「‥‥‥兄の亡霊に取りつかれてたのは‥‥‥私の方だった‥‥」
「‥‥‥」
「里架子にはやっぱりかなわないな」
「でも‥‥‥あなたの死の運命を払う事は出来なかった‥‥‥」
「まだ終わってはいないわ」
「‥‥‥」
そんな那々美に、里架子は何かを言おうとしたが、適当な言葉が見つからずに、ぶっきらぼうな仕草で顔を背ける。
「我‥‥‥」
里架子は首を振った。
「我らは確率を極めし者‥‥‥」
「‥‥‥」
那々美はぽかんと口を開ける。里架子は夜空を見上げながらただ笑みを浮かべていた。 半透明のエーテルの塊が里架子達二人を包み込んだ。
「‥‥行っくよっー!」
手を繋いだままの二人は、ふわりと、それこそ魔法の様に浮かび上がった。
「‥‥‥」
二人は低空で宙を移動する。離陸直前の飛行機の様に、アスファルトの台地を駆け抜け、驚く人々を尻目に、高度をあげた。
百メートル程の高さまで昇った後、里架子は無言で地上を見下ろす。空の星の何倍もの明るさで、ビルの窓は光っている。二人はその輝きの狭間にいた。
「いた!」
和也は意外に近い所で浮かんでいた。腕組みして少し上から見下ろしている。
「和也!」
「‥二人で来たのか‥‥」
和也は目を伏せる。
「これも運命という事だな」
「何が運命よ! 私がいるかぎり、もうあな たに誰もやらせはしないんだからね!」
里架子の土間声は、空中の水蒸気を固まらせる。霧は小さな手裏剣となって和也を襲った。
「完全に呪文という概念を卒業した様だな!」
和也は腕を回して円を描く。黒い風が弾となって霧にぶつかり、蹴散らしながら里架子達に向かっていく。
「こんなもの!」
那々美に腰を掴まれたまま、里架子は宙を二転、三転する。視界は目紛るしく変わり、天と地がルグルと回り続ける。回転が止まった時、本来は下にあるはずのアスファルトの地面は、右斜め上に見えていた。
「汝らの喜びは我の喜び! 来たれ! この 那々美の元へ!」
”GUOOOOOOOO!”
現われた二匹の鎌イタチが、両手の武器を振るった。
「みくびらないでもらいたいな!」
今度は黒い弾を連続で撃ちだす。
”GAAA!”
弾は妖怪の体にめり込む。短い断末魔の声を残してエーテル体は消えた。
「くっ!」
流れ弾の一つを避けきれず、里架子に命中する。
「ああっ!」
衝撃に那々美は手を離してしまった。
「‥‥‥翼あれ!」
突風が二人を再び、宙に留まらせた。
「‥‥‥我らは、光の子‥‥‥共に祝福あらん事を‥‥‥」
二人の背中にエーテルの靄が生まれたが、それはすぐに鳥の翼に変化した。翼は里架子の意志に関係なく、はばたき続ける。
「ごめん那々美! 集中が崩れた」
「‥‥‥」
精神集中の最中だった那々美は、すぐに口を開く事が出来ず、ただ首を横に振る。
「じゃ、飛行の力は任せたから!」
高層ビルの陰にまわった和也を、二人は追いかける。
「‥‥ふん‥」
追い付かれた和也は、小さなエーテルの妖怪を創り、先に窓を割らせてから、中へと入った。
そこは企業のビルらしく、入った先はオフィスらしく整然としている。薄暗い室内に人の気配は無かったが、それはこの新宿全体に避難勧告が出ていたからである。
「すまないな」
仕切りの硝子を破り、低空で廊下を飛ぶ。「あそこ!」
夜空を下に、逆の体勢のまま里架子達は同じ窓から侵入した。
入った途端、翼が消えた。勢いのついたまま机の上を滑っていく。幾つかの植木を倒してようやく止まった。
「痛ーっ‥‥‥」
先に落ちた里架子がクッションとなり、那々美は何処にもぶつける事は無かった。
「大丈夫?」
「何とかねー」
腰をさすりながら、里架子は廊下に出た。
「うわっ!」
警備員とぶつかる。
「な、何だ君達は?」
「失礼!」
サンタに似た衣裳の少女がウインクした。那々美の力で背中に再び羽が生え始める。余波の光が、羽毛の様にあたりに飛び散ってヒラヒラ揺れながら落ちた。
「‥‥我らは光の子‥‥」
魔法使いの黒のドレスの少女‥‥‥那々美の背にも同じ様な羽が伸び、二人は同時に浮かび上がった。
「な、な‥‥」
目のあたりにした男は、腰を抜かして尻餅をつく。
「あっち!」
構わずにビル内の廊下を疾走する。幾つかの部屋を通り抜け、角を曲がると、壊された窓を見つけた。
「さては‥‥‥」
里架子は自己の中へと意識を集中させる。
砕けた硝子の破片を越え、夜空のただ中へと飛び込んだ。一瞬、カクンと高度が落ちたものの、光の粉を引きずりながらも順調に飛行している。
「‥‥‥」
都市の中央は、窓が星の様に瞬き続けていた。
”OOOOOOOO!”
「!」
限りなく細い、金属の棒の様な竜巻が里架子目掛けて飛んできた。が、那々美の操作で、里架子の体は回転してそれを避けた。
「目が‥‥回る‥‥って‥」
露出させっぱなしで写した星の写真の様に、回りの窓の灯は、光の線となって里架子の目蓋に映った。
「今のはちょっときつい」
全てを避けたあと、動きは止まる。
”ではそろそろ終わりにしよう!”
雲の合間に朧気に見える月にかぶっていた和也は、頭上から巨大なエーテルの塊を出した。
「大口叩いてる割に逃げ回ってるだけじゃないの?」
「そうだな」
エーテルは和也を中へ取り込んだ。
”ではここで決着をつけよう”
ゼリー状にぐにゃぐにゃと形を変え、最後には翼の生えた黒い巨大な竜へと変化した。さっきの妖怪より更に巨大で、真下の道路は竜の体の重みで沈み、両脇の二つのビルはドミノ倒しの様に倒れた。
「あいつ‥‥‥自分を媒介にするなんて‥‥‥」
粉塵に顔を曇らせる。
”里架子!”
二人は宙で一所に集まった。高さにして地上から三百メートル‥‥‥丁度着地した竜の首の位置に当る。
=里架子さん=
竜がその巨大な口を開き、人語を発した。
=‥‥まだ、那々美さんを助けられると思うのか?=
「何がマダ‥‥‥なのか分かんないけどね。そんなコケ脅しで何とかなると思わないでよね!」
「どうするの里架子?」
「‥‥‥一旦、降ろしてくれる?」
里架子の表情にいつもの余裕は無かった。
「‥‥‥分かったわ」
ふわ‥‥‥と、天使の様に荒れ果てた地上に降り立つ。同時に翼は消えた。
「目には目を‥‥‥ってね。こうなったら、私も同じ事するしかないわね」
「でも‥‥‥危険よ」
「じゃあ他に方法は?」
「‥‥‥」
「決まりね‥‥‥我は‥‥‥」
「もういい!」
那々美は里架子のたてた二本の指を握った。
「もう‥‥‥いいの‥‥‥」
「‥‥‥」
「和也が狙ってるのは‥‥‥私‥‥‥これ以 上、私の為に‥‥‥他の人を‥‥‥里架子 を‥‥危ない目にあわせる訳には‥‥‥」
「あのねっ!」
掴まれた指を乱暴に振りほどく。
「昔っからそうだけど、どうしてそういう後ろ向きな考え方するの? 自分が身を引け ば、皆が幸せになるって? 冗談じゃない!」
”GOOOOOOOOO!”
「!」
地響きと怒号が一緒くたに、二人の頭上に迫った。左右別々に避けたその場所に、竜の尻尾が圧倒的な破壊力で、アスファルトの道を砕いた。
「‥‥里架子‥」
少し離れた場所で、また二人は合流した。
「それに私はね、別に正義感とか、そういう事で和也と戦う訳じゃないの。ただ許せないだけ。他の些細な事なんてどうでもいい!」
「‥‥‥」
「分かったら、ちょっとどいてて」
「え?」
「私一人で十分」
里架子は服についた埃をはらった。襟に付いた血を見て顔をしかめる。
「で、でも‥‥‥」
「‥‥あいつはあなたを狙ってるの‥‥‥守りながらじゃ、思い切り戦えないから」
「‥‥‥」
「大丈夫だって、私は天才なのよ。忘れたの?」
那々美の頬に手を当てると少しだけ笑った。
「そういう事で」
険しい顔に戻り、竜の方に体を向ける。戸惑っていた那々美は、ゆっくりと後ろへ下がった。
「持久戦はこっちが不利‥‥‥一瞬で決めるしかない!」
里架子は赤いマントの端を縛り、動きやすく変える。腰を落として重心を下げ、両手をあげて身構える。
”OOOOO”
「‥‥我は力を極めし者‥」
竜が歩く度、里架子の体は反動で少し浮き上がる。
「全ての摂理は、我、里架子のもとにある」
ピっと二本の指をたてる。
向かい風が、帽子を後方へと吹き飛ばし、髪を激しくばたつかせた。
「我、汝の、命運、断たんと欲すなり‥‥‥」
言葉はさらに続いた。
「‥‥我が力、無敵なり‥‥‥何人たりとも ‥‥‥」
夜空の星に向けた手を竜に向けた。
エーテルの固まりが四方八方から里架子に向かってきた。
「‥‥‥く‥‥‥む‥‥‥」
打ちのめされながらも、里架子は倒れずにいる、やがて大きなエーテルに囲まれる事になった。
「我の前に抵抗は無意味なり!」
”GUOOOOOO!”
竜の咆哮とそれは同時だった。中の里架子もろとも、エーテル球は竜へと向かっていった。二つの衝撃波はぶつかりあい、円状に広がる時空振が周囲の建物を微塵に砕いていく。
「り、里架子っ!」
爆風に那々美は両腕で顔を隠した。
「‥‥寿を削り、身を削り、心を削り、請い焦がれ、欲すれど叶うあたわず‥‥」
黙っていられず、呪文を唱える。
「‥我は‥‥」
風が那々美を包み込む。
「‥‥く‥‥‥‥‥‥」
衝撃波は二人の体を空高くまで吹き飛ばした。肺を焦がす熱風の中、那々美は無我夢中で最後の図形を思い浮べた。
「‥‥風の盾!」
その言葉が力を持ったのかどうか、那々美自身に分からなかった。上も下も分からない中、声は爆風の中に消えた。