってきた。那々美はすぐに頭の中に別の図形を思う。間を開けずに、和也はまた渦を造る。その繰り返しになった。

「‥‥負けられない‥‥‥負けられない‥‥ ‥」

 既に那々美の頭の中は、図形で埋め尽くされている。許容量を越える思考処理と、失敗した時には自分ばかりでなく里架子の命も無いという事実に、ともすれば失神しそうなる細い精神を、無意識に言葉を呟く事によって辛うじて支えていた。

「‥‥負けられ‥‥ない‥」 

 緊張の連続に、額から汗が流れる。生きているのか死んでいるのか、里架子は目を覚ます気配はなく、今、まさに落ちようとしていた。





 ”‥‥‥”

 何も見えない不自然さに、里架子は目を開けたが、それでも闇は続いていた。

 ”‥‥何で?”

 藻掻こうと手を伸ばそうとしたが、驚いた事に、何処に自分の手があるのか分からない。手だけでなく、足も頭も‥‥‥何の感覚も無く、意識だけが上も下も無い空間を浮かんでいる様だった。光も音もなく、それでもなぜか、冷たいという感じは理解出来た。

 ”そうか‥‥‥私‥‥‥死んだんだ‥‥‥”

 里架子ははっきりしない頭で、なぜ何も見えないのかをその理由を考えた。導きだされた結論は一つ‥‥‥自分は死んだという事であった。

 ”‥‥もう‥‥いいかな‥”

 ほっとした様な‥‥‥そんな波の無い静かな感情だけが心の中に広がっていく。

 気付けば、里架子は歌を歌っていた。

 いつもの、悲しいラブソング‥‥‥。

 =‥‥あなたはそう言って、後悔した事があったでしょ?=

 ”‥‥‥”

 闇の中に声が響き、白いふわふわしたものが現われ、人型へと変わった。その姿は里架子に似ていたが、

 ”お姉ちゃん?”

 =‥‥‥=

 中学生の姿のままの双子の姉は、首を傾げて微笑む。並んで立つと里架子の方が少し背が高かった。

 ”いつもは黙ってるのに、どうしたの?”

 =危なっかしくて、見ていられなくて=

 ”でも‥‥‥幽霊なんでしょ?”

 =そうだよ=

 ”だったら、どっかに消えて。お姉ちゃんそっくりのエーテルなんかと話しをする気なん てないの。もう付きまとわないでよ”

 =だって‥‥‥あなたはいつも私を呼んでたじゃない=

 ”呼んだ?”

 =そうだよ=

 ”‥‥‥もしかして‥‥”

 =いつも‥‥‥歌が聞こえてきた‥‥‥=

 野絵実はじっと里架子の側に立つ。それを見た里架子はますます腹がたってきた。

 ”エーテル体はね! 意志なんてないの! そっくりに見えるだけなの! 歌は、あなたの姿をつくる呪文になってしまっただけ!

 =どうしてそう思うの?=

 ”‥それは‥‥”

 =誰にも分からない事じゃない‥‥‥思い込 みかもしれないじゃない‥‥‥=

 里架子の中から急速に怒りの心が消えていった。

 ”ねえ、お姉ちゃん‥‥‥”

 =なに?=

 野絵実は記憶にあるままの優しい笑みを浮かべた。

 ”‥‥私‥‥‥本当に死んじゃったの?”

 =‥‥‥=

 ”だから‥‥‥これって‥‥‥私の勝手な思い込みなの?‥‥‥お姉ちゃんも‥‥幻?”=それはまだ決まってない事なの‥‥‥=

 ”え?”

 =このままだと‥‥‥そうなるけど=

 ”?”

 =里架子がね。もういいかって‥‥‥そのままの気持ちでいるなら‥‥‥本当に死んで しまう‥‥‥=

 ”何? 分からないよ”

 =あきらめないで‥‥‥って事=

 ”もう‥‥‥いいよ。私、疲れちゃった”

 =‥‥‥=

 ”お姉ちゃんの側に行きたいの。いなくなって‥‥‥ずっと淋しかったんだよ‥‥‥いつも一人で泣いてた‥‥‥淋しくて‥‥‥ ほんとに‥‥‥ほんとに”

 =里架子、あなたは一人じゃないでしょ。まだやらなくちゃいけない事が残ってるんで しょ=

 ”だって‥‥‥”

 姉を前にした里架子は、子供に戻っていた。

 =那々美さんはどうするの? 里架子の助けを待ってるのに‥‥‥見捨てるの?=

 ”‥‥那々美‥‥”

 =大切な‥‥‥友達なんでしょ?=

 ”‥‥でも‥‥”

 =でもじゃないの! たまにはお姉ちゃんの 言う事、聞きなさい!=

 ”‥‥‥うん”

 野絵実のその口調に、なぜか心が晴れてきた。

 ”お姉ちゃん‥‥‥その‥‥空港で喧嘩して‥‥‥私が悪かったのに‥‥‥何も言えな くて‥‥‥ごめん!”

 =古い話ね=

 ”心にいつも引っ掛かってたんだ‥‥謝れなかった事‥‥‥でも”

 =そんな事、分かってたよ。私も‥‥‥ごめんね‥‥‥大好きよ‥‥‥里架子=

 ”お姉ちゃん”

 =‥‥‥=

 野絵実の姿が透け始める。

 ”待って! まだ‥‥‥”

 =そんな顔しないで‥‥‥私は何処にもいかないから‥‥‥だって私達は双子‥‥‥魂 は二人で一人なんだから‥=

 ”‥‥‥”

 =いつでも側にいるから‥‥大丈夫‥=

「‥‥お姉ちゃん」

 里架子は目を開けた。涙で濡れた目を擦る。

 途端に襟首の辺りから布の裂ける音が鳴り、体は支えを失う。両手両足を広げ、大の字の姿勢で落下していく。

「‥‥‥」

 迫ってくる地上の人工の灯は、星の海の様に視界一面に広がっていた。

 向かい風に破れたマントが後方に吹き飛んで消えていった。ぼろぼろになっていた赤白の制服が表になる。

「我は確率を極めし者!」

 エーテルが体を囲み、落下は途中で止まった。そのもやもやは背丈の何倍もある半透明の翼に変わり、里架子は自分の意志で翼を動かす。

 ”ああっ!”

 上から叫び声が聞こえ、顔をあげる。

「?‥‥那々美!」

 翼のはばたきは、風よりも速くに里架子を移動させる。両手を広げて落ちてきた那々美を受けとめると、一回転してその場を離れた。

「‥‥那々美‥‥‥那々美!」

「‥‥う‥‥‥ん‥」

「寝てる暇なんて無いでしょ!」

「うっ!」

 里架子は呻き続ける里架子の頬を、パシンと平手で思い切りうった。

「‥‥り、里架子‥‥‥痛‥‥‥」

 目を開いた那々美は、赤くなった頬を押さえる。

「どうやら、息災の様ね。よかったじゃない」

「‥‥‥無事だったのね‥‥」

「当然でしょ。里架子様はね、理力の天才な んだから」

「‥‥里架子ったら‥‥‥もう‥‥‥」

 那々美は里架子の体にきつくしがみつく。夜のビル街の空は風が強く、宙を駆け抜ける二人の少女の髪を激しく靡かせる。

「里架子‥‥私ね‥‥‥幽霊って‥‥‥ただ のエーテルの塊なんかじゃなくて‥‥ちゃ んと意志を持ってるんじゃないかなって‥‥‥思うの」

「奇遇ね、私もたった今、そう思ってた所」

 逆さになり、背面飛行で、地上の偽物の星の海を見つめる。

「‥‥意志を持ってて‥‥‥私達をずっと見つめてる‥」

 那々美はクスと笑った

「何かあったの?」

「別にー‥‥那々美こそ、何かあったんじゃない?」

「そんなの‥‥‥内緒よ」

「じゃ、そういう事にしておきましょうか‥‥‥て、事で‥‥‥」

 里架子は正面の闇を睨みつけ、翼を翻して元きた場所へと戻りはじめた。

「力を貸してよ。あいつ、やっつけるから」

「でも‥‥私はもう‥‥‥」

 実際、那々美の顔は真っ青だった。里架子の首に回した腕も、冷たく感じる。

「甘えるんじゃないの、今が踏ん張り所なんだから、ちょっとぐらい頑張ってよね」

「‥‥‥分かったわ。兄さんの仇は取る為だもの‥‥‥私、頑張る」

「上等!」

 里架子は速度を上げた。聳え立つビルの林をすり抜けていく。

「‥‥あいつ‥‥‥」

 和也は元の場所から動く事なく、宙の一点にじっと立っていた。

 赤く輝く満月を背に、腕を組んで目を閉じている。

「遅かったじゃないか‥‥‥里架子」

「吹っ飛ばしておいてよく言うわね。さあ、観念なさい!」

 三十メートル程の距離まで近づいた辺りで、移動を止める。地面を踏みしめていない足下には、行き交う無数の車の明かりが見えている。

「‥‥君達はまだ分からないのか? 俺には勝てないという事を」

「私達は兄さんがついてる。あなたなんかの好きにはならない!」

「愚かな事を!」

 和也は月を鷲づかみにでもするかの様に、腕を空へと伸ばした。

「‥‥‥我々は個人的な思惑を捨て去らない限り、未来はないんだ」

 和也はエーテルの塊に飲み込まれる。背後の月は黒い巨大な球体に隠れて見えなくなった。

「とっておきを見せてあげる!」

 里架子は目を閉じて図形の構築に専念する。 動きを止めた背の翼は、大きく膨れだし、地上からでも見える程になっていた。気づいた下の人々は、指を差して驚きの声をあげている。正面の黒い星はゆっくりとではあったが、里架子達の方に向かって移動を始めた。ぶつけられたら一たまりも無いのはさっきの例からしても明らかであった。

「‥‥お願い‥」

 那々美も目を瞑り、里架子の手に手をそっと重ねる。この期に及んで非力な自分が何を協力すべきなのか、どう力になるべきなのか知る由も無かった。心に思い描くのは、図形ではなく、兄の姿だけであった。

 =心配はいらない=

「!」

 想像の中からそのまま現れ出た遥が、すぐ近くを一緒に飛んでいるのを見つけ、那々美は息を止めた。

 =二人は強い子だよ=

「お兄ちゃん‥‥‥」

 那々美は里架子と手を繋いだまま、反対側の手を広げて体を離した。

「‥‥我は確立を極めし者‥‥‥」

 里架子の心は図形で埋め尽くされる。彫刻の様に精巧なものが、無数に広がり続け、その一つ一つを意識の端に留め続ける。

「我は‥‥‥」

 図形は一個所に止まる事なく、移動と変形を繰り返す。

「‥‥く‥‥‥」

 額から一筋の汗が流れた。

「‥‥‥駄目! やっぱり‥‥‥」

 その規則的ではあるが、一個人には膨大に過ぎる思考量に耐え切れず、里架子は途中で断念して首を振る。翼の輝きは消え去り、かろうじて空を飛んでいる。

 =‥‥頑張って‥=

「‥‥‥」

 隣には、白い薄衣を纏った野絵実が浮かんでおり、里架子と目が合うとニコと笑った。

 =私がついてるから=

「‥‥そうだったね‥‥」

 わずかにうなづいただけでまた正面に顔を戻す。

「里架子!」

「うん!」

 顔を向けた二人はうなづき合う。

「そうよ! 私は天才なんだから!」

 図形の構築を一からやり直す。

「‥‥我が力‥‥」

 里架子の言葉と共に白い輝きが広がり始める。

「何人たりとも、我に敵するをかなわず‥‥ ‥」

 二人の少女を中心に輝きは広がり、白夜の様に夜空を焦がしていく。

「何だ‥‥‥」

 黒球の思考を続けながらも、手を広げながら向かってくる里架子達の両脇に、別の人物の影を見つけた和也は、自らの目を疑っていた。二つ見えるその影のうち、中学生ぐらいの少女の方は見覚えがなかったが、もう一人は遥だと分かった。

「ただ跪くのみっ!」

 最後の呪文が空に響く。巨大なエーテルは黒球ごと和也を飲み込んだ。

「遥‥‥そうか‥‥‥お前まで‥‥‥」

 光は次第に和也の力を圧倒していく。

「ひどいな遥‥‥‥これでは俺に勝ち目はない。だとすれば‥‥‥お前のあの予測は‥ ‥‥間違っていた事になるんじゃないか?」

 和也は笑っていた。

「理力によって占った未来の結果を、理力によって覆す‥‥‥矛盾が過ぎるだろう」

 =俺は絶対に間違ってないと思った‥‥だから那々美を救う引き金の一つとして、俺は自分の命を絶った‥‥お前が犯人の濡れ衣を着る必要はなかった‥‥=

「とにかく、これで研究の答えは出た。お前の生み出した理力の予想は絶対じゃないって事だ‥‥結果に反して彼女達はこれからも生き続ける‥‥だから‥‥俺の勝ちだ」

 =相変わらず、お人よしな奴め=

「言ってろ」

 光の中、和也は肩をすくめる。

 強い輝きが、黒いコンクリートの街を照らし出した。



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